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正直に「Oh No! ○○さん嫌い」と声に出したさ

今です、今。noteを読んでて目にしちゃったとある名前を見て。

私はもともと好き嫌いが激しい。なんだろ、偏りがある。食べ物で言うと偏食という表現があるのが、物や人にも当てはまる感じである。

日本ではなんでハッキリNoって言っちゃいけないのか、アイツ大嫌いと大声で言っちゃいけないのか、大人になっても分からない。嫌いなもんは嫌いなんだから仕方ないじゃんと思うのに、やれ配慮や、やれ気遣いや、やれ空気を読めや、マジうるせぇ。しらんがな。

最近、仕事で問題を起こしまくっている人の対応に追われ、スタッフが「こいつ許せません!罰を与えましょう、罰を!国から追放したいです!」とか結構マジで言っていて、とてもいいなぁと思った。私も心からtotally agreeである。そして「うん、私もこいつ大嫌い。早くこの対応終わらせて忘れたい」と言い、それまでイライラさせられてうんざりしていたが、言葉にした途端スッキリした。

もちろん場所はわきまえる。ある程度。でも嫌いと宣言することや、NOを言うことは悪いことじゃないと思う。それよか、配慮とか気遣いとか銘打って、まわりくどく私の大嫌いなフレーズ「あなたのためを思って」とか「否定しているわけじゃなくて」とか言ってくる人の方がよっぽどダメだと思う。いい人ぶって自分を守ってんじゃねーよと思うのである。ぜひとも話しかけないでいただきたい。

嫌いは負のエネルギーである。

だから言葉にして自分の中から出してしまえば楽になるんだと思う。ただし、ここで空気を読む話になってしまうのが、自分から出て行った負のエネルギーが誰かに届いてしまうことがあること。これが配慮なのかもね。完全に周りを無視して言うのは違うと思う。けど時と場合による。反対に言えば、同じ負のエネルギーを吐き出して昇華させてしまえる人たちの中では出しまくった方がいいと思う。

何が言いたいかって、今日一人でPCでnoteを読んでて、とある方の名前を見つけたときに無意識に「あ、無理無理。○○さん嫌い。超嫌い」と発したことで、それまでは名前見て「うっ・・・・」となってたのが、嫌いと声に出したことで爽快になった。やっぱり私、シンプルにこの人嫌いなんだって認識したら楽になった。顔も知らぬ人だけどシンプルに嫌いでよいのだ。

なーんだ、簡単なことじゃないか。

嫌なものからは距離を置いていいし、嫌なことを嫌とちゃんと言っていいのだ。やれ配慮や、やれ気遣いや、やれ空気を読めはそこそこでいいのだ。自己中な私が考える自分ファーストはそういうことなんだと思った。

エムグラムより

どうも、人間関係を壊す因子の数で特に注意が必要と判定されたものです。自分の中で色々と線引きしていったらすごく楽になったけど、世間的にはやばい奴なんだろうなと思うのである。