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〜夜の読み物 《夏 2022.7.22》〜


叶多がいない。
どんなにスクロールしても、見慣れた叶多の姿がない。真っ黒の背景にたくさんの照明を受けて撮影されたであろういくつもの顔。顔。顔。
最新の写真に差し替わったのかもしれないと見返してもやはりいない。
叶多自らがつけた名前もない。
いつかこんな日がくることは分かっていたはずなのに、どうして、という言葉が頭のなかで何度も駆けまわった。

「風呂入らないの?」
彼が呼ぶ声がして、今から入る、と生返事をしながら、開いていたページを履歴もろとも急いで消してソファーを立った。

お店のホームページを開くたびに履歴を消しているのは、叶多にまだ特別な想いが残っているからではない。その店がホストクラブだからだ。
彼とスマホを覗き込んでいるときにホストクラブの検索履歴なんて出てきたら最悪だ。ただそれだけのこと。どうしてるのかなって、興味半分で覗いているだけ。

ベランダ横の窓際に置いた扇風機。
至近距離で風を浴びる彼の背中がある。
「あちー」
と言う彼の声が震えて聞こえる。
背中に向かって
「子どもみたい」
とつぶやいてみたけど、彼には聞こえないみたいだ。

小さなテーブルにお揃いの2つのグラス。
彼のものには炭酸水が入っていて、私のものには麦茶が入っている。
彼はなかなか扇風機から顔を離さない。

他のお店に移ったのかもしれない。

彼の背中を眺めながらふいに浮かんだ。
明日、他のお店のホームページを覗いてみよう。
お店が変わると名前が変わったりするのだろうか。前のお店からのファンもいるから名前は変えないのだろうか。


私の記憶では、叶多は仕事はもとよりお店を気に入っていた。好きなお店をやめるとすれば、なにか大変なことが起きたか、潮時だと思ったか。
叶多の猫背は少しくらいましになったのだろうか。

彼は、扇風機に顔を当てているときでさえ姿勢が整っている。服を着ていてもわかるくらい筋肉質だ。
彼は公務員だし、叶多とは全然違う。
規則正しく寝て、起きて、食べて、働く。

明日は午後から二人で映画を観に行って、その足で彼の実家に顔を出す予定だ。
このあいだ伺ったときに、彼のお母さんが
「私もあの人もアイスが好きでね。最近はほら、暑いからお風呂上がりについつい食べちゃうから、買っても買ってもすぐになくなってしまうのよね。」
なんてこぼしていたのを思い出した。

「ねえ、ご両親って抹茶好きかな。」
普段よりも大きな声を出すと、
「好きだよ。特におふくろが好き。」
彼がやっと扇風機から顔を離してこちらを向いた。
「映画館の近くにある和菓子屋さんにアイスが売ってるみたいでね。ちょっと気になったから、買ってから実家に行こうかなって思って。」
「いいんじゃない。俺も食べたい。」
脱衣所のドアノブに手をかけながら、
「よし、明日のお土産決定」
と笑顔を見せると、彼はまた扇風機に戻っていった。

洗面所に並べられた彼と私の必需品たち。
これが今で、これが私の家。
鏡のなかの私としっかりと目を合わせた。




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