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既婚ゲイの(女々しい)涙

過去の文章を整理しながら、どれをuploadしようか悩んでいるうちに、どんどん時間は過ぎていって、やる気も低下していく今日この頃。梅雨の合間で暑い、かといってクールビズとは言え、ラフな格好で街を歩きたくない。例年この時期は体調を崩しやすくて(=もともと低いモチベーションが、ゼロに近くなる)、妻を振り切って、ついつい部屋で物思いに耽ってしまう。

時々、悶々とした気持ちを振り払うため、ひたすら歩いたり、走ったりする。特に豪雨の中のウォーキングは最高である。悲しい時に涙を流すと、不思議と心が浄化(何かに昇華)されるような、あの時と同じような感覚に陥る。たいち君が教えてくれた「マーラーの交響曲9番」を聴きながら歩いていると、気分はもう(どん底まで下がって)ある意味で最高である。あとは私の好きな現代音楽だと(範疇としてはギリギリの)バーバーなど。ブリテンの戦争レクイエムとか、ハンス・アイスラーも良いかも。あとガンガン鳴らされたプリペアド・ピアノとか。より自分自身を追い込むならば無伴奏曲が一番で、例えばたいち君が教えてくれたバルトークなど。

この前のこと、激しい雨の中バーバーの例のAdagioを(原曲ver. と無伴奏四部合唱ver. と弦楽合奏ver. の三つを)聴きながら歩いていた。上から下まで黒のトレーニングウェアを着て、パーカーを被っていた。いかにも妖しい。雨脚が強まると、私の歩くスピードも速くなる。感情もより高ぶる。曲が例の頂点に向かうにつれて、感情は、より駆り立てられるようにして高ぶる。そして例の箇所で、まるで絶頂に達するように、私は喉仏を突き上げて、絶叫してしまった。それは言葉にならぬ絶叫、そして相手のいない、改めての愛の告白であった。「うぉぉぉぉぉ、まさと先輩が、りょうが、たいちが、今でも好きだぁぁぁぁぁ」——。豪雨と暴風だから(世界の中心で〜みたいに)絶叫しても周囲に聞こえることない。豪雨は僕を隠してくれる。(05:00から涙が止まらなくなってきて、06:28あたりで絶叫+嗚咽)

部屋にいて思い耽ることはいつも同じで、それは例の「私にとって忘れ得ぬ人々」のことだ。会いたい。伝えられなかったことを話したい。思い出すのは、恋し・愛し、惚れられ・愛された(←自意識過剰)人だけではない。いま苦しい思いをしている親友、敬愛する(死に際に間に合わなかった)亡くなった恩師、些細な喧嘩で疎遠になってしまった友人、若くして自死を遂げた友人、同じく若くして病苦の末に亡くなった友人、大好きだった祖父母——、こういった人々が私に語りかけてくる。様々なシーンも思いだす。褒められた時の、好きだと言われた時の、好きだといった時の相手の表情、体の交わりのこと、どれもペーソスに縁取られて思い出される。

昨夜、部屋にいる時、きらきら星変奏曲を聴いた。ピアノを習っている時、なかなか仕上げることが難しかった。第11変奏が一番好きだ。この曲を聴くたびに、会いたい人に限って、遠い、行方が知れない、若しくはこの世には居ないのだな——、こういうことを痛感する。続く第12変奏が来ないようにとハラハラしながら、そして始まってしまったら、それを恨みながら、既婚ゲイ(ヲカマ)は、深夜部屋の片隅で女々しく泣くのであった。

世界の中心で〜のセリフに、このようなものがあります。

目を閉じるとやっぱりあなたの顔が忘れられない。
私たちは今日でお別れ。あなたが大人になって、結婚して、仕事をして、未来を生き続けることを想像しながら、今夜は眠ります。

僕はこのようにして眠ることはできなかった。




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