願うことは無責任なのか
いちばん好きな花で、みんなが美鳥ちゃんの何かを願っていた、というのを見て、他人の幸せを願うのって無責任なのかどうかって考えた。
久々のアルコールでふわふわの極みなので支離滅裂な予感。という言い訳。体調不良にビールぐびぐびは効くのである。
よく分からないが、最近元夫のことをちょこちょこと思い出している。
私の人生にて間違いなく大事な人である。もう二度と会わない・また絶対会えるのちょうど真ん中くらいの存在である。つまりばったり会うのかもね。
離婚するとき、私が一方的に、私の意思で、離婚を押し通した形となった。私が違う誰かと関係をその時もっていたこともあるが、それがなかったとしても私はきっと別れる選択肢をいつかしていたと思う。コロナもあって、やたらとスピーディーに離婚まで成立したけれど、相手からしたらきっと不完全燃焼もいいところだったと思う。
ぶっちゃけ結婚してるときや結婚する前に付き合っていた時は、こんなにも人を憎んだことがないってくらい憎んだり、嫉妬したり、勝手に傷ついたり、そういうことがあったけど、別れてしばらくして、今はもう彼の幸せを願うだけ、それだけになった。そして幸せになる相手は私ではない。私といたらあなたは不幸になる、その確信だけはあの時から今まで変わらないし、なんなら濃くなっていっている。
いちばん好きな花を観ていて、やっぱり大切な人だから、自分には何もできなかったとしてもその人の幸せを、幸せまでいかなくても穏やかな日常を願うってあると思った。傍から見たら無責任なのかもだけど、それでもそうしたい気持ちは誰にも否定されるべきではないとも。
こんな人間なので、大好きな友を何度も失ったし(ほぼ絶縁みたいな人たち)自分を大好きでいてくれるけど私がそれに応えられなくて疎遠にしてしまってる人もいるし、そんな人たちのことをSNSを見てたらふと思い出して懐かしくなって、やっぱり幸せであることを祈ってしまう。そして祈っちゃってる自分にちょっとびっくりし、あんたにはそんな権利ないだろうと思う。でも祈ってしまう。きっと大事だから。今限定ではなく、きっと前もこれからも含めて。
ドラマで、4人の共通の知り合いだった美鳥ちゃんにそれぞれが再会するのを見て、会いたい人や節目でお世話になった人はまた会えるかもしれないって希望をくれた。絶対ではないけど、会えなくなくはない。日本語の難しいところである。会えるかどうかを全否定しなくていいのだ。
PMSとメンタル疲労が重なりぐったり。そこにビール。ビール。そしてビール。気持ち悪いのに、ふわふわと気持ちが良い。このままベッドに行くと気持ち悪くて目が覚めるので、もう少し酔いを覚まそう。