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Case.1 雁屋優~崖から飛び降りるようにしてフリーランスになった~【前編】

「労働の選択肢を狭められたと感じている」人の1人目として、私自身の話を書く。これから他人のプライベートなことに踏みこませてもらうのだから、自分も該当するのなら開示するのがフェアだと思ったから。

プロフィール

雁屋優(かりや ゆう)
ライター/エッセイスト。
アルビノ(平成30年に眼皮膚白皮症として指定難病に追加)、発達障害の一つであるASD(自閉スペクトラム症)、うつ病の診断済み。視覚障害者手帳4級、精神障害保健福祉手帳2級。
茨城大学理学部卒業。病院勤務、行政機関勤務を経験している。2019年初めから雁屋優名義を使い、副業で書き始め、2020年11月からフリーランス(個人事業主)として活動する。実績、依頼については、個人サイト「視界不明瞭」参照の上、TwitterのDMまで。

「ふつう」の就職をするのだと思っていた

小学校低学年の頃の夢は、「作家」だった。今ライターをしていることは、その意味では原点回帰なのかもしれない。しかし、小学校の卒業式で宣言した夢は、「新薬を開発し、その薬に自分の名前をつけること」だった。

中学生になって、海堂尊さんの『チーム・バチスタの栄光』シリーズに憧れ、どういうわけか、「医師」を志した。『ジェネラルルージュの凱旋』の速水晃一や『ジーン・ワルツ』の曽根崎理恵のような医師になりたかったのだ。

しかし、私はアルビノに伴う弱視がある。メスを握るのは、到底無理だった。そこで私が目指したのは、「医学研究者」だった。

大学に入って、卒業研究の最中にうつ病になり、研究者になるのは難しいと感じるのだが、やはり研究者への未練があって、大学院入試を受けて落ちた。

そこで、生活のためにやむなく就職活動をしてみた。当時はASDの診断をもらっていなかったため、自分のことを弱視で今少し心の調子を崩しているだけだと思っていた。

大学生だし、就活したらどこかに採用されて、「ふつう」の就職をして社会人になれるんじゃないか、と思っていた。実際、大学のキャリアセンターでも、たくさん応募すればどこかに採用されるだろうと言われた。

採用されなかった。適性検査やWebテストは問題なく通るのに、面接ですべて落とされた。二次面接まで進んだのは、たったの1社だった。このときは、私の持つマイノリティ性に対して差別的な態度を取った応募先はなかったことを書き添えておく。

「ふつう」の就職はできなかった。「ふつう」の社会人にはなれなかった。

心を無にして働いて、うつを悪化させた

就職活動を続けるにせよ、大学院入試に再挑戦するにせよ、日々生きていくためのお金がいる。偶然見つけた病院での事務に応募し、今まで就活で苦労したのが嘘のように、あっさり採用された。

その少し前に、うつ病の治療をしているクリニックで発達障害の一つであるASDを疑われ、WAIS Ⅲをはじめとしたいくつかの検査の末、ASDと診断されていた。

つまり、私はASDという診断はあるものの、診断されてから日が浅いために、心の整理もつかず、障害特性の理解もままならないまま、病院勤務を始めたのだ。混乱のさなかにある私は、面接で弱視を隠さなかったのに、ASDについては、隠し通そうとした。障害を隠して就労することをクローズド就労、という。

クローズド就労が悪いわけではない。ただ、自分の特性を自分でも理解しきっていない状態とクローズド就労は、あまりにも相性が悪かった。自分でもわからないままに、気づいたら失敗をしている。指摘されたら謝って「気をつけます」と言うのだけど、原因も解決策もわかっていないから、また失敗する。

ASD特性の一つに、易疲労(疲れやすさ)がある。私は1日7時間の勤務で、へとへとに疲れ切ってしまっていた。仕事のパフォーマンスを向上させることを目標にする段階ではない、と気づいた。行って、仕事して、帰ってくる。それを、生活を維持するためだけに、心を無にして、繰り返した。

ただ、あまりにもしんどくて、途中で上司にだけ、ASDとうつ病について打ち明けた。同僚には言えなかった。知られたら差別されるのではないかと考えて、怖かったからだ。上司はあれこれ気を回してくれたが、一緒に仕事する同僚の目は厳しくなっていった。

それでも、生活のために、行って、7時間仕事して、帰らなければ。一日の出勤がいくらになるかを考えて、無理やり身体を動かした。そうやっていたある日、玄関を出られなくなった。結局、その職場を休職し、そして退職することになった。

休職中にあれこれ考えた

休職中の私にあったのは、ただ焦燥感だった。稼げるようにならなければならない。でも、身体は思うように動いてくれない。

自分の現状を分析することから始めた。通っているクリニックの臨床心理士の方に「自分の特性を理解するのにおすすめの本はありますか」と聞いて、教えてもらった数冊を書店で立ち読みして、よさそうだと思ったものを買った。

『ちょっとしたことでうまくいく発達障害の人が上手に働くための本』(對馬陽一郎著、林寧哲監修、翔泳社、2017年)は読んでみたなかで一番よかった。ただ、私はそれ以前の問題だった。

出勤できなかったのだから、特性を理解してもらうとか、やり方を工夫するとか、そういった段階ではない。病院での事務は向いていなかったことも、気づき始めていた。

この当時に気づいた自分の特性は以下の通りだ。

  • 自分で思っているより、目が見えていないため、見て確認する業務でミスが頻発する。

  • 非常に疲れやすい。

  • ルーティンの業務に集中して取り組むことはできるが、イレギュラーが発生すると弱い。

  • 他人の感情が感じ取れないために、同僚の不満に苦言を呈されるまで気づかない。

  • まったく興味の持てないことをするときは心が無になり、死んでいく。

最後の特性が、厄介だった。方法を工夫しても、理解を求めても、業務内容を大幅に変えられる望みはなかった。ルーティンの書類の処理ならば、いくらでも喜んでやる。でも、他人との接触を伴うイレギュラーな業務は、どうしても無理だった。

つまり、特性を考慮すると、復職は無理で、迫ってくる休職期間の終了に伴う退職後の身の振り方を考えなければならなかった。

相変わらず精神は不安定で、目減りする残高を見ては希死念慮(死にたいと思うこと)が加速した。希死念慮に従って行動しなかった理由として、私が過剰なほど痛みを忌避していることと、続きを心待ちにしている小説や漫画、アニメといった物語があったことの2点が挙げられる。

(後編へ続く)

(2022年9月11日加筆修正)

執筆のための資料代にさせていただきます。