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大雪の日に私の幸せの形を再考する

なかなか長く物事が続かない。私は小さい頃からそうだった。
習い事は、ピアノに習字に体操にと色々やったけれどどれも数年で辞めてのめり込むことは特にかった。
少し成長してからもそれは変わらず。大学時代のバイトはどれもそんなに続かず、最終的には短期派遣ばっかりで働いてた。卒業して、会社で働いてみたはいいけど、この会社で40年も働くのかなと考えたら、想像ができなくて、早々と2年半で退職して看護師になった。

看護師になってからも、日本で働いたのはまたまた2年半で夫の転勤がきっかけだけど引越ししてカナダの看護師になった。そんなこんなで30過ぎたのに常に色々な場所で新人を繰り返している。


道は続くよどこまでも @万里の長城

初めはワクワクするんだけど、1−2ヶ月もすればだんだん慣れてきて、人間関係もだんだんできてきて、そうするともうワクワクは消え去って、ただただその環境からいなくなりたいと思い始める。
今も念願だった外国での看護師として働くことを叶えたけれど、だんだんとフェードアウトしたくなってきた。来たな、いつものやつ。

仕事をフェードアウトしたくなると思い出すことがある。
会社を辞めて、その時に計画していたこともキャンセルされて、人生を彷徨っていた暗黒の20代中盤に、3歳上の兄から言われたこと。

「将来さ、1番手に入れたいものは何?」「何をしていたら幸せなの?」

何だろうと考えて、出た答えは何だか当たり前な典型的な答えだった。
「休日に、家族と一緒にゆっくり紅茶やコーヒーを飲んで美味しいお菓子を食べてお話して笑っていたい」

何故かはよくわからないけど、昔から自分を幸せにするものは仕事の中から見つけなければいけないと思ってた。やりがいのある仕事、人の役に立てる仕事。生き生きと楽しく仕事をすることが自分に幸せを見つけてくれるような気がしてた。けど自分の答えはとても平凡で月並みだった。すると兄は、、

「そうか、いいじゃん! 具体的には?どんなところに住みたいの?どんなお菓子を食べていたいの?答えに正解も不正解もないけど、より具体化してみなよ。そしたらそれを叶えるために、何が必要かが見えてくるんじゃないかな。どのくらいお金を稼げばいいのかとかさ、どの仕事ならそれが可能なのかとかさ。」

と言った。

その時から、自分の幸せが休日の過ごし方で決まるのなら、幸せな休日を実現すれば幸せになれるんだと思った。やりがいのある天職を持っていなければ幸せになれないと思ってた固定観念から解放された時だったと思う。

結局、看護師になって土日勤務ありという職業を選んだ。辛いことや嫌なこともあって毎日が幸せとは思えない。それに土日勤務も各週あるから、2週間に1回しか休日に美味しいお菓子とお茶を家族と楽しむということはできない。けど、そんな休日がすごく好きで貴重な時間。心から幸せだなと思う。

だから私は、そんな休日を実現するために生きている。多分。
物事が続かないことは変わらない。仕事もどんどん辞めまくるかもしれない。笑 責任感も倫理観も遠い昔に母親のお腹に忘れてきたから。
だけど2週間に1度やってくるご褒美の日があるから、そこで夫とお菓子を食べてお茶を飲んでお喋りする楽しみがあって幸せだと思えるから、自分の欲しかったものを手に入れられたんだと思う。

 私にとって大切な人との時間って自分の幸福度においてかけがえのないものだ。そして自分が幸福だと思えたら、誰が何と言おうと勝ちだと信じてる。





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