推しという存在~どんな感情?~

先日、横川良明さんの「人類にとって『推し』とはいったい何なのか、イケメン俳優オタクの僕が本気出して考えてみた」を読み、自分にとっての推しという存在について改めて考えてみた

週末に参加した読書会でこちらの本を紹介した際に、「推しってどういう感情なの?」「推しってどのぐらいになったら言っていいの?」という疑問があがってきた

読書会ではこの本を軸に話をしたけれど、ここではそれに加えて、私の思う「推し」について語っていきたいと思う

横川さんはそもそもなぜ「応援する」ではなく「推す」なのか?
という問いに対し、「推す」とはつまり「推薦する」ことと述べている

激しく共感!!!!!!!!
私の推しはこの人です!こんなにいいところがあるんです!
私はこの人のことを応援している!ということを胸を張って宣言したい
推しがいかに素晴らしいかを広めたい

なぜこんなに推しのことを広めたいのか?
私が思うに、推しのことを「好き」であると同時に「尊敬」しているのだ

「推しのこういうところを尊敬していて、いつか自分もそういう人になりたい」「自分にはとてもできないけれど、それをやってのける推しが素晴らしい」

自分がいいと思ったものって人に教えたくなる
自分が感じたハッピーな気持ちを他の人も感じることができたらいい
それがどんどん広がっていって笑顔になる人が増えていけば、もっと楽しく幸せに生きやすい世の中になるのではないだろうか
そんな気持ちが「推し」という言葉に繋がっているのだと私は思う


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