子育てと半径1キロ以内の人間と街の観察。

第2子が産まれて、早2ヶ月。朝、赤子をバギーに乗っけて、小学生の娘と出発。学校の近くまで見送ってから、40分くらい歩く。赤子のため、というか、産後の骨盤を調整するためでもあり、リフレッシュするためでもあるが幸い、赤子は大人しくバギーに転がっていてくれるので、私は高速で歩きながら、寝ている赤子に向かって『いい気持ちね〜』とか、『あ、おはなが咲いてるよ』とかぶつぶつ話しかけながらせっせと歩く。

歩きながら、頭の中では、家事やら仕事のことを考えていることが多いので我ながら、気もそぞろに話しかけてるなあとおもうのだが、なんとなく毎日のルーティンとなっている。ウォーキングの最後は、池のある公園で、そこにいくと、大抵、同じメンバーが三々五々、それぞれの朝を過ごしている。毎度お馴染み、いつものメンバーを観察しているととても面白い。

【はだし健康法おじさん】このおじさんは、制服のように毎日同じ服を着てはだしで公園内の砂地を時折、太極拳のような動きをしながら、ゆっくりと回遊している。その速度は一定で、周りの状況に惑わされることなく、自分ペースを一切崩さない姿は、傷つけられることから身を守ろうとしているみたいだ。周りへの関心の薄さ、自分自身への没入と頑なさ具合は、水槽の中を泳ぐ魚に似ている。毎日、同じ時間にこなすルーティン。何がこのおじさんをそうさせるのか。

【サッカー練習親子】4歳くらいの男の子とその父親。毎日自転車でやって来て、走る練習とサッカーの練習をしている。長髪を後ろで束ねている父親は、堅気の職業ではなさそうな。平日朝8時に息子と公園でサッカーボールを蹴れる父親なんて、彼以外見かけない。何をしているのか、結構気になっている。二人でボールを追う姿は、微笑ましくもあるけれど、父親の入れ込み具合が若干心配でもあり。余計なお世話か。にしても、父親は息子にいろいろ仕込みたがるのね。

【保育園送迎前つかの間の親子時間】こちらも父息子ペア。保育園に送っていく途中の父親。スーツを着込んで、真面目そうな雰囲気の男性が、ママチャリの前に3歳くらいの息子を乗せて、熱心に池の鴨を見ている。保育園へ向かう途中、ちょっと公園に立ち寄って、子供と束の間の親子タイムをしているのを見て、ほのぼのしてしまう。気持ち、わかるなあ。きっと、平日はこの時間しか息子と関われないんだろうな。

【娘の孫を育てる中国人老夫婦】ハイソなベビーカーに、西洋人とのハーフの孫を乗せてやってくる中国人老夫婦。太っていて、笑うと歯のないおじいちゃんは、いつもチノパンに赤いシャツを身につけて、むっつりしたおばあちゃんはこれまた、大きく太っていて、迫力がある。ちょっと、日本人とは違う雰囲気の二人は、毎日孫を公園に連れてやってくる。中国では祖父母が子育てするのがスタンダードらしいが、日本で就職した一人娘のために、中国からわざわざやってきたのか。孫が育った後はどうするんだろう。また余計なことを考えてしまう。

【カワセミ撮影おじさん】池に現れるカワセミを撮影しにやってくるおじさん達。高そうな望遠カメラを手に、枝に止まったカワセミを撮影している。いかにも定年後、ひまになったから趣味のカメラを始めました風なおじさん達。奥様と二人で、ではないのね。60代くらいで、夫婦仲良く撮影している、という人は見かけず大抵おじさん1人で、カメラ仲間と群れている。釣りをしているおじさんも然り。長年連れ添った夫婦が老後に家や子供のこと以外に共有するって、難しいのかな。自分のことを考えても、、、そうだなあ。夫と何か、子供のこと以外で共有すること、無くなったなあ。なんだか寂しい。

赤子を連れていると、大抵、女性から話しかけられる。それも年配の。ベビーカーですれ違う時、目を細めて「可愛いわねえ」と言ってくれるのは女性。一人だけ、80代くらいのおじいさんに「ホヤホヤだなあ」と声を掛けられたことはあるが、男性は本当に無関心。それが悪いという訳ではないけれど、年配の男性ってどうしてああも無関心なんだろうなあと思うことはある。「家事育児は女の仕事」と妻に全てを丸投げしてきた男性達が、ベビーカーで通れないくらい細い歩道を作り、段差だらけの街を作り、「専業主婦」という枠組みを作り、女性を社会参加から締め出すシステムを作ってきたんじゃないだろうか、と思うことがよくある。

1人目の子供が産まれて、一番驚愕だったのが、幅1メートルもない歩道だ。それも、2メートルおきに、歩道の真ん中に電柱が立っているのだ。電柱を避けるたびに、車道にはみでるハメになり、自転車を乗り始めた子供が車に当たらないか冷や冷やさせられる。ほとほと、計画性と、哲学のない街づくりに本当にびっくりさせられる。

子連れで何かしようにもハードルが高すぎて、気力、体力、財力がなければ諦めてしまいそうになる。それは、単に保活の難しさだけではなく、私を取り巻く、諸々の環境(建物だったり、件の歩道だったり)のなせるワザでもあると思うのだ。