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第5回絵本探求ゼミ振り返り


今期初参加だった竹内美紀先生主宰のインフィニティアカデミア絵本探求ゼミ。第3期の修了講座が、北海道・層雲峡で開催された。最終講座だけはリアルとリモートのハイブリッドだ。今まで画面越しだった皆さんとリアルでお会いできる絶好の機会だったが、私は家族の事情でやむなくリモート参加となった。リアル参加者は前日に北海道・層雲峡に続々集結。前日のアクティビティの様子もどんどんアップされ、羨ましいのと同時に、大阪で一人緊張は高まる一方。初めてのパワポ操作に不安は増すばかりだった。ゼミ当日は、午前中に北海道の自然写真家・佐藤圭氏のご講演、午後はグループ発表というスケジュールだった。

1.佐藤圭氏ご講演

自然写真家になるまでのお話が大変興味深かった。きっかけは地元「留萌の日本一の夕日」。夕日を撮ろうと初めて一眼レフを持って街を歩き、街に絶滅危惧種オオワシが普通にいる環境に気づく。そしてオオワシに誘われるように山へ。山での小動物と出会い。エゾシマリス、ナキウサギ…と、全てが北海道の大自然に導かれたようだったのが印象的だった。

数々の自然写真を見せていただきながら感じていたのは、この1ショットを撮るのに何時間、何日待ち、何百枚撮ったのだろうということだ。小動物であればあるほど、そのご苦労は想像に難くない。

自然写真家の方々に共通しているのは、自然への畏敬の念と、人間がよそ者であるという謙虚な思い、そして、動物生態学にとどまらず、撮影に必要な周辺知識をフィールドワークで徹底的に研究されているということである。フィールドを熟知するということはつまり、地理、植生、土壌環境、気候など、あらゆる角度からその地域を知りつくし、その年間サイクルを把握するということだ。それは即ち彼らの棲息地、つまり営巣・育児場所の予想に直結する。そして、厳しい大自然の中、ひいては自分自身を守ることにも繋がるのだ。

 写真には北海道固有種の動植物がズラリ並び、ワクワクした。と同時に、この環境を守らなければならない、と「半袖」のエゾリスの子どもを見ながら強く感じていた。環境保全や動物たちの生態についてもっとお話を聞きたかったが、残念ながら時間切れとなってしまった。機会があればぜひまたお話をお聞きしたい。
また、写真を絵本にする=ストーリーにする ご苦労や、編集者の方との裏話をお聴きできたのは大変貴重だった。

2日後、絵本「山の園芸屋さん・エゾシマリス」が届いた。お話を聴いていたので一つ一つの写真にストーリーが感じられ、エゾシマリスの可愛さも倍増だった。

お布団運びの写真。
口の中にはちゃっかり木の実がいっぱいです。


2.グループ発表で感じたこと

(発表順に)

⑴チーム5「アストリッド・リンドグレーン記念文学賞」

この賞の賞金が破格だということは講義中に知ったが、その理由を政府の方針や教育環境、税率から掘り下げていて、大変説得力があった。「読書活動推進団体にも授与されるのはなぜか」という疑問から、さまざまな背景を元に「政府が児童文学を生涯学習の1ステップとして考えたのではないか」という結論は、スウェーデンの豊かな教育環境をも想像させるものだった。

リンドグレーンの生涯についても、今回初めて詳しく知った。シングルマザーを経て、子どもの権利やジェンダー問題に力を注ぎ、保守的な狭い街の空気やしきたりを打ち破ろうとしていた彼女の生き方は、当時はさぞ逆風だっただろうと想像できる。1998年の子ども病院設立など「子どもの安心と自由」を最後まで貫いたそのエネルギーは、一体いつ頃から芽生え、自覚していたのだろう。

「ピッピ」が生まれた経緯を聞くと、母親として大変愛情を持って子育てしていたことが窺われる。暴力と権力を嫌い、一人の人間として子どもの権利と尊厳を守り続ける努力をした彼女には、我が子の向こうに国中の子ども達が見えていたのだろうと思った。

