見出し画像

器用貧乏。コレだ!というものがない

私には子どもの頃から、コレだ!というものがない。

運動神経とにかく悪い。球技はすべてダメ。唯一、水泳だけは人よりちょっとできるけど、それでもクセ強めの泳ぎだと自覚ある感じ。社会人になってからヨガやジョギングは少し続けていたけど、それでも環境が変わったら自然とやらなくなったり、飽きてやめてしまった。

習い事も続かない。水泳は教室が閉鎖しそのままやめた。ピアノ、体操。どちらも中途半端。部活も続かなかった。

趣味も一貫しているものはないと思う。唯一、音楽を聴くことは好きだけど、好きなだけ。ライブに行ったりはしない。読書も続けているが、これも好きだから。本の虫だった頃もあったけど最近はそうでもない。一人カラオケ、たまに行く程度。散歩、歩くだけ(笑)

仕事について考えている中で、私の転職回数が多いことはとにかく飽きっぽいことにも原因があるのではと気づいた。続かない。とにかく続かない。継続は力なりという文化の中で、私はすぐやめてしまう。

しかし仕事においては、意外と何でもそこそここなしてしまえるのが幸いしているのか、慣れるのは早い。だから重宝される。ただし飽きるのも早い。もしくは周りでゴタゴタしていると自分の仕事に集中できなくなり、結果として無理になってやめる。本当は続けるべきだったこともやめてきた。

以前テレビで、関ジャニの安田君(たしか同い年)が「自分は器用貧乏だ」ということを話していた。ただし彼は、貧乏どまりにせずにどれも極めてやるという気持ちで極めたと言っていた。私との決定的な違い。

先日、最終選考まで行ったところがダメで、ふと自分の経歴を振り返ってみて、傍から見たらなんて一貫性のない経歴なのだ、と思ってしまった。自分の中ではその時その時の決断があって、辞める理由も次に選んだ仕事も筋が通っているのだけど、他人から見たらそうではないことが分かった。

オリンピックを見ていて、それぞれの選手たちは自分にとってのコレだ!という競技に全身全霊をかけて取り組んできたと思うと、私は一体何をやってきたんだろうと思ってしまう。もちろん達成してきたことはあるし、スキルも持っているが、それ以上に私のブレブレの経歴が自分の首を絞めているのだと痛感した。

やはりもう一度、自分と向き合う必要があるのだなと、オリンピックの開会式の途中で寝落ちして、朝3時に目が覚めた頭で録画したものを見ながら思うのであった。

この記事が参加している募集

#振り返りnote

85,359件