人並みに生きてちゃダメですか?
明日から6月になるという5月31日の夜にこの文章を書いている。
夏になれば、思い出す、あの何とも言えない怒りとやりきれなさを転がしながら、またこの季節を迎えるのだ。
梅雨がきて、梅雨が明けて、夏になる。ああ、そして、夏になって、あれがあるのか、と過去の傷口を引っ掻くみたいに、思い出してしまうことがある。古傷を引っ掻くなんて、やるべきではないし、おすすめはしないのだけど、それでもどうしてもやってしまうことだから、少しでも何かの役に立てたくて書く。
「もっと頑張らないとね」
その言葉は今でも私の耳に残っている。
夏になるとよくも悪くも話題をかっさらう夏の風物詩と化したテレビ番組、24時間TVを観ていた母の言葉である。
私はアルビノで、弱視で、その当時はまだわからなかったけど、発達障害(ASD)を持っていて、性的にもマイノリティだ。
本当に母のひどい言動を列挙するだけになってしまいそうで怖いのだが、母はアルビノと違い進行する疾患の子どもを観ては「アンタはこの子よりはまし」と言い、全盲の少女だったかが何か過酷なこと(津軽海峡だったか登山だったかは忘れた)に挑むのを観て、そう言ったのだった。その進行する疾患の患者さんを憐れに思った当時の私も、そう変わらないくらい罪深いのだろうけど。
「アンタももっと頑張らないとね」
何を?
ぐるぐると怒りのような、何とも言えない感情が渦巻いたのを覚えている。
勉強だって、学年で上から数えた方が早いどころかトップ争いをしていたし、それはたしかに地元の公立の中学の順位であったけれど、それを言うなら私立中学の受験を許してくれなかったのはどこのどいつだ、と、言いたいのを必死に堪えていた。
母のひどい言動を列挙するようで怖いと言ったが、何一つ捏造をしていなくてこれなのだから仕方がない。
今思えば、母は紛れもなく、障害者を”消費”する健常者だった。そして、今も多分そうだ。私の苦労などは想像もできない、そういう人だ。
感動ポルノという言葉
そんな私の古傷に、名前と理由をつけてくれたのが、感動ポルノという言葉だった。
簡単に言えば「障害者を非障害者の利益のために活用し、健常者を良い気分にさせるために障害者を利用対象としてモノ扱いする」という行為である。
(ニコニコ大百科より引用)
ああ、そうかと腑に落ちた。
私は感動の材料として”消費”されているのが嫌だったのか。
そこにいるだけではなく、頑張らなければ意味がないとされるのが嫌だったのか。
それも、自身を産んだ当人である親によって。
障害者にだって、日常はある
あの頃、テレビに映るのは”才能がある”障害者か、”頑張っている”障害者だった。頑張っている障害者に降りかかる障害故の苦難、苦労。そういったものに負けずに頑張ったり、周りの人の愛溢れる援助によって克服したりする、そういうストーリーが多く放映された時期というのはあったし、今もそれはある。
私などは見方がひねくれているので、周りの人がいなければ乗り越えられないという状態は障害という現状の解決になど至っていないと考えている。一人でお店に行って買い物ができない人が善意の周りの人に助けられてどうにか買い物ができるなら、それは解決ではないのである。さらに言えば、善意の周りの人の都合に合わせて動かないと買い物ができないなら、それもまた不自由だと言える。
お金を払って助けてくれる人を雇い、自分の気の向いた時に買い物ができて初めて、解決の一つの形といえると思う。
話を戻そう。
克服だの愛溢れる援助だの、障害者を下に見ているだけではないか。それを無自覚に憐れみ、憐れむことの罪悪感から逃げるように障害者を「頑張れ」と応援する。その結果、頑張る障害者だけが、才能ある障害者だけがクローズアップされ、やがて人々の意識には、才能があり、頑張っているのが障害者なんだという概念が生まれる。そして、そこにそぐわない人は、そこから外れた障害者は、理想から離れたアイドルのように、人々から捨てられる。
そういう可能性があるのではないかという話だが、あなたはこれを被害妄想と笑えるだろうか。あなたの中の障害者は、才能がある人や頑張っている人ばかりになっていないだろうか。
障害者にも、当然ながら日常がある。登山をするのではなく、日々を生きるために労働者として働いたり、どこかへ出かけて趣味を楽しんだりする日常がある。その日常を送ることすら、今は社会の側にバリアがあって、困難を極めていることもある。
才能がなくても、頑張っていなくても、人は生きていていい。
今私達が伝えるべきことはそういうことではないだろうか。
執筆のための資料代にさせていただきます。