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完全オリジナルの結婚パーティーに学んだ、メディアに取り上げられるよりも大切にしたいパブリック・リレーションズの話

私事ですが、本日2月21日で結婚して丸2年になりました。
第一子が産まれ、環境も関係性も大きく変わった1年。

幸せで順調そうに見えたとしても、まだ3期目のスタートアップ家庭。
課題は山積だし、日々の悩みも尽きないし、喧嘩もする。

でも、こんな日ぐらいは思い出話をしよう。
2017年に島根県の山間部でおこなった完全オリジナルの結婚パーティーのお話です。

「その土地への恩返しにしたい」 縁のある場所でのパーティーを企画

▲三瓶山のふもとにある「山の駅さんべ」

夫婦のどちらも島根県にはちょっとしたご縁がありました。私は大学4年間を松江市で過ごし、妻は休学中に美郷町で地域おこし協力隊に所属。
その頃から知り合っていたわけではなく、就職した会社でたまたま出会います。

二人とも島根県に縁があり実家はともに中四国地方だったので、出雲大社で式を挙げることは即決したものの、その場で披露宴まで開くことはしっくりきていませんでした。

「折角やるなら、お世話になった土地と現地の人たちへの恩返しをしたい」
「その土地に来るだけでなく、深く知ってもらうきっかけにしたい」

その想いで、妻が過ごしていた美郷町での開催を考えました。

開催場所に選んだのは空港から車で約1時間の山間部にある三瓶山。
山のふもとにある原っぱとレストハウスでした。

妻のお気に入りの場所というだけでなく、ロケーションが素敵でお越しいただいた方にぜひ見てほしかったその場所を使用するべく、仲の良い現地の人にお話を持ちかけて当日お借りすることになりました。

「空間を活かして、開放感のある堅苦しくなく皆で楽しめる。自分たちが主役というより、盛り上げ役になりたい」

そんな企画にしようと、現地の人たちも巻き込んで企画の中身の検討をはじめました。

最初は屋外を活かした思いつきで自由すぎたプランが飛び交いまくり……、
そのほとんどがボツになるなかで、あろうことにパン食い競争が採用されてしまいました。

その結果、参加者を迷わせた謎のドレスコード「服装:スニーカー」が誕生します。

企画の趣旨として単純に楽しいだけではなく、初めて訪れる人も多いため、
出席した人がその土地を深く知ってもらえるコンテンツを盛り込むことにもしました。

それは料理やお酒だけでなく、ケーキカットならぬ箱寿司カット、伝統芸能の石見神楽の公演、ご当地ゆるキャラの登場…。

繋がりをたどってさまざまな人たちの協力を得て、企画の形が段々と固まっていきます。遠方ですぐに帰ることのできる場所でもないため、交通手段の案内や宿泊場所の手配も進めました。

最終的にはプランナーさんにも加わってもらい、イベント運営を見てもらうことにしました。と、バタバタながらも準備が着実に進むなか、開催当日の朝に大騒動が待ち受けていました。

まさかの台風到来。ーー当日朝でのプラン変更

▲前日まではこんなに良い天気だったのに…

10月下旬の島根県はそこそこ涼しくなっているのと雨も多いエリアなので天候も気にしていましたが、当日が近づいていくなかで、予期せぬニュースが舞い込んできます。

もちろん天候によっては屋内への変更も視野にはありましたが、ほぼ屋外前提で準備を進めていました。

当日の午前中は親族のみで出雲大社にて式を開催し、その後で三瓶山に移動して結婚パーティーというスケジュール。

出雲大社での式に向けてパーティー会場から離れていた早朝、プランナーさんから連絡が入り、前日施工で屋外に設営したテーブルクロスなど装飾が風によって一部吹き飛ばされている旨が知らされます。

想いを込めて、たくさんの人たちの協力を得て、入念に準備を進めてきたパーティーそのものが一瞬で吹き飛ばされそうになった感覚で、「結婚式どころじゃない。パーティー会場は大丈夫なのか」そんな気持ちでした。

結果的に、安全面も配慮した上で簡易的な人前式のみを屋外実施として残し、その他は屋内に変更することに。開催ギリギリまで親族とスタッフ総出で準備に駆け回りました。

2人の力だけでなく、関わってくれた全員で作った空間に

▲人前式は簡易的な装飾で屋外実施

こうして、直前に思いがけないトラブルがありつつも結婚パーティーは無事に開催することができました。難局があったからこそ、関わった人の気持ちがより一つになったようにも感じています。

ちなみに当日の天候は曇りで何とか持ち、台風は翌日に島根県に最接近。三瓶山には真横から殴るような大雨が降りました。そんな天候だったので飛行機は欠航、遠方から来ていた一部参加者には各自でもう一泊することになりました。(そんなハプニングを含めて楽しんでもらえてたので、本当に良かったです…)

自分たち2人の思いつきからスタートした企画だったものが、出席する人、出演する人、助っ人を紹介してくれた人、細かいサポートをしてくれた人などさまざまな形での応援があって実現しました。

当初、ゼロベースから作りはじめたときには「本当に開催できるのか?」と半信半疑なところがありました。そこに1人、また1人とご協力してくださる方が増えていくなかで、リアリティが高まっていき、気がついたら自分自身もその準備過程を楽しんでいる。まさしく自分たちだけでなく、皆で作り上げたパーティーだったと感じています。

記録よりも、誰かの記憶として残って伝わっていくこと

その場所で初めての結婚パーティーだったことや、開催の背景と経緯、地元を盛り上げるイベント風ということもあって、現地のメディアからご取材いただく形になりました。

実は、パーティーの翌日が衆議院選挙、しかも台風も珍しく直撃。取材のリソースが限られるなかでもしっかり取り上げていただけたのは、ニュースバリューの神様に微笑んでもらえたのかなと思います。

山陰中央新報さんでは翌日朝刊、島根日日新聞さんでは数日後の一面、石見ケーブルビジョンさんには放送データだけでなく、編集前の素材を含めていただいてしまいました。後日、「読んだよ」とさまざまなところから声をかけてもらったのはとても素敵な体験でした。

PR会社出身なので、メディアに報道いただけたことや紙面や映像という形に残ったことも嬉しかったですが、何より嬉しかったのは、出席した人たちが時々思い出話として今でも話題にしてもらえることです。

「ちょうど1年前、結婚パーティーだったね」と話しかけてもらえた時に感じたことは、「記憶に残る」ということは一生モノの関係構築のきっかけになりうるということ。

結婚パーティーを通して、土地と現地の人たちとの繋がりを深め、出席した人同士の結びつきも生まれました。皆で同じ空間を作り上げ、つい人に伝えたくなる記憶となった。それが報道になって、より多くの方にも届いたりもした。

まさしくパブリック・リレーションズなんじゃないかと思います。

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