ミルクパンの側にある人生
むかし、近所に美味しいミルクパンを売っているパン屋さんがあった。まん丸で柔らかくて、ほんのり甘く、とにかくよい香りがした。そのお店がオープンした時になんとなく買って以来私はとてもそのパンが好きになり、訪れるたびに親にねだった。
そのパンを買いに行くのは日曜の朝だった。近所といっても自宅から隣駅との間くらいの場所にあったので、晴れの日なんて最高だ。日曜の朝、少し早く起きてパンを買うためだけにおでかけし、とびきり美味しい焼きたてパンを買って帰りそのまんま食べる。今考えてもものすごく贅沢な休日だったと思う。
ほんとうに毎回夢中で食べた。そのまま食べても、塩気のあるおかずと合わせても、ジャムを塗ってもバターを塗っても美味しかった。いつ食べても変わらない美味しさだった。
いつも変わらないということは、特にそれが良い状態で保ち続けることは、極めて難しい。なにが起きようと成果物は変わらないというのはとびきりの技術が必要だと日々感じている。
そのパン屋さんも相当な技術者だったはずだ。聞きなれないドイツ語の店名と酸味の強いドイツ系のパンたちは現地での修行を感じさせた。
長いことお店はそこにあったが、今思うに、きっと色んなことがあったのだろう。オープンの頃、ご夫婦でお店に立っていた。旦那さんがパンを焼き、奥さんがレジ、ふたりとも朗らかだ。やがて、奥さんが赤ちゃんを抱いてお店に立つようになっていた。そのうち、お店で見かけるのは旦那さんおひとりになった。そしていま、お店は別のパン屋さんになっている。私は初めてミルクパンを食べたのは小学生の頃だったが、お店が変わったことに気づいたときは大学生だった。
いつ、お店が変わったのかわからない。けれど最後にパンを買いに行った時も、ミルクパンはものすごく美味しかった。職人さんといっても人間で、人生単位どころか日々、刻一刻、感情も体調も変わっていく。それでもいつも美味しいパンを私たちに売り続けてくださっていたのは、本当にすごいことだなぁと今更思うのだ。
日曜は休みじゃないことも増えたが、私は元気に生きている。コンビニのパンを数え切れないほど食べたって、幼い日々に食べたとびきりのミルクパンの味を思い出せる。どうか彼とご家族が元気で幸せで、彼らの焼くパンを食べる人たちも元気で幸せで、あってほしいと願っている。
ミルクパン、大好き。
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