「生きるとは回復を繰り返すこと」土門蘭さんとの対話で気づいた自炊の大切さ
遡ること2023年5月。私は作家・土門蘭さんをお招きし、Voicyの収録を行いました。普段は京都に住んでいて、小説や短歌、エッセイやインタビュー記事を執筆されている土門さん。8/25に発売の『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』の企画に土門さんが参加していただいたことをきっかけに、交流が始まり今回の対談が実現しました。この本は、自分のために料理を作ることが億劫に感じている6名の参加者を私が3ヵ月自炊コーチし、精神科医の星野概念さんと参加者にインタビューし、心の変化を観察した今までにない料理本です。
この企画に参加する前はずっと料理に対して「苦手意識があった」と語る土門さん。Voicyでは、当時土門さんから伺った「なぜ料理が苦手になってしまったのか」というエピソードを軸に、対談をさせていただいています。
レッスンを経て、土門さんの自炊に対する印象はどのように変化したのでしょうか。今回のnoteでは、そのダイジェスト版をお届けします。
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「家庭料理」を知らないことが不安につながっていた
山口:私の自炊レッスンに参加する人の「自炊が苦手な理由」って、「母親が料理上手で比較してしまう」「一人暮らしで食材をつい無駄にしてしまう」など、ざっくりとパターン化できるんです。
それに対し、土門さんが自炊に対し抱いていた苦手意識は、実はあまり遭遇したことのなかったもの。非常に印象深く感じましたし、同じ悩みを抱えている人は意外と多いのでは、とも思いました。
改めて、当時感じていた料理に対する苦手意識について、お聞かせいただきたいです。
土門:私の場合、自分の中に「家庭の味」という概念のないことが、悩みの種になっていました。
私は両親とも仕事が忙しく、あまり手作りの料理を食べることなく育ったんですよね。母は夜の仕事に就いていたので、晩御飯の支度が間に合わないまま家を留守にすることもあって。中学からは母子家庭となり、より一層母が多忙を極めるようになりました。
山口:その間のご飯はどうされていたんですか?
土門:だいたい学校から帰ると1,000円札が机に置いてあるので、お金を握りしめてコンビニに通っていましたね。
時々母がキッチンに立つこともありました。ただ、母は韓国出身だったので日本の味付けとは少し違いますし、私自身も辛いものが苦手で。母の作る料理を「美味しい」と感じることが少なかったことも相まり、コンビニ弁当を食べることが常習化していきました。
あるとき、自分で料理を作るようになってから「自分が作る料理は美味しいのかどうか」の判断がつかないことに気付きました。また、人が作った料理を「美味しい」とは思うけれど、それを再現するための過程がイメージできない。
それは「家庭料理」の経験が蓄積されていないことが影響しているのかな、と。常に不安を抱えながら料理を食卓に出していました。
山口:その不安が料理に対する苦手意識につながっているんですね。育ち盛りの息子さん二人と夫さんと4人家族で暮らしの料理担当として日々を過ごしている中で「毎日の自炊に対し自信を持てない」と「暗闇で泳ぐような感覚だったんじゃないかな」と感じたんです。
土門:どこにゴールがあるかも分からないし、泳ぎのフォームが合っているかも確かめられない感じでした(笑)。生姜焼きもカレーも何百回と作っているのに、その都度レシピを見ないと作れませんでしたね。
山口:だからこそ、初めてのレッスンではご自身が普段作っている生姜焼きを、一旦レシピを見ずに作っていただくことにしたんです。最初は順調だったのに、調味料を計量する時に「どうしよう」と悩んでいらっしゃって。
土門:そうそう。実際に作ったものが美味しいのかどうかすら分からなかった。ただ、その原因は「なんでお酒を入れるのか」「みりんって結局なんなのか」などが分からず、レシピに指示されるがまま調味料を使っていたからでした。
普段通りの生姜焼きを作った後、祐加さん流のレシピを教えていただいたじゃないですか。その際に「なぜこの調味料を使うのか」を説明していただいたら、すごく腑に落ちました。
印象に残っているのは「酒はうまい水で、みりんは甘くてうまい水です」っていう解説。それぞれの役割を知り、ロジックを学んだことで「こう作れば美味しくなるに違いない!」と、自分の作った料理に対し自信をもつことができました。
山口:しかしお子さんたちに、私のレシピで作った生姜焼きと土門さんのレシピで作った生姜焼きを食べ比べてもらったら……。
土門:「お母さんのレシピの方が美味しい」と。意外でしたね。私は祐加さんのレシピで作った生姜焼きの方が美味しいと感じたんです。なぜならロジックを理解したことで、完成した料理に対する信頼感が生まれていたから。
子供たちが私のレシピを選んだのは「毎日食べている味だったから」なのでしょうね。ある種の信頼が「美味しい」という感情につながっているんだな、と思いました。新たな発見になりましたし、同時に「なんだ、私は頑張ってたんだな」と実感する出来事でした。
山口:ちょっと泣きそうです…。日々料理を作ることで家族の信頼感を培っていくことについては、他人である料理家は絶対に関われない領域なんです。出汁や味を濃くしたりすることで「人間が本来好きな味」を提案することはいくらでもできます。でも、食べる人が「これがうちの味だよね」と感じてもらえるような料理を提案する、ということはできません。
結局、各々の「うちの味」を生み出せるのは日々の蓄積から。土門さんがご自身を「頑張ってきた」と認められたのは大きいと思います。
土門:ちゃんと子供達に私の味を、信頼して受け取ってもらえていた。そのことに気づけたのは嬉しかったです。そのときに初めて「祐加さんの生姜焼きも私の生姜焼きも、両方美味しいね」と自分でも認めることができました。
「食べる自分」が満足するものを作ればOK
山口:土門さんがレッスンを受講されてから1年半が経過しましたが、自炊生活には何か変化がありましたか?