⑵チーム4「ピーター・シス」

発表を聴きながら、兵庫の「ピーター・シス展」に行けなかったことを大変後悔していた。
職場の図書室にもある『The Wall』。正直とっつきにくい感じがしてあまり読んでいなかったのだが、発表は「かべ」をキーワードに、シスにとっての「かべ」とは何だったのか?を、代表作品ごとに物理的&心理的側面から読み解いていくものだった。それだけではなく、横軸=時系列 の視点から、彼にとっての「かべ」の意識の変化を社会情勢とも絡めて深く考察していた。最初から最後まで、非常に濃く聞き応えのある発表だった。

壁の中にいた彼が「教わらないこともあることを知り」、壁の外の世界に憧れ、壁を「乗り越え」、自由へとはばたく経緯を知って感動した。のみならず、今度は壁が「守るべきもの」にもなったという意識の変化に、彼が生きてきた人生を感じた。
目の前の壁は聳えていて越えられないが、視点を変えれば上はスカスカ…これに気づき、視点を変えられた人が歴史を変える偉人となった、という先生の言葉も大変印象深かった。

⑶チーム3「アンソニー・ブラウン」

 後述します。

⑷チーム1「絵本力アップ!」

趣向を凝らした三択のクイズ形式で、内容は4回までの講義が網羅されていてとても面白かった。リアル+リモート参加者全員で楽しめたのも、とても良かったと思う。
答え合わせではそれぞれの設問についての解説が深く、復習と新たな学びがあり、まさに「絵本力アップ」だった。まさかの画像クイズとは…盲点だった。
そして、チーム1の発表自体が全体の流れの中でアイスブレイクの役割をしていたこと、場の空気を和ませ皆を笑顔にしたことが、何より凄いと思った。
原題と邦題の「感情の入れ方」についてのお話は、私も感じていたのでとても共感して聴いた。『すきですゴリラ』以外のアンソニー・ブラウンの作品でも”My Mum”が『うちのママってすてきなの』、”My Dad”が『うちのパパってかっこいい!』など、同様の意訳が見られる。

⑸チーム2「いのちの絵本」

学校の時間割仕立てがとても面白く、切り換えて聴くことができ、でもテーマは一貫していてとても理解しやすかった。皆さんそれぞれの活動フィールドの切り口で選書されていたので、普段の活動を垣間見ることができ、またフィールドが違えば選書もこんなに違うということに改めて気づかされた。

普段、未就園児から高齢者まで絵本を読んでいる中で、発表で取り上げられていた絵本が参加者の年齢に関わらず何冊も重なっていたことに驚いた。絵本と「生きる力」について自分でわかっていたつもりだったが、今回整理してもらった気がした。
高齢者に「死」がテーマの絵本を読んだことはまだなく、それはゆっくりと時間をかけていきたい。

3.チーム3「アンソニー・ブラウン」

チーム3は、アンソニー・ブラウンについて調べた。
名前は知っていたものの、作品についてほとんど知らず、全てが初めて知ることばかりだった。しかも思っていたより資料が少なかったのには驚いた。
毛の一本一本まで描くような特徴的な精緻画。その誕生には、そこに父親の存在が大きく影響していることがわかってきた。
「ゴリラ」「視覚表現」「社会問題」「ユーモア」「父親像」「遊び絵」「ポストモダン」「虹のモチーフ」をキーワードに、各自担当絵本を3分以内で発表することになった。
取り上げた絵本は当日発表順に、
『すきですゴリラ』
『ウィリーシリーズ』より3冊
『どうぶつえん』
『おんぶはこりごり』
『うちのパパってかっこいい』&『うちのママってすてきなの』である。

 私の担当は『すきですゴリラ』。
調べながら、モーリス・センダックの『かいじゅうたちのいるところ』との類似点について気づいたことがあったので、後半併せて書きたいと思う。

『すきですゴリラ』

*原作『Gorilla』1983年 
*邦訳『すきですゴリラ』 1985年あかね書房 
*2014年出版30周年記念新装版出版
*2019年あかね書房より新装版出版

