自分の責任を避け続けるところに自己成長はありえない
厳しいタイトルですが、全然厳しくない。
過去の自分の自戒がほんのちょっこりはいってるやつです。
本来なら今日書くべき記事は完成していたのですが、昨日書いたときの感情が全くないほど薄れていたので、
これもうすでに必要はないと感じ、記事を削除することにしたんですー。
昨日公開しても、今日公開しても問題はなかったのですが、
覚えていて自戒などにするようなことではないなと、
スッキリ忘れる方向に進むことが自然だと感じました。
こんな気持ちにあまりなったことがないので不思議です。
「忘れなきゃ」でもないんですよね、なんともー。
人って怒りを感じた後、6秒間待つことで冷静になれるという話がありますが、
怒りの背後にある悲しみや寂しさは別の問題なような気がするんですよね。
自分を大切にする過程が必要だと。
背後にあるものに気づくまもなく、そのときの怒りを他人に向けるのは簡単。
でもそれによって生じる影響が多いのは
周知の方も多いのではと思います。
人生生きてるといいことばかりでは決してなくて
もしも、怒りや悲しみの場面に遭遇したとしたら。
そんなときこそ、
今これからの自分の成長に集中することが大切だなと思います。
周囲を責めて自分の責任を回避している間って自分の成長には目を向けられないよね。
「いつも同じような大変なことが起きる」
「いつも人とうまくいかない」なんていうのは
必ずしもではないかもしれないけど、その都度自分に責任があることを避けてるんだろうなあ。
自分が責任を取るということは、自分の感情を押し殺すことことでもないしね。
自己責任が育ってくると
人は過去の経験から学び、自分らしい対応を見つけていくことが容易になっていく気がしました。
やり方じゃないんだよね。
だからこそ、普段からの自分らしさとは何か、大切にしたいなと思いました。
とりま今回は忘れていい案件にしたら、ラクで体調も回復した♪
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