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クズの涙

急に情緒不安定。

録画している去年のバレーボールを見てたら勝ってるのに泣く。チームプレーとか、一点を必死でもぎ取っていくのとか、そんなの見てたら泣く。だいぶきてる。

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私はあんまり尊敬する人とかいない。尊敬に値する人がいないとかではなくて、子どもの頃に母親に「あんた、ふつう尊敬する人には母親って書くんじゃないの」って言われたのが今もなんか嫌で、人を尊敬するということ自体になんとなく否定的なままでいる。

そんなやさぐれた自分だけど、最近noteにてよく読んでいる方々の思考、物事の捉え方、対峙の仕方を見て感じていたら、いいなぁと思った。これが尊敬なのかは正直分からない。でも私もこんな大人になれたらいいなって思った。そしてなれそうにない自分にがっかりした。そしてまた泣く。

私はとにかく母親が苦手である。だからこそ「こんな母親もいるんだ」みたいな斬新な人に出会う時、感動すると同時に怖くなる。うらやましいと思ってる反面、果たしてこのクズみたいな私がこんな素敵な母親のもとで育ったとしても、結局クズみたいな私になるだけなんじゃないかって。なんでもかんでも母親のせいにしているだけなんじゃないかって。そしてまた泣く。

自分で勝ち取ってきたものがあるけれど、ふと立ち止まったとき、あまりに自分が持ってないものの大きさに慄いてしまい、苦しくなる。無意識に抑え込んでいた不安が一気にせり上がってくる。多分そういう時期なんだと思うけど、実際はさておき表面的にでも何も問題ないように過ごしてる人を見ると、うらやましいのか何なのか分からない感情で発狂しそうになる。それができない自分がゴミクズなんじゃないかと思う。そしてまた泣く。

病みなのか闇なのか、とりあえず落ちてる。

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昨日はなぜかやたらと同僚から電話がかかってくる日で、ゲラゲラ笑いながら楽しく過ごしていたのに、今日はこの負の大波に飲まれる。まさに情緒不安定。今日はもう、食べたいものも、やりたいことも、何にも分からなくなってしまって、生きる気力がない。力が入らない。立ち眩みで倒れそうになる。毎日眠れないし。

苦しくて泣くのはいいのだろうか。一人がいいって思うけど、それでもこういうとき、一人で乗り切れないとき、私は一人を選んでる自分を責める。結局自分が一番嫌いなのかも。