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過去の自分に伝えたいこと

3月は私の誕生月で、とうとう今年40歳になった。

20歳の頃、40歳の自分なんて想像できただろうか?

若かりし頃、「おばさん」だと思っていた40代に、今、私も仲間入りしたわけだ。

40代になった今、なかなか良いものだと思う。

若い人に負けたくないとも特に思わず、おばさんと言われてもカチンとくることもなく、歳を重ねることの良さを今身にしみて感じているのは、ありのままの自分を愛しているからなのだと思う。


そう思えるのも、今の私が今までの人生の中で、一番好きな私だからなのかもしれない。




もし昔の自分にタイムマシーンで会いに行ったら、何か伝えたい言葉はあるだろうか?

皆さんはどうだろう?



ライフステージの変化

私は22歳から32歳までライフステージ激変の10年間だった。

社会人になり向上心もあった故、管理職や役職に就くほど仕事も頑張った。

転勤もした。
会社でのプレッシャーや人間関係にストレスを感じ疲弊しながら、プライベートでは恋愛や失恋もした。

それを経て、結婚と出産…そして離婚。

たった10年の間に、女の子だった私が女性となり、妻となり母となった。

ライフステージが変わる毎に心の奥にある穴のようなものがどんどん大きくなっていくことにも、なんとなく気付いていた。
気付かないふりをした皺寄せが結婚生活によって露呈したのだと今は思う。


30歳になり、離婚で悩んだ頃が今まで生きてきて1番辛かった時期だったと覚えている。
あの頃鬱状態だった。


今だから思うが、心が未熟な状態で自分の状況や環境がこれだけ変化すれば心に余裕がなくなるのも無理ないなと思う。

私は、その頃の自分に会いに行ったら、何か伝えたいことはあるだろうか?

私の答えはこの記事の最後に書こうと思う。



私を好きだと思う理由

今まで自分を好きだと思えたことなんてなかった。
いや、むしろ自分のことはずっと嫌いだったと思う。

昔の私と今の私はどんなところが違って、どんなところが好きになれたのか?

もし今、自己嫌悪と自分を責めてしまって辛い人がいたら、思いやりがあなた自信に向くように…と願いを込めて書き進めたいと思う。



過去の私自身が1番欠けていたと思うことは、思いやりだ。

昔の私は自分にも他人にも思いやりが無かった。


今の自分が好きだと言い切れる一番の理由は、今の私は、自分にも他人にも思いやりがあると感じているからだろう。

セルフコンパッション(自己への思いやり)という言葉を聞いたことがあるだろうか?

(セルフコンパッションについて、知りたい人がいたらこの本がオススメ)


自己への思いやりとは、自分が自分の一番の理解者でいること。
なのだと思う。

と、言葉で言うのは簡単なのだが。


自分に思いやりを持つ為に…

最初に心がけたことが

自分に批判的な言葉を止めること 
だ。


自分に批判的な言葉を言う時、私の場合ほとんどが比較や競争してる時だ。

誰かと比べて劣っていると感じた時。
理想と現実を比べて凹んだ時。
誰かと競争して勝利しなければ自分に価値がないと思っている時。
素直に負けや、羨ましさを認められない時。

そんな時、情けない自分を感じたくなくて、そんな自分を許せないからもっと自分を批判していた。

批判したところで良いことなんてない。
ただの自分いじめだ。


だから、自分を批判することを止めるのと同時に、誰かや何かと比べることを止めようと思えた。

批判を止めると、自分の長所も自ずと見えてくる。

しかし、批判を止めて見えてくる長所を、今度は承認して欲しくなる。


承認欲求が出てくれば、承認欲求している自分をまた批判したりもするという、負のスパイラルも経験した。


実のところ、承認して欲しいところというのは、自信がないことを誰かに認めてもらって自信を付けたいだけなのだと思う。
まるで子供が、出来るようになったことを親に認めてもらいたがるように。

ならば、大人の私が幼い未熟な私の気持ちを認めてあげればいい。
そんな風に段々と思えるようになってきた。

思いやりの心で自分に接するから、自分と他人にも思いやりが持てるようになったのだろう。

自分を他人と比較しないように、他人のことも比較しなくなる。
他人が比較して傷ついてるとき、本人に変わって思いやりの気持ちや言葉をかけることができる。

とどのつまり、自分にしていることしか他人にも出来ないのだろう。

セルフコンパッションに終わりはなく、今もまだまだ成長途中だ。

自己への思いやりは周りも変わる

その結果自分の外側がどう変わったのかと言うと…
人間関係が劇的に変わったように思う。

仙台に来て10年近く孤独だった私に親友ができた。
何でも話せる、心を許した親友はもちろん、信頼できる友人、知人も沢山できた。

仕事や趣味を通した仲間も出来た。

離婚はしたけど、元夫や姑とも良い関係だ。

親や兄妹、子供との関係も前よりもっと良くなっている。

親密になることを怖がっていた孤独感しかなかった昔の私には一番の変化と周りの人は宝だと思う。

不思議なことに、身近な人のもう少し外側。
行きつけのお店の店員さん、美容師さん、リラクやマッサージのいつもの担当さんもここ数年はいい人ばかりと縁があってとても恵まれているなと思っている。

私は今の自分も好きだけど、今の周りの人のことも好きなのだ。


さて、やっとタイトル回収をしよう。

もし昔の自分にタイムマシーンで会いに行ったら、何か伝えたい言葉はある?



私の答えは…

何も伝えない。


数年前だったら、昔の自分に会った時に伝えたい事は沢山あったから、何も伝えたい言うことに些か驚いている。


なぜなら、あの時の私に何かを伝えたら、今の私に出会えないような気がするから。

辛い事が沢山あったけど、それを乗り越えてきたから今の自分を好きだと思える、思いやりを学んだ私に出会えたから。

だから、何も伝えないことが、もしかしたら過去の私と今の私への思いやりかもしれない。

これから自分がどんなふうに歳をとるのかわからないけれど、また10年後、50歳になった時も自分のことが好きな自分でいたいと思う。

そして、自分を愛することは案外地味だ。
自分が好きとは、自信いっぱいでキラキラとした生活をしている人たちのことだと思っていたけど、私の場合はそうじゃなかった。

ありふれた日常の中で、心に余裕があり、自分も相手も配慮したり、理解できることなのかもしれない。


自己への思いやりは、遠回りのようで、その道すがらに、無価値観や罪悪感を癒し、恥や執着も手放せ、自ずと自分軸になれること、即ち自分を愛する愛の源になりうるのだということを改めて自分に言いたいと思う。







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