悲しみの海底と裏切りの谷底
こんばんは。元気ですかい。
拙者はここしばらくインプットタンクトップでした。
自分の昔のツイートや日記を読んでオモロい人間だなあと再認識。映画を見て心揺らされてアゲサゲの繰り返し。音楽を聴いて嫉妬や羨望で絶望。
昔のblog。高校生の時から書いている。かわいいね。誰だろう。自分の言葉が愛おしくてたまらない。
高校生の自分によかったね、見つかったねと言ってあげたい。こちらのtumblerで『音楽をしたい、音楽を残したい』って書いてあり、ちょい泣けた。美大に行く決意をした直後、音楽をしたいってならんだろ。すごいね、本当にやりたかったんだね。
美術鑑賞が好きな訳でもない、絵を描くのが大好きな訳でもない、なんで美大に行ったか、それは変な人に出会いたかったから、見つかりたかったから。
就職をしない言い訳に大学を利用したというのもあるが、苦しんで苦しんでやっと合格したのに休みすぎて留年の危機なんだから馬鹿だよな。
『悲しみの海底には何が書いてあるんだろう。裏切りの谷底には何を書けばいいのだろう。』
自分のブログの中で見つけたこの言葉、綺麗すぎて鬱。ポエマーだなあと笑えばいい、背伸びしすぎだろって笑えばいい、笑えばいいよ。拙者は好きだから。なんとも思わんよ。
最近戦争映画をよく見る。戦争映画の事、おもしろいと言うと誤解というか何かしら招きそうに思うがおもしろいのだ。退廃的で暗くて重たい空気が憂鬱とさせる。作り物とわかっていても脳みそを踏み潰すシーンがフラッシュバックする。私怨で殺したい死んで欲しいと思う人を殺すのと、自分が殺されるから先に殺してしまう戦争、全然違うのだ。当たり前だが。わたしのひいおじいちゃんとひいおじいちゃんのお兄さんは戦争で死んでる。お兄さんはビルマで。ひいおじいちゃんは引き揚げの船で。もうすぐ日本から第二次世界大戦を経験した人が居なくなると思う。平和に慣れて隣国で起きてる戦争にも他人事になってオンライン戦争ゲームで人を殺すんだ。
わたしの大好きなおばあちゃんから聞いた話。料理が好きで裁縫が得意で制服の裾上げをしてくれてたおばあちゃんのパパの話。
おばあちゃんは長女だったから兄弟の中でも1番お父さんの記憶があるって言ってた。イケメンで背が高くて優しくてモテモテだったらしい。松山に土地をたくさん持ってたからお金もいっぱいあって割と裕福な暮らしをしていたらしいけど、戦争の後、父は帰ってこなくて土地を生きて帰ってきた親戚に取られて何も残らなくてひもじかったと。
終戦から数年後、父の死因がわかった。戦友という人がお菓子をたくさん持ってきて泣きながら話してくれたと言う。その戦友は引き揚げの船を待つ時間にお腹を下してうずくまっていた。すると父が船のチケットを交換しようと提案してきた。父は戦友が乗る一本前の船のチケットを持っていたから早く帰って治療しなさいと譲ってくれたらしいのだ。
戦友は無事帰国できたが、父は帰ってこなかった。
父の乗った船は魚雷(または不発弾)に当たって沈没したという。本当は自分が死ぬはずでした。中野さんは死ぬべきじゃなかった、と泣きながら話したらしい。優しい人が、選択が、善意が自分を殺す事がある。
迷彩柄のズボンを履いていると、それ兵隊さんの服やがね、着んといて。というおばあちゃん。
夏休みお泊まりに行くとBSで戦争特集を見せてくるおばあちゃん。
おばあちゃんに会いたい。わたしの絵を玄関に飾ってくれるおばあちゃんに会いたい。
どんなに税金が上がっても戦争しなけりゃいい、戦争がないならどんな政治されてもいいとかまで考えちゃう。好きな人や弟が無駄死にするぐらいなら、悪意を他人に向けるぐらいなら、反戦、反戦、反戦!!!!
しょうがない事なのかな、人間のサガかな。争いは絶えないね。しょうもない、本当にしょうもない喧嘩とか、嫌味とか、負の感情とか、解放されたい。怒りが原動力となって創作パワーを得れるけど、幸せから遠のく気がする。トゲトゲしたくない、拙者にトゲトゲしてくる人に対しても優しくありたい。優しい人になりたい。中野さんになりたい。
いつでも余裕が欲しいよ。
ノーウォーですわ。