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毎日が最後だから

■「これが最後になるだろうから」

と、親がたまに言うようになった。

人生100年時代と言われてはいても、
年齢的に気弱になることが
増えているのでしょう。

寿命なんて誰にも分からないし
年齢が増えていくほど、
たしかに何があってもおかしくはない。

母が来月の5月、私のいる東京に
遊びにくるとのことで
その計画を立てていたときのことです。

「大人ディズニーしに行きたい」
との要望があったのですが、

「これでもうディズニーに
行くことはないだろうし」
と言ったのです。

■人はいつか必ず死ぬ。

それは紛れもない事実であり
「死」というのは
誰もが通る道です。
誰もが向き合わないといけない。

でも、
自分の死も家族の死も友達の死も
普段は考えたくない。

「これが最後になるだろうから」

という風な言葉は
悪気はないだろうし
吐きたい本音でもあるだろう。

ただ、その言葉を通して
周りは何気ない日常に
大切な人の死を連想してしまって
悲しくなってしまう。

■”ディズニーランド”に行くのは
もちろん日常ではありません。

年間パスポート持っているような人は
別として、
地方に生活している人などは
人生の中でも
数を数えられる大イベントです。

”ディズニーランド”って
非日常だからこそ
特別な楽しさを味わえるけど
その分
終わった時の寂しさも
感じなきゃいけない。

ディズニーランドに行くのは
すごく楽しみなのに、

「これが最後になるだろうから」

という類の言葉は
母は現地でも要所要所で
言うんだろうなと思うと
なんだか気分が少し、下がってしまう。

■でも、「最後」を意識した方が
楽しめることもあるのかな?
とも、ふと思った。

さっき同年代の友人が

「親でも友達でも、
会えるうちに会っておく」

という風な言い方をサラッとしていて
なんかそれ、いいな、
と思ったのです。

年齢もそうだし
住んでいる場所が離れていたら
どんな人でも
会いにくくなるのは当たり前のこと。

最後かもしれないし
最後じゃないかもしれないけど、
できるうちにできることをしておく。

そんな感じで
いちいち悲しくなんなくて
いいのかもって。

■今日も最後。
今日もたった1日の特別な日。

…ていうのは
ときどき思い出したいとは思う。

でもいつもいつもそんなこと
思い出していたら
重いし、疲れる。

1日はいつも24時間で平等。
今日という日も、
今日で最後なんですよね。
そりゃそうだ。

今日できることを
やっておくだけ。
それだけのことなのかな。

■私の祖父は
突然倒れて、亡くなりました。

「最後になる」なんて
思ってもいなかったことが
結局最後になったことが
たくさんある。

その程度でいいのかもしれない。

結果的に、最後になったんだなって
その時に決まるもので
そのタイミングは分からない。

30歳後半に入り
40代が見えてくる頃って
わかりやすく
体に年齢を感じ始める年代。

ずっと続くような気がする命も
終わりへ向かっているんだと
初めてちゃんと体感する年代なのかも。

悲観するのではなく
より丁寧に誠実に
生きれるようになったらいいなと
思います。

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