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その言葉は愛から?エゴから?

父が大病してからというもの、
早く元気になって欲しい一心で
手を替え品を替えいろいろ声をかけてきた。


なぜなら、
辛そうにしているのを見るのは辛い。
家族ゆえにいろいろ心配になったり
金銭面含めて不安になったりもするからだ。

が、
一向に変わらない。


そんな揺らいだ気分の時、
最近親しくさせてもらっている
素敵な年上の女性から以前言われた
言葉をふと思い出した。


「〜しなさい」
と相手に言いたくなる時、
相手のことを思えているようで
実はただ自分が安心したいだけ。

よくあるのが、
「勉強しなさい」と口うるさい親。
子供が勉強しなくても
困るのは子供本人であり、
別に親が困るわけじゃない。

仮に本当に困ったとしても
それはその時に本人が自分で気付いて
乗り越えるべき課題だから、
周りがとやかく言うことじゃない。


その親しい女性は優しく諭すように自身の
過去の経験を織り交ぜて語ってくれたけど、


あまりにも図星すぎて
ぐうの音も出なかった…😂


勉強の例えがすごく分かりやすかったけど、
考えるほどにものすごーく納得。


そもそも、
「勉強しない=将来困る」というように
「◯◯しないと大変なことになる」

という方程式もその考えを自分の中で
採用している本人がそう思っているだけで
全員が全員100%当てはまるわけじゃない。


勉強出来なかったにも関わらず
楽しく充実して生きている人は
この世の中にいくらでもいる。


コントロールの意図を含んだ
私や他の家族からのエゴ満載の言葉が
これまで父の心の負担になってたとしたら
なんだか申し訳ないなぁと反省しつつ、


それと同時に、
「そうかぁ。
そんなに自分は安心したかったんだなぁ
それくらいずーっと不安だったんだなぁ」


と、
なんとかして相手を動かそうと
躍起になってた自分に対して
ちょっと慈しみの気持ちが湧いてきた。


エゴから出た言葉か
愛から出た言葉か

同じ言葉でも、
伝わり方は面白いくらい違ってくる。



この言葉を裏付けるかのような
出来事がちょうどこの間あった。


皆が居間で過ごしている時に
どんなに眠かったり
どんなに体調が悪い時でも
1人だけ先に自室に行って寝ることを
やたらと嫌がっていた父。

これは健康だった時からずっとそうで、
なぜなら根が極度の寂しがり屋だから。
(1人旅とか絶対無理なタイプ)


そんな父がある日を境に、
どれだけ居間で皆がわいわいしていようと
自ら自室に行くようになった。


妹の旦那さんから、
「お義父さんの身体が良くなったら
僕は長崎に一緒に旅行行きたい!」
と言われたのだ。


国際結婚した妹の旦那さんは
とにかく父のことが大好きで、
大病が発覚した時もとても気遣ってくれた。
(なんなら血の繋がっている家族以上に
彼が一番心配してくれていたw)


そんな彼の純粋な気持ちは
父の心にまっすぐ届いて、
行動までも変えてしまった。

あれほど頑なだったのが嘘みたいに。

人のことは変えられない
というのは真理だとは思うけど、

相手を心の底から本当に想う気持ちは
国や言葉の壁を超えて伝わるし、
相手の心をほぐして行動までも
結果的に変えてしまうこともあるんだなぁ

と改めて学ばせてもらった。


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