見出し画像

やめませんか?-Pause and Reflect-

こんにちは、結愛/米太郎です。


さて、本題。の前置き。

私達は、普段、多種多様な繋がりの中で生きています。多種多様な繋がりというのは、人と人をはじめ、人と動植物、物、概念などの様々な事をここでは表しています。ここでは、直接的・間接的を問いません。

そう考えると、人は、膨大な数の繋がりを有していることになります。人生100年時代と言われる長い生を全うした時には、数え切れないくらいの繋がりを有しているかもしれません。今でももう既に、ある人は、数え切れないくらいの繋がりを有していると思います。

だからこそ

だからこそ、私達は、その膨大な繋がりを取捨選択しなければならないように作られています。全ての繋がりを受容することは、人にとっては、許容しきれないくらいの計り知れないエネルギーを持っていて、寸胴鍋のような大きな容れ物を持っていたとしても溢れさせる或いは破壊することは容易いでしょう。

私は、人には許容可能なエネルギー量は、個人差はあれど先天的に決まっていると考えています。これは、どんなに経験を積もうとも、生まれた段階で決まっています。例え、どこかのタイミングで、1人用鍋から3,4人用鍋に大きくなってもです。逆もまた然りです。

また、この世の全てには個性があり、人もまた例外ではありません。私自身も様々な要素をかけ合わせてできています。日常・社会生活における得手不得手もあります。それは、皆さん同じだと思います。

さて、本題。〜私達は何と共生するのか〜

今回の記事で考えていきたいことは、私達は一体何と共生するのかということです。

今、日本、及んでは世界は非常に厳しい情勢にあるのではないかと毎日のニュースに不安を抱くばかりです。世界平和を願う私としては、こんな毎日は嫌だな〜と思うわけで……。でも、私一人の力……いや、無いに等しい微力をどう使えば良いのか悩んでいます。どなたか良い使い方があれば教えていただきたいです。

多様性

昨今、日本では、多様性が重視されるようになっています。特に、LGBTQ+関連の事にウェイトが置かれていて、その人の生物学的な性別よりも心の性別が本当の性別なのだとされるくらいです。

もう訳の分からない分類ばかりがなされていて、その体系は保たれているのかどうかすら分かりません(私だけが時代に取り残されてるだけかもしれませんが……)。言ったもん勝ちみたいな少々強引な点も見られます。

しかし、逆に、こんなにも細分化できて1人ひとり(少数派)に対応していこうという兆しは良いものでもあるのかな?と思います。
これを全ての福祉的に出来れば、もう少し1人ひとりが生きやすい社会をつくることが可能でしょう。

普通が狭い

大人の発達障害が数年前から言われるようになり、最近では、HSP(Highly Sensitive Person/高感受性の人)を頻繁に聞くようになりました。
私が子どもの頃は、全然聞かない言葉でした(私が無知だっただけかも知れませんが)。

人間、言葉で表現され、レッテルを貼られることにより、不安を消してくれるかのような安心感や安堵を覚える場合があります。

特に、「なんでこうも上手く出来ないんだ」のような原因不明の時に、例えば「貴方は〇〇という性質を持っているから出来ないんだよ」と言われて納得してしまえば、原因は〇〇にあるという特定が出来、割り切ることも可能です。

ただ、それを免罪符のように使用してはいけないと思うのです。例えば、「私は〇〇だから、A,B,Cどれも出来ない」とか「私は〇〇だから、やってしまった」みたいな使用方法は、ある程度の挑戦の上にあるべきだと私は考えます。

小見出しにあるように、普通が狭いというのは、レッテルを貼られていない或いは、そのレッテルが日常・社会生活にあまり支障をきたさない人がどんどんと減っているように感じるからです。

自然

私達は、地球の恵みを享受しながら生活をしています。衣・食・住どれにおいても、地球の恵みが欠かせません。そもそも、まず、地球という物体がなければ、原子などの基となる物質がなければ、私達の存在があったかすら分かりません。

しかし、恵み(メリット)だけを享受出来るなんて美味しい話はありません。地震や豪雨などの災害(デメリット)も併せてついてきます。今年の一番初めの日も地震というデメリットが発生しました。

メリットによってメリットを生産する人もいれば、デメリットによってメリットを生産する人もいます。
メリットによってデメリットを生産する人もいれば、デメリットによってデメリットを生産する人もいます。

まとめ

人は争います。戦います。何の為に?
人は善に生きます。悪に生きます。どうして?

突き詰めていけば、誰かの為の行為も自分の為の言動でしかないというところに辿り着きます。きっと。

私はそうでした。


※表題や本文中の一部で、ChatGPTを使用しています。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?