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年の瀬という檻。

子どもの頃は年末年始が好きだった。掃除は嫌だけど、お年玉がもらえるしおせち料理がおいしいから。年を越すあの絶妙な空気感も嫌いではなかったのだ。紅白はよくわからないけど。

家族のことを好きだったことなんて一度もないけど、その頃は年末年始を家族と過ごす以外の選択肢を知らなかった。小さい頃は本当に友達がいなかったし、友達と年末年始を過ごすという発想もなければ実現もできなかった。

今は実家で療養しているから、仕方なく年末年始の家族の集まりに参加する。拒否権はない。理由は生活費を払ってもらっているからとかこの家に住んでいるからとか、そんなくだらない理由だ。くだらない。くだらない。そんなことをしたって私は永遠に家族を好きにならないし、せいぜいが、都合がいいと思うだけだ。

私達の関係は、もう壊れるところまで壊れている。向こうが私を尊重しないから、私も向こうに対していつ死んでくれても私は悲しまないと思っている。

馬鹿げていることに、向こうは私と関係がよくなると思っているのか、物をくれたりする。私はそれを喜んで受け取ってみせるけど、何のお返しもしない。お金がないからできないというのもあるけど、あってもしないと思う。

お金を貯めて出て行ったら二度と関わりたくないと本気で思っている。介護も、葬式も、何もかもバックレてやろうじゃないか。それがしてきたことの報いだ。

年の瀬は檻だ。年の瀬を家族で過ごすものなんて価値観は害悪だとすら思う。いてやってるのに何一つ私を尊重しない人達に年の瀬の時間を割いてやる必要などどこにあるだろうか。

出かけてしまえばいいのかもしれないが、こういう日に限って、頼みの綱の図書館はしまっている。私には行き場がない。

身内にお年玉を出せないことについて母に言われたので、ここに、例え生活に余裕があっても身内に使うお金など一銭もないことを宣言しておこう。病人にお年玉を出せとか本当に私の母は鬼畜だ。

おすすめの本を紹介して終わろう。


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