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死んだらええねん!って死んだ人に叫んでも 8

番外編 昔ね、お墓で主人の彼女と鉢合わせしたことがあるんですよね。

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


旦那への怒りは随分収まったけど、


私の中に「ひねくれ満載」で皮肉めいてた頃があってね。

命日でもない
月命日でもない

なんでもない平日の夕方に
ひとりでぶらりと
主人のお墓参りにいくこと「が」習慣でした。

その日(命日や月命日)にいくことは
「自分が負けと認める」みたいで悔しかったんですよね。

なにに勝負してるんだろうね。

なぜひとりなのかというと
誰かと行くと
自分のペースでいられなくて、
素直になれなくて

シャカシャカ掃除して
形だけ「やってやってるんだ」みたいなフリを
相変わらずやっていたのです。

本当は春はとくに

学生時代、花屋さんのバイトをしていたという主人の
好きな花が出るのを見計らって持っていきたかったの。

でも、それを自分がしていることを
「知られる」ことがいやでした。

相当意地はってたのよね。

主人がなぜその花が好きなのか。

まあまあ、ここまで読んでくれた人は

やっぱり!ゆうあの旦那!ってなるかもですが

ここはよかったら、笑って聞いてください。

で、「あほやなあ」て聞き流してください。(笑)

主人は「ポピー」という花がだいすきでした。

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いろんな種類があるのですが

色とりどりで

とてもかわらしい花です。

お花屋さんでは3~5月くらいくらいに

ひょっこりと出てきます。

うっかりすると見逃すくらい。

主人がポピー好きだった訳なんですが。

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「つぼみ」なんです。

わたしはこのつぼみから

花がでてくるのがとても好きだった…

なのに!(笑)

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主人はこの「つぼみ」のことをですね、
男性の睾丸にそっくりだと!

なので我が家では
このかわいいポピーって花のことは

「○玉」→「キャンタマ袋」
呼ばれていたのでした。

今始まったことではないですが、
お下品ですみませんね、ほんと。

今思うと
この花を買ってくると主人は
いつもご機嫌だったなあって思いだしました。


たぶん大学時代、
よい先輩と花屋さんを楽しんでいた頃の
懐かしさがあったのでしょう。


で、わたしもね
主人のこういう(下品な?)ところ
大好きだったはずなのですよ。

いつから、私はそんな話をする主人を
「アホ」とか「なにいうとんねん」とか
無視したりとかしていたんだろう…。


私がポピーを飾っていると


「お☆」と
嬉しそうだったことを
よく思い出します。

そんなで
私は
ポピーを買うときも
ポピーを持ってるところを人に見られるのも

なんかちょっと照れます。(あたしも変やな)
深く考えすぎだと思います。

で、このときにあったこと。
当時こんなふうに書いていました。

我が家からお墓までは車で15分ほど。

山を登って
その日もポピーを手に登っていきました。

到着しても

シーン・・・・・な墓地。
流れている川のせせらぎの音だけが聞こえてきます。

主人は
永代供養されているのですが
(今はお墓に入っています。)

みるとそこに
「一人だけ」人が立っています。

一面墓地の中に
私とその人ふたりっきり。

まあ・・・・仕方ないか。

ちょっと残念だけど
ずっといるとは限らないし
とすすむ私。

近づいていく後姿に私は焦点が
合っていなかったのですが

近づくにつれて
焦点はそこにしかいかなくなりました。

驚きました。
主人の彼女だった女性でした。

もちろんお葬式以来。

近づいていくにつれて
決定的になる現状。

時間的に一瞬だけど
ものすごくグルグル考えましたが

とっさ的に私がとった行動は
彼女の横で
「キャン☆」を生けて手を合わすことでした。

何秒か、何分かわかりません
もっと短かったのかも。


ものすごい早足で
去っていく足音だけが響きました。

彼女が
気付いたかどうかはわかりませんが
驚いたやろな…。

手をあわせながら
これの意味って
なんですかね・・・・・と
主人に問いかけておりました。

当時は
「殴ったらよかったのに」という人までいたと
書かれています。

過激やわ~。(笑)

でね。

当時はこんなことも
書いていました。

もしかしたら

「怒り」「憎しみ」「嫉妬」の感情が
沸いてくるのかどうかのテストだったですか?

ヨユーナンダヨコレガ(笑)

これね、違うんですよ。

当時ね

私、このとき

人生得意技だった
「勝った」って思ったんです。

なんだかんだあったって

私が戸籍上の妻だった。
(なんかもう昼ドラか大奥の世界やな)

そして
ポピーのこと知ってたの
私だけやわ。

わたし 勝ったわ。ってね。

私、ずうっとこんなふうに
人生の中の「勝負」にこだわり続けてて

要は
自分の世界で「勝利した」ってなったから

自分的に納得やら満足やらなんやらしたんやなあって。

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人生には
「勝ち」「負け」や
「いい」「わるい」っていう
分け方以外の世界があるんだって
知らなかったころの私の世界。

でもそのときは
それで、一生懸命やった。

もしも

かみさまが
いろんな「偶然」を
用意してくれているんだとしたらね。

わたしはこうして
いろんな「偶然」やら「必然」やらに
巡り合うことで

自分の知ってる世界以外が「ある」んだっていうことを
掴んできたんだなあって思います。

ほんとは

偶然ではないのだろうな・・・・

お試し?www

こういうのなんなんだろうね?w

(中略)

でも

だからこそ人生はおもしろいのかな♪

生きているからこそ、味わえること。

そうやね。
気づき始めていたんやね。

生きてるからこそ
味わえる感情があること。

今、

わたしはそんな過去を
ないことにすることよりも

湧き上がる感情を
生きてる証として大切に受け取って

そしてどう生きるか自分で決める。

過去を振り返ることも
しがみつくことも
無理に思いだすことも必要だとは思わないけど

わたしは

過去からもらったギフトとともに生きてるなあ。

そしてこれからも
生きてるからこそ味わえるこの感情を味わいつくして
生きたいって思ってる。

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気づいたら、
お散歩先にも、家の庭にも

ポピーはこの季節、つよく、さりげなく
風にのってやってきてる。

いつもいつも。

△▼△▼△▼△▼

残念ながら
主人があの世からメッセージをくれているんではなくて

「生きてる私が主人からのメッセージとして
受け取って」
生きてる。

この違いこそが「愛する自分の人生を生きてる」証。

ポピーの花言葉。
「なぐさめ」「いたわり」「おもいやり」
「恋の予感」「陽気でやさしい」「想像力」

月日とともに風化する思いは
きっとあるけれど。

ありがとう。

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