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たいち君の場合(7)

あれ以来、お互いに連絡を取り合うことは無くなった。いまだに彼があのマンションに住んでいるのかすら判らない状態であった。僕は大学院で転科したのでキャンパスが変わった(二年ぶりに戻った)。

引っ越すことになった。たいち君が紹介してくれた、あの場所から。変に緊張した彼が来て、変なケツ論を出した「あの部屋」から——。三月の初旬、下宿先が決まった。そのことを彼に連絡しようと思った。連絡を取るのは本当に久しぶりであったので、メールを送る瞬間は「返信が無かったらどうしよう」なんて緊張したことを良く覚えている。返信は翌日にあった。

良かったじゃん!近々遊びに行くよ!

これが、これだけが、彼からの最後の連絡になった——。

四月になった。たいち君は「不本意な会社」のどこかの部署で働き始め、社会人として忙しい日々を送り始めたのだろう。僕は講義、演習や勉強に追われる日々が始まった(最初は真面目にやっていた)。ただ彼のことは忘れなかった。いや、忘れられなかった。ずっと僕の心には、常に彼の横顔があった。抱きつきたい、抱きしめたい、あの華奢な背中があった。

夜遅くまで研究室に残って勉強をしていた時、休憩のために、講義棟の屋上に行ったことがある。眺めていたのは、大きな公園がある方向で、夜景がとても綺麗だった。少し冷える夜だった。遠くに星も見えた。たいち君はいま、どこで、何をしているのだろうか——。こんなことを考えていた。彼への想いは確実に、かつて彼が僕に向けていたであろう(自意識過剰)、あの感情と同じものになっていた。彼のあの声、あの雰囲気、あの優しさ、あの部屋のあの匂い、そして、鼻をくすぐるような(いつも並んで歩いている時に感じていた)彼の身体の匂いを思い出した。

会いたかった。声を聞きたかった。もう一度オムライスを作って欲しかった。僕の新居で昔のように、色々と語り明かしたかった。彼をマネして淹れた「ほうじ茶」を飲みながら、お互いの空白の間に何があったのか、何を考え、どう日々を過ごしていたのか、全て話したかったし、聞きたかった。そして、たいち君に真意を問うてみたかった。——あの時の言葉、あの時の振る舞い、あの駅での出来事、あの時君は何を考えていたのか。

そして、何よりも教えて欲しかった。
——たいち、お前はいったい何者なのだ。君にとって僕は何者なのか。

夜景の美しさと静寂が、僕の感情はますます昂ぶらせる。僕は破裂しそうだった。条件さえ揃えば、つまり僕を全く知らない、しかし話を理解してくれる誰かが目の前にいれば、僕がGであることを、そして何より、高校時代からの「たいち君」という友人が、僕のLiebe(愛)の対象であることを打ち明けたかった。

身体はとうに冷え切っていた。掴まっていた金属製の手すりは、僕の身体の熱を際限なく吸収していく。僕はしかし、そこで、そのままで、力の限り叫びたかった。彼の名前を、君が好きだということを、そして、いまでも君を愛しているということを——。

もどかしさと寂しさを埋めるかのように、そして転科後につけた根拠のない自信も加わって、例の遊びはますますエスカレートして、激しくなっていった。毎日深夜まで、不特定多数の中から選んだ一人を貪り、それ終われば、全身を虚無感を押し付けられながら眠りにつく。起きる。口と腰と指先に昨夜の感触を残したまま、怠く重い体を引きずって、昼過ぎに研究室に行く。英独仏で書かれた文献や論文をぼーっと読み、ときどき舟を漕ぐ。演習課題や修論の断片を何とか書いて、遅くに帰宅する。食事を簡単に済ませ、再び遊ぶ相手を探し始める——。毎日はこの虚しい遊びと、音楽を聴くこと本を読むこと、そしてほんの少しの勉強だけで終わっていった。

(8)に続く。


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