土門:かなり変わったと思います!いろんなレシピを教えてもらったじゃないですか。それを繰り返し作っていくうちに、自分の料理を美味しいと思えるようになりました。
「祐加さんに教えてもらったから間違いない」という安心感からくる美味しさもあります。それと同時に「自分が食べたいもの」も分かるようになってきたんです。
山口:それは大きい!当初は「家族のために作っている以上、自分が食べたいものは考えない」っておっしゃっていましたよね。
土門:文字通り「義務感」で作ってましたから。自分の食べたいものは二の次・三の次でした。でも美味しい料理を作れる自信がついたことで、徐々に余裕が生まれてきた気がします。
そういえば、献立の決め方も変化したんです。以前は2日連続で生姜焼きを出すことに対し、申し訳なさがありました。でも「自分が食べたいもの」という判断基準が生まれたことで、仮に生姜焼きが続いたとしても「美味しいから良くない?」って思えるようになったというか(笑)。
自分が自分の料理を「美味しい」と思っているからこそ「家族も認めてくれるだろう」という自信につながっているんですよね。
山口:私自身も土門さん同様、自由に食べたいものを作ります。自分の作るものを美味しいと信じているからこそ、夫に何を食べたいかをほぼ聞いたことがないです。
でも、土門さんが過去に感じていた「義務感」というのは、日本中の家庭に存在しそうですよね。自信のなさから萎縮してしまう気持ちや、よくわからない申し訳なさをどう払拭すれば良いのかな、とはよく考えます。
土門:すごく近い話があって。先日、エッセイ『死ぬまで生きる日記』の刊行を記念したトークイベントを開催したんです。その時に来場いただいた方から「読者の目をどこまで意識するのか」という質問を受けました。
実を言うと、最初は気にしていました。でも書いて書いて書きまくっているうちに、自分の中に「読み手の自分」と「書き手の自分」という二人の自分がいることに気づいて。結局のところ、自分の中の「読み手の自分」が満足したら、それでOKなんですよね。
料理も同じことのような気がする。「作る自分」と「食べる自分」がいて「食べる自分」が美味しいと感じればOKじゃないですか。
山口:良い話!私もよく自分自身に「今日は何が食べたい?」って聞いてます。
加えて、自炊の醍醐味は量や味などを調節しながら、理想の料理を作れるところだと思うんです。外食は美味しいけれど、「ドンピシャな量と味」を叶えることは難しいですよね。どれだけ通っているお店でも「ちょっと量が少ない」「もっと味を薄くしたい」など、何かしらの想定外な部分が出てきてしまいます。
自分で完成図を想像しながら、作っている途中に調整を重ねて理想の料理を完成させる。食べきったあとに「気持ちがいい」と感じるのは自炊ならではだと思います。
土門:逆に自分以外の誰かを喜ばせなきゃ、と思い始めてしまうと「昨日は生姜焼きだったし、今日はどうしようか」「自分にとってはピッタリな味付けだけど、相手にとっては薄味かも」と悩むことになってしまうんですよね。
山口:そうそう。自分の中に指標がない時ほど、外の指標に頼ってしまいがちです。
多くの人に届けたいのは、世に出回る「男性が好きなメニュー」や「プロの料理人が絶賛する献立」という指標が、必ずしも全ての人の舌にマッチするわけではない、ということ。外の指標に頼り続けてしまうと、どんどん消費されていき、深海に潜っていっちゃいます。
それよりも自分の感覚と向き合いながら、「ドンピシャな味を再現できたことの気持ちよさ」を味わってもらいたいなあ、と常に思っています。
「どうやって回復したいか」を決めるのは自分自身
土門:最近、「イメージ通りのご飯を作れた時の気持ちよさ」を明確に感じた出来事がありました。旅行で伊勢志摩を訪れた帰り道、疲れたので夕食用に駅弁を買ったんです。でも家に着いたら、どうしても自分で作りたくなって。
しかも食べたい料理が「サツマイモと玉ねぎが入っている、お味噌の濃度がこれくらいの豚汁。それと炊きたてご飯の塩おにぎり」とめちゃくちゃ明確だったんですよね(笑)。
「買った駅弁は明日食べよう!」と一旦冷蔵庫にしまい、帰宅してすぐに完成させた料理がドンピシャな味だった時、すごく幸せでした。「作る自分」と「食べる自分」がハイタッチする感じ。良い文章を書けた時と同じ爽快感でしたね。
同時に自分のことも好きになれたんです。自炊って自分に対する信頼感を高められる、良い体験なんだなと。