⑴あらすじ

女の子ハナは、おとうさんと2人暮らし。ゴリラが大好きで動物園に連れて行ってほしいとねだるが、おとうさんは仕事が忙しくてかまってもらえない。誕生日プレゼントにゴリラをねだると、小さなおもちゃのゴリラが寝室に置いてあった。がっかりするハナ。ところが夜中にそのゴリラが大きくなり、ハナを動物園に連れて行ってくれる。本物のゴリラを見て「ぞくぞくする」ハナ。そして映画を観に行き、美味しい食事をし、庭でおやすみのダンスをして別れる。朝起きると横にはおもちゃのゴリラが寝ている。そしてパパからの一言「これから動物園にいくなんて、どうかな?」ハナの夢は現実でも叶う。 

⑵作品の特徴

➀父親像

アンソニーの父親はボクサーで、身体も大きく怖い存在であったが、一方で温厚で繊細で優しく、ゴリラのようだった。ゴリラはその見た目と性格のギャップが魅力だと彼は語っている。
17歳の時、目の前で父親を亡くすという衝撃的な体験をした彼にとって、その父親は手の届かない憧れになってしまった。強い「父性への思慕」が、作品中のゴリラに投影されていると言える。彼は、もう叶わない夢や願望を、空想の中で実現しようとしたのだ。
本作は、幼い時誕生日に本物のトランペットをねだったのに、おもちゃのトランペットしかくれなかった経験がベースになっており、本作制作中は自分が父親にしてほしかったこと、自分が父親になったら子どもにしてやりたいことを考えていたと彼は語っている。

②現実と空想を行き来する

夜中のゴリラとの楽しい時間はファンタジーであり、現実と空想を行き来する「行きて帰りし物語」だと言える。本作品では、現実との境界線で主人公が移動しない「眠り」なので曖昧だが、別れ際のゴリラのキスは「現実の夢」にハナを戻す魔法であり境界線だと考えられる。
また現実に戻った時、ファンタジーの断片が目の前にある、という手法は絵本にはよく見られるが、本作ではハナが起きた時、箱に入っているはずのゴリラが隣で寝ていて、ファンタジーの名残が感じられる。

③視覚言語を駆使

テキストにはない「視覚言語」で登場人物の心情・内面を表現するのは、彼の大きな特徴である。
本作品では、全編を通じてハナの顔の表情はほとんど描かれていない。代わりに背景の構図や枠、色彩などの「視覚言語」から、ハナの心情を読み取ることができるのである。
以下、色彩や構図から読み取れるハナの心情を挙げてみる。

*食事の場面
寒々しい寒色使い、殺風景なキッチン、ほぼ左右対称かつ直線のみの構図は、床のタイル模様と相まって幾何学的で冷たい。四角い新聞が壁のように聳え、2人の心理的距離を示している。父親がコーヒーだけというのも生活感が感じられない。2人の目線は合わず、父親に笑顔はない。

*仕事部屋の場面
床に伸びるハナの影が印象的。孤独を一層際立てる。

*一人テレビを見ている場面
部屋の影部分の壁紙の模様は化け物で、ハナの暗く寂しい心の内面を表現している。また暗い壁にはアフリカの地図があり、アフリカへの秘かな憧れを表している。

*「どうってことないおもちゃのゴリラ」を見つけた場面
作品を通じてハナは後ろ姿が多く表情がうかがい知れないが、この場面だけはハナの残念な表情がはっきりわかる。大きなベッドに小さなハナの対比、ベッドの柵はまるで檻のように見える。

*大きなゴリラ出現場面
ランプシェードのゴリラのポーズが変わっていて、楽しいことが起きる予感。

*出かける場面
玄関の外の木立がゴリラで、ファンタジーの世界からハナを手招きしているよう。ゴリラが被った帽子のチェック柄は、アンソニーの父親のガウンのチェック柄である。

*ファンタジーの間のハナ
ハナはずっと後ろ姿で表情が窺い知れないが、これはハナを後ろ姿で描くことで、読み手がハナ目線でゴリラを見ることができる効果もある。

*オランウータン、チンパンジーの場面
『ZOO』にも共通するテーマ。自由を奪われた孤独、寂しさ、悲しみを彼らから感じたハナは、自分と重ねている。

*ゴリラとの食事場面
最初とは打って変わって暖色で、距離も近く、食べ物がたくさん並んでいる。ゴリラも肩肘をつき、リラックスしていて笑顔で目線はハナに向けられている。心の豊かさ、満足感を感じる。そしてそれは、ハナが父親に望むことでもある。

*庭でおやすみのダンス場面
ゴリラの頭と満月が重なっているのが印象的。帽子の柄はチェック柄(父親のガウンの柄)。

*目覚めの場面
隣で寝ているおもちゃのゴリラに満たされた目覚めを感じる。ハナの表情も柔らかい。

*「おとうさんにおしえてあげなくっちゃ」階段を駆け下りる場面
どんなにかまってもらえなくてもおとうさんが大好きなハナの気持ち。

*動物園に行こう、と父親が言う場面
父親のズボンの後ろポケットにバナナ。ゴリラがおとうさんの寝室に置いた?

