【超凡人な20代のあなたへ】死について考えたことありますか。
超凡人な私が感じてきた「死」について
死んだらどうなるのかな、あの人が死んだらどうしよう、夢で家族を殺してしまった、顔も見たことない親族が死んだ……人それぞれ、何かしら、ぜったいに考えたことがある「死」。
私は死ぬことに対してひどく怖がっていると思う。同世代の人たちに比べると余計に。
しかしそれは、自分の死ではなく、「他人の死」に対してだ。
ペットが死ぬことを想像すると3秒くらいで涙が出てくる。両親が死ぬのを見たくないから自分が先に死にたいとも思う。(親不孝) 友人と拉致られたとしたら私の方を真っ先に殺してほしい。
死を目前にすることが何よりも怖く感じ、それは私を泣き虫にさせる。
ちなみに霊感は全くないしスピリチュアル系はあまり信じていない。
こんな私の過去は、実に強がりで人前で泣かないたくましい少女だった。悲しみなんて感じないぜ!と言わんばかりの負けん気の強い子だった。
今の私だったら絶対に友達にならないタイプだ。
そんな「かつての私」を「死の恐怖で怯える私」に変えさせたエピソードがある。
幼なじみのお母さんの死だ。
母親、父親の片方が死んでいる人はそこそこいる。シングルマザーの元で育てられた私の友人も何人かいる。両親とも事故で亡くしている友人もかつていた。
しかし我が家は健康体が揃っている。
では、こんな一般家庭の凡人が、この幼なじみのお母さんの死に何を感じたのか。少し長くなるが、話していく。
第二の家
写真は保育園で自転車を乗り回す私。(一番左)
溢れ出る自信を感じる。。。
私はこの保育園が心から大好きだった。保育園に育ててもらったと言っても過言ではない。
母はよく、「あなたが左利きになったのもおむつが取れたのも歩けるようになったのも全く覚えがない」と言う。それくらい、保育園は共働きの両親を持つ私の成長の場だったのだ。
何よりもここで出会った友達が大好きだった。つまり、幼なじみという存在だ。
中でも家が近く、家族ぐるみで仲の良かった子がいる。ここではA君とする。
両親の帰宅が遅い時はA君の家でごはんを食べ、お風呂に入り、寝た。第二の家だった。
「◯◯ちゃん(私)、なに飲む〜〜?オレンジジュースか、牛乳か〜…」
毎回そう言いながら冷蔵庫を開ける姿が今でも鮮明に思い出される。A君のお母さんだ。
優しくて、あたたかくて、きれいで、私が大好きな人だった。すごく私のことを褒めてくれた。A君も私もひとりっ子だから兄弟のように見えてたのかもしれない。
初めて人前で泣いた日
乳がんだったと思う。私が小学4年生くらいの時に病気になり1年ほどで亡くなってしまった。早すぎる死。
自宅で亡くなってすぐ、母は「まだ身体があたたかいうちに」とA君のお父さんに呼ばれ、最期の姿に会いに行った。
私は、行けなかった。
「家にいて」と母に言われたような気もする。あまり覚えてない。でもその時私は全く実感がなかった。悲しい気持ちはあったが、よく分からなかった。ただただ、A君のことが心配だった。
その日のことはそれ以上覚えていない。
そしてお通夜の日。私はこの日のことを一生忘れないと思う。
学校の人が大勢きた。クラスの友達も全員。真っ黒の服を着てみんな集まってた。A君と全然親しくないやつも来てた。全員参加だったのか?よく分からない。この日は少し雨が降っていたと思う。
私はあり得ないくらい、不謹慎なくらい、明るく振る舞っていた。今思い返しても私の行動はおかしく迷惑なものだったと感じる。
参列者が焼香するために並んでいる列に友達と並び、何かを話して笑いながら順番を待っていた。A君への色紙を書いていたため、その誤字にみんなで笑っていた。(なぜ色紙を???励ますために色紙??そこは覚えてない。。)
視線を感じて振り返ると、私の後ろの後ろくらいに当時の担任が並んでいた。こちらを冷ややかな見ていた。いつもならこんなにうるさい私たちを注意するだろう。この日は何も言わず、とてもとても冷たい目でこちらを見ていた。
分かっていた。
自分自身も何かおかしいと思っていた。
だから、冷たい目で見られていたことに気づいたとき、驚いたことに、その担任に対して少し憤りを感じたのだ。
(私の方がA君のこともA君のお母さんのこともよく知ってるのに!知ったような顔するな!)
と。この時点で多分、感情がぐちゃぐちゃだった。
列が短くなり会場内に入れた。A君の姿が見えた。泣いていた。それでも参列者に頭を都度下げていた。えらい、すごいと思った。この時には私の笑顔は消えていた。
焼香の番が来た。
やり方が分からず、母の隣で見よう見まねで行った。
手を合わせた。
私は声を上げて泣いていた。
後ろに並ぶ友人は驚いていたが、何も言わなかった。
初めてだった。人前で泣くことが。
小さい頃は泣くことはそりゃあったと思うが、少なくとも友人たちの前で、人がたくさんいるところで、泣いたのは初めてだった。
「◯◯(私)が泣くところ見たことない」とよく友人に言われていた私が急に泣いた。
母と列を離れ、そこからもおいおい泣いた。
母も泣いていたかもしれない。恥ずかしくて顔があげられなかったから分からないが。
数分後、ふと我に返り、トイレに駆け込んだ。
トイレの個室でまた少し泣いた。トイレットペーパーをぐるぐると巻き取り、鼻をかみ、顔を拭った。
涙が止まらなかった。
思い出は色褪せない、だから辛い。
手を合わせた時に頭を駆け巡ったのは、A君のお母さんとの思い出だ。一緒に過ごした日々ーーー。
無論、息子であるA君に比べたら浅い思い出でしかない。
しかしそれは誰かと比較するものではない。
その人への愛、時間、エピソードはそれぞれの感じ方があるからだ。
私は本当にA君のお母さんが大好きだった。心の支えだった。同じ年齢の子達に比べると少しませていた私だったが、こどもとして扱ってくれることがなんとも心地よかった。私の好物を理解して作ってくれることも嬉しかった。友達が少ない私の母と仲良くしてくれていることさえも、嬉しかった。
最期にありがとうと言いたかった。
「思い出は色褪せない」とか歌なんかでよく言うが、本当にそうだと思う。忘れられない。生活していて急にまざまざと思い出すこともある。
それが美しく語られることが多いと思うが、私は色褪せないことがしんどい。いつまでも思い出してしまう。もう会えないと思うと心が痛い、涙が出る。
だから怖い。愛する誰かが死ぬことが怖い。
先にいかないでほしい。
思い出を止めないでほしい。
こう思うのは私の弱さであり幼さなのかもしれない。
その通夜の日、A君には声をかけられなかった。また自分が泣いてしまう気がしたからだ。この私の意地っ張りな性格はこの日までになった。
最後に
A君とは今でも遊びに行ったり飲みにいったりするが、あの時の話はしたことがない。
A君はお母さんの死をどう乗り越えたのだろう。色褪せることない思い出に"どう立ち向かってる"のだろう。
いつかそんな深い話をしてみたいが、まだ照れくさい年齢だ。きっとお互い、A君のお母さんのことは死ぬまで忘れないのだから急ぐ必要もないか。
いつか、死に向き合える人間になりたい。
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