見出し画像

祖父の介護記1

 こんにちは。
かれこれうつ病になってから10年くらいのゆあです。

 今回は精神疾患関係の話題から少し脱線して、祖父の介護記を軽く書きたいなと思います。看取りまで家族で在宅介護をやり切ったお話で、一度どこかにまとめたかったのもありますし、私はブログらしき物を何個か持ってはいるのですが、こういう話題はここに書くのが最適かなと思ったので。最後までお付き合い頂けると嬉しいです。

 さて、私は今27歳なのですが祖父が亡くなったのは4年前の23歳頃です。時はあと3年程戻って私が20歳頃です。祖父の認知症は私が高校生になるまでには始まっていたのですが、こんな頃にはもう要介護3か、ギリギリ要介護2の状態にはなっていたと思います。要介護3というのは、認知症等の疾患のせいで家族などのお手伝い無しでは生活ができない状態を指します。祖父は夜中にお手洗いに行ったりするのですが、いつもシモを出したままお手洗いに向かうせいで廊下を歩いているうちに全部出てしまいます。それを毎日祖母が拭いていました。私や親が起きて掃除できればよかったんですけど、住んでる階が別なのと祖母が迷惑をかけたくないという気持ちがあって、深夜は私たちを呼び出さなくて。祖母は毎日大変な思いをしていました。

 また、お出かけ中で祖父がお手洗いに行きたいと言い出したのですが、パーキングについてお手洗いに向かう途中でシモを出して歩き始めてしまい。その辺をビタビタにしてしまって祖母が発狂してしまったとか。

 要介護3って認知症で動ける、つまり脳はおかしな状態なのに体は元気なのです。祖母のストレスがかなり溜まっていたので1週間に1回は祖父に怒鳴って怒っている声が聞こえてきて仲裁に行ってました。介護では怒ってはいけないのですが、その理由は介護される人にストレスがかかってしまって、認知症が余計に進んだり変な行動をしてしまう可能性が増えてしまうからなのです。おかげで祖父は車いすで寝室に連れて行こうとしたら「殺さないでくれ!」と言い始めて抵抗したり。色んな認知ができない状態で不安で認知の歪みや混乱が起きてこういうことになるのですが。認知症の祖父に怒る祖母の気持ちも解るし、祖父の不安な気持ちは解らないけど、自分に置き換えて考えたらそうなるわなと。しかし、いちばん介護をしているのは祖母だったし私は自分の事に必死で必要最低限しかお手伝いができていなかったので、何とも言えない心境でした。こんな風になったりもっと酷くなっても最後まで2週間か1週間に1回ショートステイに行ってもらう事以外は在宅で介護してましたが。

 私は高校生時代にホームヘルパー2級の資格を取っていたので、少しだけ介護の知識がありました。この知識は祖父の介護にかなり役に立ちました。例えば、祖父のオムツ替え中にオムツを外したすぐ後に祖父が「あぁ、でちゃった」とやらかしてしまったと自覚してる声で発言しました。慌てて下に引いてあるタオルケットを見たら濡れていました。父と祖母は祖父を起こして立たせるところから全部やり直しだと嘆いていましたが、私が祖父を寝かせたままタオルケットを交換する方法を教えながら交換をして二人にびっくりされたり。楽な体の起こし方や声掛けしながら車いすを動かすとか。基本的な事ばかりなんですけど、これが介護するのに凄く役に立っていたみたいです。

 祖父はかなりおおらかな認知になってくれたお陰で、かなり介護がしやすかったです。認知症の人の中には、深夜俳諧をしてしまったり、暴言や暴力をしてしまったり。私の祖父は色んな人の顔を忘れたり、生活する上での認知がひどかったのですが、ご飯を出すとありがとうって言ってくれたり、認知になる前から冗談が好きだったのですがたまに冗談を言っていたり。なんだかんだ言って祖父を在宅で介護して良かったと思う時がありました。

 多分この倍はこの後文章を書くので、一回ここでおしまいにしたいと思います。次回は要介護5になったくらいから老衰した日までかければいいなと思います。

 今回は、ここまでです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
この記事を読んでよかったなと少しでも思っていただけたら、「スキ」ボタン押して頂けると嬉しいです。やる気に繋がります。
それでは、良かったらまたお会いしましょう。
ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?