*ラスト場面
ゴリラとの楽しい時間と同じ絵が印象的。ハナはゴリラのおもちゃを手に持っている。

◇旧版と新版の比較
大判に変更。テキストと絵は同じだが、前版になかった改行部分により、読みやすくなった。色彩は旧版の方がコントラスト強めで、新版では右ページの白枠がなくなり裁ち切りになっている。
表紙は新版のための描きおろし。旧版表紙は「楽しさ」を感じる絵なのに対して、新版表紙では「信頼」を感じさせる。旧版では満月と帽子が描かれているが、新版では帽子は被っていない。夜の星空が背景で、前後表紙見開き一場面。

(左)旧版 (右)新装版
旧版では「楽しさ」を、新版では2人の「信頼関係」を
より感じる絵となっている。

④時代背景と社会問題

1970年以降、絵本の作品テーマには変化が現れていた。それまでの伝統的理想的主題から、より現実味のある、貧困、環境問題、移民(異文化)、反戦、老い、死、病など、従来絵本では扱ってこなかったテーマが取り上げ始められたのだ。アンソニー・ブラウンは、ともすれば暗く深刻になりがちな社会的テーマを好んで取り上げ、後述する画法とユーモアによって、子どもにも受け入れられ共感を得られる作品を描いた。そこには技術だけではなく、彼自身の優しさや思いやりという人間性が不可欠だったと思う。本作品では「父子家庭」、つまり両親の離婚による子どもの孤独を描いたが、「檻の中の動物たち」も『ZOO』などと共通するテーマで、人間の傲慢さを動物目線で静かに訴えている。

⑤ユーモア

ともすれば深刻になりがちな社会的テーマが子どもにも受け入れられているのは、そこにユーモアがあるからである。絵本のあちこちに散りばめられた遊び絵に、子どもから大人まで多くの読者の共感を得た。時にドキっとさせられるポストモダンの表現方法は、特にルネ・マグリットの影響を強く受けている。

⑶絵本作家へ

父親を亡くし、絶望の底にいた彼が就いた仕事は、マンチェスター王立診療所での医学スケッチであった。彼が絶望の中で考えたことは、父親の死から逃げるのではなく、病や身体の構造を知り向かい合うことで父親の喪失感を乗り越えることだった。彼は解剖図を絵で精密に描くという医学スケッチの仕事を3年間続ける。彼はここでhow to tell stories in pictures「絵で語る方法」を学んだと言っている。毎日霊安室でランチをとりながら、人体内部の構造=普段は見えないもの を水彩画で精密描写する技術を身につけた。毛で覆われた動物の筋肉や臓器の構造を知れば、自ずと見えている部分の絵も変わってくる。こうして、彼の精緻な画法が確立していった。

「絵本画家」アンソニー・ブラウン誕生に大きな影響を与えたのが、この次の仕事である。
彼は医学スケッチの後、グリーティングカードの仕事を始めたのだ。ここで彼は「クリエイティブなアイデア」と「子どもが喜ぶユーモア」を身につける。「精緻画×創造性・ユーモア」によって、彼の絵本の基調がほぼ定まり、彼はグリーティングカードの仕事と並行して、絵本製作を開始させた。

この2つの仕事は、その後の絵本制作に不可欠な、非常に重要な経験だったと言えるだろう。

⑷受賞歴

1983年『Gorilla』ケイト・グリーナウェイ賞1回目
1992年『Zoo』 ケイト・グリーナウェイ賞2回目
1998年『公園で 4つのお話』 ケイト・グリーナウェイ賞3回目
2000 イギリス人初の、国際アンデルセン賞画家賞受賞

