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自由を犠牲にして安定を得るのか、安定を捨てて自由を目指すのか

今回は、歩行リハビリテーションの臨床において、歩容を指導していく際の僕の考え方をお伝えします。

タイトルが、なんか哲学的で人生論でも語られるような内容になっていますが、ガチガチの運動指導の話です。

僕たち理学療法士は、学生時代に運動学なる学問を学習しますが、その中で、もっとも重要なもののひとつに「正常歩行」があります。

これは、いわゆる「正常」な人の歩行中に、身体の構造がどのように変化しているのかを力学的に説明されたものです。(バイオメカニクスです)

僕が臨床に出たばっかりの新人PTのころは、頭の中には、この「正常歩行」の運動学しか入ってないので、目の前の患者さんは誰でも彼でもこの正常歩行と比較して評価し、とにかく正常歩行に近づけようとしていました。

しかし、今では、この考え方はしなくなり、その患者さんに適した目指すべき歩行の形があると思っています。

その理由は、リハビリテーションが実施できる時間は有限であり、その限られた時間内で、その人のその後の生活で「使える」歩行を獲得するためには、正常歩行を目指していては時間が足りないからです。(とってもシンプルに言うと)

その方の歩行の特徴を捉え、実用性を阻害している問題点に対して集中的にアプローチすることで、ようやく限られたリハ期間内で実用性のある歩行が獲得できます。そしてそれは、時に正常歩行とは大きく逸脱した歩行である場合もあるのです。

では、歩行リハビリテーションにおいて、「その患者さんに適した目指すべき歩行」とは、どういったものなのでしょうか。

僕は、歩行の「自由度」と「安定度」のバランスを、その患者さんの身体機能と生活様式に合わせた歩行だと思っています。

ヒトの歩行を機能的に評価した場合、大きく分けて「自由度」と「安定度」の指標があります。そしてこれら二つに指標は、互いに相反しています。
つまり、一定の身体機能を持つ人で、自由度を上げて歩行すると安定度が下がります。逆に、自由度を下げて歩行することで安定度を上げることが出来ます。

例えば、腰と膝を曲げて杖を突きながら歩いているおばあちゃん。

このおばあちゃんは、膝関節や股関節は常に屈曲位であり歩行中に可動する関節運動の範囲はとても狭く、坂道だろうと曲がり角だろうと常に同じ歩容で歩きます。つまり、自由度が低い歩行になっています。
この場合の「自由度」には、歩行速度やエネルギー効率(疲れにくさ)も直接関連しています。自由度が低い歩行は、歩行速度も遅く、効率の悪い(疲れやすい)歩行です。

一方で、膝も腰も曲がっており、小股でちょこちょこ歩くこの歩容は、身体重心が低く、身体の揺れも少ないので、安定性は高いです。(杖までついているし)

このように、歩行の機能性には「自由度」と「安定度」の二つの側面があるのですが、歩行リハにおいてどのような歩行を目標にするかは、その患者さんの身体機能がどこまで回復するかという点と、今後どのような生活を送っていくかという点を考慮して、これらの二つの機能性がその人に適した割合で備わっている歩行を目指すべきだと思っています。

具体的には、90代の大腿骨頚部骨折後のおばあちゃんでは、身体機能面(筋力やバランス機能)では大きな回復が目指せず、さらに、退院後の生活は一人での外出はなく屋内で転倒しないことが第一です。この方の目指すべき歩行は、「自由度」を下げてでも「安定性」を重視したものになるはずです。このおばあちゃんのリハで、正常歩行に習って、股関節を伸展させ高い重心位置での歩行を習慣付けさせれば、退院後、2週間で転倒です。(僕の妄想的例え話です。)

一方で、脳梗塞片麻痺となった60才の男性では、身体機能は大きく回復し、退院後の生活では、友達とカラオケに行ったり、家族と旅行に行ったりまだまだ活動的な生活が送られるべきです。すると、当然、目指すべき歩行は、より「自由度」の高い歩行となり、そのためには一旦は「安定度」を捨てて自由の高みに挑戦するリハが実施されるべきです。早期から装具と四点杖でガチガチの歩行を学習させられたら、こけない代わりに手に入れられるはずだった自由を失い、友達とカラオケに行けないのです。(僕の妄想的例え話です。)

まとめると、歩行は機能的に「自由度」と「安定度」の2つの側面があり、患者さんの身体機能とその後の生活様式を考慮して、それら2つが適した割合になった歩容を目指すべき、という話でした。

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