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こんなに大変です☆借金返済への道 2


35000000から10000000ひいてまた10000000たしての…計算終わらんはなし

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


〖いきなりですが、借金編こぼれ話。〗

借金発覚から数年たってわかったこと。

ずうっと8社から借りていたと思っていた借金は
11社からだったということが資料が残っていました。

訂正いたします。(笑)

全部弁護士さんが動いてくれていました。
私の知らないうちに。

もう、辛すぎて封印したのかな?と思われる金額の明細についての記憶なんですけど、
読み返してみて、うっすら(笑)蘇りました。

一社ずつ掛け合っていくこの作業。
有能な弁護士さんのお仕事でも完全解決までに数年かかりました。

なんてったってアイドル
じゃないわ。

なんてったって11社だもんなあ。(遠い目)


3500万がどうして返済できたのか。

たくさん起こってきた「タイヘンだったこと」の中で、
一番最初に動き始めたのは実は「お金」に関してでした。

借金の返済自体に関してはもっともっと先になりますが、

まずは!

「50円玉ふたつ」「もやしの半額を待つ」状態からは
早く脱却できました。
当時はひもじくて、本当に長く感じましたが。

借金とりさんからの「奥さ~ん、いるのはわかってるんだぜ、返してもらお~か、ドンドンドン」
…の恐怖も、回避できました。

もしかしたら
「ツイてただけじゃん」なのでしょうか・・・?

正直この頃の私はまだまだいろんなことを他人のせいにしていました。

怒ってたし、呪ってたし(恐いわ)
ひどい悪態ぶりです。

あのころのあんな私も神様は見捨てなかったんだなあ…。
としか、当時のことを思うと考えられない

そんな、ミラクル借金返済への道。

思うだけで胃がキリキリするようなこの膨大な借金も
本当に急展開します。

が、

正直
時系列がぐっちゃぐちゃだし。

周囲に怒ってきたことが先なのか
自分の思考の変化がどこにあったのか

激動すぎました。

このままだとこじつけで自分の変化をええ恰好しいして
でっちあげそうになってるので
ここはあったことを淡々と語ってみようと思います。


とにかく。
当時は「必死」でした。

そして、
そんな中で

やっぱり「怒り」「嘆き」「呪い」ながらも

「今までのままじゃ、タイヘンだ。」
「なんか、変わらなきゃ・・・・」
と思っていたことだけは確かです。

方法は知らなかったけど。

とにかく、ひとつひとつ

いろんなことが変わっていく間の私は
嵐の波の中のもうすぐヤバイ船!みたいになっておりました。

ひとつ
キャ━━━(*´∀`*)━━━ !!!!!
ってすすむことがあって

正直すすんでも得したわけではないので当時は
まあまあなよろこび。

で。次の瞬間

 _| ̄|○ il||liモウダメ、モウイヤ。

みたいな。

今ならわかるんですよ。
ひとつの状況を

少しずつ、すすんでいる
ととるか

全然すすまないし。
なんでこれあたしがしなきゃいけないんだ。そもそも。
ってほうに意識をむけるかで

現実が変わってくること。

でも今思いました。

客観的にふりかえるとしたら。
「あの頃のわたし」は
その状況の中で、ほんとうに精一杯がんばっていたんでしょうね。

もちろん当時は
「自分を誉める」なんて世界を知ることもなかったです。

思いや方法に少々いろいろ難あったとしても(笑)
「きっと一生懸命だった」んだね。

今の私が誉めてあげよう。
そう思います。

当時の話に戻ります。

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ある日
とある信販会社の説明書が出てきたので
いやいやながら、もう一度みてみました。

もう自分でなんともならんってなってたし

そしてすべての書類は
弁護士さんに預かってもらっていたのですが

なんだか、気になるものが一社あったのです

○○○○○生命?

生命保険会社から1000万近く借りていました。

あれ?もしかして・・・?

弁護士さんに聞いてもらってもよかったのだけど
気になって自分で電話してみました。

・・・・・・・・・・・

お亡くなりになった方のお借入れ金の件ですが

ご本人がお亡くなりになったということですので
お返ししていただく必要はありません。

・・・・・・・・・・・

キャ━━━(*´∀`*)━━━ !!!!!

神さまはおる。と思いました。(勝手)

まさかの1000万減額!
数時間後に弁護士さんからも同内容の連絡が来ていましたけどね。

すごーーーーーい!

↑かなりテンションあがりました!!

まだ2500万あるってことを
「一瞬だけ」忘れました。

・・・・フッ

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この出来事のあと間も無く
私の退職金や主人の退職金が振り込まれました。

今までの自分に全く関係なかった「ゼロ」がいっぱいついた書類が目の前に現れました。

ここでまたもや「ストレス」
すぐ使えるものでもなければ、どこにおいておけばいいかもわからない。

ぼんやりしていると何年ものの定期や、
生命保険やあとは投信なんかのお誘いもきますが、

今の状態でできるわけがないので、
頭をスックリさせて流されてはいけないプレッシャーで
カリカリしていました。

なんか、
お金が「ない」のか「ある」のか
よくわかりません。な毎日だったなあ。

相続放棄をすることはやめたので、
家のローンは主人の分は支払わなくてよくなったものの

相変わらず私の分と住まなくなった義理の弟の分をダブルで支払い続けることになっており、

来るべきボーナス月の返済も近づいてくる。

あたし、無職なんですけど・・・・

ムリ、無理やん…

銀行に相談にいきました。

そして、住宅ローンの返済を繰り下げて「長期化してもらう」ということを決断しました。
(70歳まで払わないといけないけど・・・・・)

ゼロがいっぱい目の前を通り過ぎていくのだけどこの時点で全くもって将来になんの光もみえませんでした。

必死のパッチだよ。(死語)

ただね。
すこーしだけ気持ちが緩みました。

ここからはもう
50円玉2枚にはならないってこと。

しばらくは

死なないで生きられるだけのお金はしばらく入ってくる。
(傷病給付金をいただいて生活しはじめました。)

そしてここからさらに
遺族年金の受給の申請をすることができました。


そして、母子家庭になったから
免除や減額になるお金ももう少しすれば施行になる。

借金に不安がないわけではありませんでしたが

なにより
贅沢はできなくても

ああ、生きれる…(じんわり)

って思いました。

借金取りから逃げる生活じゃあない。
いまのところ差しおさえとかもない!

風俗で働かなくてもいいわ。
(これには相当ムリ感があったようです)

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もやしくらい好きなだけお食べ。
半額待たずとも34円のときに買いなはれ。

このころ

普段、自分がお金を出すときや払うと決めた場面では
「ありがたいっていう気持ちで出してみよう。」
って決めました。

まだまだ、怒ってたけど
一歩、すすみました。

ジムにいくことを決断したのもこの頃でした。
「自分のために出すお金」
は、当時ものすごい罪悪感がありました。

だけど

どうせ使うなら大切にポジティブな気持ちで使おう。
感謝して☆

そう決めました。

本心からこうなるのには、時間がかかりましたけどね。

いろんな意味で繰り返して思考に沁みこませるには
やはり習慣であり、時間も必要だったです。

ただ
「お金が全くない」からの脱却が
すこしだけ当時のわたしの思考をゆるめてくれました。
わたしの転換ポイントの小さな第一歩。

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