先ほど祐加さんが「外の指標に頼っちゃう」とおっしゃっていましたが、外の指標ってあやふやじゃないですか。家庭の中でさえ、40代の男性と7歳の子供の好みは異なります。であれば、自分自身の指標を基準にし、食べたいと思うものを作れば良い。実はとてもシンプルなのだと気付きました。
山口:おっしゃる通りです……!一歩社会に出れば自分の性別や年齢など、本来気にしなくて良いけれど気にせざるを得ない型が生じてしまう。
でも自炊に関しては「自分が満足すればなんでもあり」の世界です。おじさんがマシュマロを使ったスイーツを作っても良いし、女子大学生が塩辛を使ったおつまみを作っても良い。他者を気にせず、自分との信頼関係を手軽に築きやすい行為だと思います。
個人的に、化粧も自炊と近いものを感じました。デパートの化粧品売り場でプロのアドバイスを受けながら「こういう顔になりたい」を模索するうちに「他者の目線に合わせて嫌々メイクをする」という考え方が薄れていったんです。
気づいたら「すっぴんの自分よりもきれいになりたい」という自分本位の考えにシフトし、メイクする時間をポジティブに感じるようになりました。自炊も多くの人々にとって「自分のための行為」になってほしいな、と思います。
土門:「かわいい」「きれい」と思われたい!という気持ちはあれど、やっぱり自分を鏡で見て「今日はなんか良い感じ!」と思えるときが一番楽しいですよね。自炊も同様に、誰かのためではなく「自分を満足させるため」にやることでポジティブになれる。
そしてポジティブに捉えられるようになってくると、自炊は「回復するための行為」になり得ますよね。
もちろん体力は消耗するし疲れます。でも、自分自身をいたわるマインドフルネスな要素を持っているんじゃないかな、と。
そもそも生きることとは「回復し続けること」だと思うんです。子供は疲れても休んだらすぐに回復しますが、歳をとればとるほど回復に時間がかかるようになりますよね。そしていつか完全に回復できなくなる。その時のことを「死」と呼ぶのだと捉えています。
ご飯もお腹が減った時に食べて回復することで、明日を頑張れるようになる。だからこそ、なおさら他人の指標に委ねるべきものではないと思うんです。精神的に回復したい時はジャンクにピザを食べても良いし、肌を回復したければ肌に良いものを食べればいい。
いろんな回復の方法があるなかで、結局「どうやって回復したいか」を決めるのは自分。食べたい料理を口にすることで自分の体へと還元され、回復する。そしてまた生きることを繰り返す。日々の自炊を通し「健やかに生きる」とはこういうことか、と実感しています。
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土門さんは10歳の頃から理由もなく突如「死にたい」と感じることが多く、35歳まで希死念慮に苛まれていました。「自分の気持ちを言葉で理解する」べく、彼女はカウンセラーと「なぜ死にたいと思うのか」を、2年に渡り対話し続けます。その対話を記録しまとめたものが、2023年4月に刊行したエッセイ『死ぬまで生きる日記』なのです。
対話の記録を通し「自分を愛することはどういうことか」「人を信じるとはどういうことか」に対する答えを「自分なりに見い出せた」と土門さんは振り返ります。
「自分を愛すること」と「人を信じること」は、生きる上で非常に重要な要素。少なくとも自分のことをある程度愛せていないと「なぜ生きるか」が分からなくなってしまいます。そのうえで、対談中に土門さんが「自炊は自分に対する信頼感を高められる、良い体験」とおっしゃっていたのが印象的でした。
自炊は「食べる」以上の意味が伴い、体だけではなく、心の回復にもつながることがあります。ただ、単に「他者を満足させる」ためだけに自炊を続けていると、心身を磨耗するだけの行為になってしまうと思います。「自分自身を回復し、満足させる」ための自炊をこれからも発信することで、人々が「回復」する選択肢を増やせれば、と感じた対談でした。
『自分のために料理を作る 自炊からはじまる「ケア」の話』の中では、土門さんが料理に対してこの対談で感じられるようになる前と、レッスンを通じて料理に対する印象が変わっていく様子を本の中ではみっちりとご紹介しています。また、その他5名の参加者とも、とても豊かな対話の時間がありましたので、ぜひ本を手に取ってみてください。
編集協力:高木望
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