 ⑸グループワークを終えて

チームの皆さんのフィールドがさまざまで、学びが多かった。もっといろんなことをお話したかったが、限られた時間ではなかなか叶わずそれが残念だ。今回初めてのハイブリッド発表に、緊張の余り頭が真っ白になってしまったが、その中でも多くを学ばせていただいたので今後に活かしたいと思う。講評の中の先生の言葉「WhatだけでなくWhyと Howを考えることが大切」この言葉は、今後あらゆる場面で思い出したい。

*    * * * * *

『すきですゴリラ』を調べている最中、表紙の絵からモーリス・センダックの『かいじゅうたちのいるところ』を連想したのがきっかけで、2つの作品を読み比べてみた。
*以下『かいじゅうたちのいるところ』を『かいじゅう』、『すきですゴリラ』を『ゴリラ』と表記する。

4.『ゴリラ』と『かいじゅう』は似ている?


モーリス・センダック「かいじゅうたちのいるところ」

共通点1. 行きて帰りし物語

『ゴリラ』は、現実と空想を行き来する「行きて帰りし物語」だと書いたが、1983年版の表紙を見た時、『かいじゅう』(1963)の中の、マックスがかいじゅうたちと木にぶら下がって遊んでいる、見開き場面を連想した。この構図の類似は単なる偶然だろうか。『かいじゅう』は、「行きて帰りし物語」の代表作とも言える作品である。

『かいじゅうたちのいるところ』と似ている?

共通点2. 子どもの内面と親の存在

『かいじゅう』は、子どもの負の感情(怒り・不満)の爆発を初めて絵本にした作品と言われている。子どもを子ども扱いせず、子どもも内面でさまざまな感情が渦巻いていることを、本作品で世に示した。またそれらの自由な感情の爆発が、親(ここでは母親)の愛情によって守られているということも。マックスは母親の愛情をきちんと感じ、信頼している。だから空想の中で爆発しても、安心して戻って来られたのである。
また、空想の世界のかいじゅう達は実在の親戚の叔母達と、両親である。肩車のシーンでは息子を肩車した父親かいじゅうがとても満足気なのが印象的だ(当然マックスは気づいていないが)。

『ゴリラ』では、ハナの孤独や寂しさという負の感情ばかりが注目されがちだが、実は父親への絶対的信頼も描かれている。前述したように、楽しい夜を過ごした後すぐに報告したいと思ったのは父親で、その後動物園に行く夢は叶う。最後に2人で動物園に向かうシーンは、映画ならハナがこちらをそっと振り向いてウィンクでもしそうな場面だ。

両作品とも、子どもが大人と変わらぬ感情の変化があること、そして親への絶対的信頼を伝えているのと同時に、子どもは親の愛情の元に帰着することで安心する、という普遍的なテーマも伝えている。
そして、子どもの幸せはたべもの=おなかいっぱい ということも、重要な共通ポイントであろう。

共通点3. 視覚表現

『かいじゅう』でのセンダックの余白の使い方は非常に巧みで、物語の進行、時間の経過、マックスの心情の変化を、上下左右の余白の動きで存分に伝えているが、それは彼が舞台演出家であったことが影響している。ページめくりと視点の動きを考えた画面の広がり方は、まるで映画のカメラワークのようだ。
最初の部屋と最後の部屋は同じだが色彩の変化は一目瞭然で、ラストは柔らかな色調で穏やかな温かさ、マックスの安心を感じる。最後の「絵がない」1ページも、視覚的効果は絶大である。

一方『ゴリラ』の精緻画法とユーモアは、アンソニー・ブラウンが医学スケッチとグリーティングカードの仕事で身につけたものであり、加えてポストモダンの遊び絵、枠の使い方、色彩構図により、ハナの心情の変化を表現している。食事シーンの色彩などの対比は、前述の『かいじゅう』の部屋の色彩対比を彷彿とさせる。『かいじゅう』と比べより複雑でデリケートな、父親と娘の父子家庭という関係は、空想のゴリラとその周りの視覚表現によって、夢の実現へと見事に橋渡しされている。 

