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【物語】後藤家の夏の一日

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この物語は、紫乃さんの記事『しりとり俳句《58》』に掲載されていた、ひとつの俳句をもとに、ぼくの妄想が書き上げた物語です。
実在するどこかの後藤さんとは、まったく関係がありません🌷

▽▽▽ 紫乃さんの記事 ▽▽▽

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どこにでもある、ありふれた家庭だと、ボクは思っている。某磯野家のように、毎週、話題があるわけでもなく、某野原家のように、感動的な映画になるわけでもない。

そんな、ありふれた後藤家の日常を、ありふれた非日常に変えたのは、一匹のハエだった。

お盆前の八月。うだるような暑さの中、朝から母ちゃんがエアコンとにらめっこをしている。テレビから流れる高校野球中継。ちゃぶ台の前で座ったじいちゃんは、熱いお茶をすすりながら、炎天下の甲子園を見つめていた。

「おかしいわねぇ~」
「おはよう。どうしたの?」
「エアコンがつかないのよ」

リモコンを握りしめて、人差し指の先が曲がるほどの強さで、何度も押す母ちゃん。困ったときは、力業ちからわざ。それが、後藤家のDNAには、刻まれているようだ。

「あーーー、暑い! なんとかしろ!」

広げた新聞をバサバサとたたみながら、父ちゃんがちゃぶ台の前に、どかっと座る。また、トイレで新聞を読んでいたのだろう。ちゃぶ台においてあるうちわを握ると、これでもかという力で扇ぎはじめた。

渾身の力でリモコンを押しても、電池を入れ替えても、コンセントをさし直しても、エアコンは、静まり返ったまま。エアコンだけが、スンと涼しい顔をしている。

「暑っ! お母さん、エアコンは?」
「それが、つかないのよ。おかしいわねぇ」
「なんで、エアコンつけてないの?」
「それがね、つかないのよ」

起きてきた姉ちゃんにも、兄ちゃんにも、同じ回答をする母ちゃんは、ある意味、聖人だと思う。ボクなら、一度ですませたい。ボクの尊敬の気持ちをよそに、母ちゃんは電気屋さんに電話をかけ始めた。

力業でダメなときは、他力本願。命綱のエアコンをみてもらえるよう、近くの電気屋さんにお願いをする。どうやら来てくれるのは、夕方近くになるようだ。

扇風機はフル稼働し、各自の手には、うちわなり扇子なり下敷きなり、風を起こせる道具が握られていた。ちゃぶ台のまわりに集まった後藤一家は、じっとりと汗をにじませながら、冷たい麦茶をあおる。

じいちゃんだけが、熱いお茶をすすり、汗ひとつかいていない。乗り越えてきたものが、ちがうのだろうけど、キラリと光るハゲ頭から、想像するのは難しい。

午前中から頑張るセミの声が、気温をぐんぐん上げていく。

「なんじゃコイツ! 鬱陶うっとうしい!」

静まり返った居間に、父ちゃんの怒鳴り声が響く。見ると、一匹のハエが、父ちゃんのまわりをぐるぐると飛んでいた。

「コイツのせいで、暑いんじゃ!」

理不尽な罪をきせられるハエ。本人(本ハエ?)は、たぶん気づいていない。飛んで火にいる夏の虫、というのは、こういうことを言うのだろう。タイミングが、悪すぎる。

新聞を丸めて、ハエに立ち向かうも、空を切るばかり。一度、火がつくと、燃え尽きるまで鎮火しない。父ちゃんは、怒りを床にぶつけるように、床板をきしませながら、物置の方に向かった。

「叩き斬ってやる!」

そう言って、構えたのは木刀。親の仇のように、ハエをにらむ。

「ちょっと、お父さん、落ち着いて」

止めに入るのかと思った母ちゃんの手には、フライパン。

「お父さん、面積せますぎ!」

参戦した姉ちゃんの手には、テニスラケット。

「お前の、ほぼ穴だからな」

そう言った兄ちゃんの手には、虫取りアミ。
全員が臨戦態勢に入った。

「成敗してくれるわ!」

父ちゃんの振り下ろした木刀が、母ちゃんをかすめる。とっさにフライパンで防ぐ母ちゃん。カーンというゴングが鳴った。

「お兄ちゃん、そっち!」
「よっしゃ、任せろ!」

兄ちゃんのアミが、母ちゃんの頭にかぶさる。

「ちょっと、マサキ」
「母ちゃん、邪魔!」
「そっち行った!」
「猪口才な!」
「どこ、狙ってるんだよ!」
「お兄ちゃんのいる場所が悪い!」

アミにラケットに木刀にフライパン。後藤家の居間で、各々が空を切る。ハエは、飛び交う道具をかいくぐりながら、戦闘機のごとく飛びまわる。木刀をひらりと交わし、フライパンの前でUターンし、ラケットのアミ目を抜け、虫取りアミの前で急降下する。

そして、安全地帯を見つけたかのように、ふととまった。とまった先は、じいちゃんのハゲ頭。全員が息をのむ。チャンスは、いましかない。

「じいさん、じっとしてろ」
「お父さん、そんなのでたたいたら、おじいちゃんがあの世だよ!」
「マサキ、お前、生け捕りにしろ」
「カナコのせいで、さっき、ひしゃげたし」
「お兄ちゃんが、どんくさいからでしょ!」

家族が業を煮やす中、ボクはじいちゃんのハゲ頭を、ハエたたきでペチッと叩いた。

「ゲームセット」

高校野球を見終えたじいちゃんが、つぶやくと、張りつめた空気が、ふっとやわらいだ。
構えていた道具が、下ろされる。

急に、セミの声が聞こえはじめた。
ひと汗かき終えた後藤家の居間を、窓から入ってきた風が、すっと通りぬけた。



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