共通点4. 月

両作品に共通する背景が「月」である。

『かいじゅう』での窓の外の月の変化はマックスの気持ちを表わしており、最初は三日月だった月が、感情を全解放する「かいじゅうおどり」の時に満月となる。帰路の最中も満月だが、マックスの表情は浮かない。部屋に戻り夕ご飯を見た時(=安心への帰着)初めて彼は笑顔になり、かいじゅうの着ぐるみという心の鎧を脱ぐ。窓の外の月はもちろん、満月である。

『ゴリラ』(1983)の表紙背景は満月である。ただし、『ゴリラ』では全編通して三日月は一度も出て来ない。それはなぜか。
欧米には満月を「父性の象徴」とする考え方があり、例えば「オオカミと七ひきのこやぎ」のラストシーンで窓の向こうに見える満月が、父親だという説もある。
『ゴリラ』がアンソニー・ブラウンの父親を投影したものであることを考えると、夜の空想の世界でハナを空から見守っているのが満月=父親であることに不自然はない。特に庭でのダンスシーンでは、ゴリラの頭と満月が完全に重なって描かれており、しかもゴリラの帽子のチェック柄は、アンソニーの父親のガウンのチェックと同柄である。これが偶然とは思えない。
彼は、父親への憧れ、願望、夢を、この場面で昇華させたのではないだろうか。
そう思うと、ハナとの別れを前に、俯いて踊っているゴリラの眼には、涙がにじんでいるのではないかという気さえしてくる。

《感じたこと》

センダックは子どもの怒りや不満の感情を初めて絵本にしたが、アンソニーは社会の負の側面を子ども視線で描いた。2人とも「負」に着目していることに注目したい。

センダックはユダヤ人で、幼い頃から身の危険を感じることも多くあったと語っている。アンソニーは目の前で父親を亡くすという衝撃的な経験をしている。そんな2人が、可愛く聖なる子どもではなくその内面の不満に、平和で裕福な家庭ではなく離婚や孤独に目を向けたのは、当然のことなのかもしれない。そしてそれが紛れもない「真理」だということが、一番重要なのではないだろうか。

ただしマックスとハナの環境には違いがある。『かいじゅう』で描かれたマックスの不満は、平和な家庭環境の中で解放されたものであった。20年後に『ゴリラ』で描かれたのは、子どもの力ではどうしようもない、いわゆる外圧的孤独である。

最後は2人とも親の愛情に帰着するのだが、私は、2人がママとパパが大好きなどこにでもいる普通の子どもだということに、本当の「普遍」を感じてほっと安心する。
喜びも怒りも孤独も憧れも、大人と同じ感情が子どもに内在するということを、大人は忘れてはならない。

さて、『かいじゅう』の初版は1963年でアンソニーは17歳。この年彼は父親を亡くしている。なんという偶然だろう。手元にある資料では2人の接点を見つけることはできなかったが、今後のアンテナが増えたと思うことにしたい。

5.絵本探求ゼミ3期を終えて


3期で絵本の賞と受賞作品を学びましたが、今まで名前だけしか知らなかった賞の背景や相互関係を知ることができました。賞も時代の流れの中で、求められるもの、そして評価することが変わってきているのではないかと感じています。
また絵本にしても、単体でよく知っているということと、その作品を作っている縦糸と横糸、厚みを知っているのとでは、伝え方に雲泥の差が出ることがよくわかりました。

もう一つ、私にとっての大きな学びは、グループワークも含め、調べたりレポートを書く過程で「学ぶこと」を学んだことです。
1つ知れば1つ疑問が浮かび、網の目のように興味と好奇心がどんどん広がっていくのを感じていました。そして学生とは違い社会人が学ぶ時、現実問題として、環境や経験、知識に加えて、生活の中でのバランスのとり方など要領やスキルによってもその到達度が変わることも実感しました。このことに気づかせてもらえたのも、このゼミのお陰だと思っています。
先生が第一回目で言われた「人と比べない」「講義内容は一つだけれど、学ぶ内容は人それぞれ」という言葉の意味が、ようやくわかってきた気がします。いろんな意識が、大きく変わった半年でした。

4期の目標は「3期の自分を超える!」です(言ってしまった)。

ミッキー先生、チーム3ラビットの皆さま、本当に有難うございました。
そして4期もよろしくお願い致します。

 【参考文献など】
http://www.anthonybrownebooks.com/my-biography

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