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ADHDの幼馴染とわたしの30年越しの贈り物【前編】

先日、幼馴染に
「私、ADHDなんだ」と告げられた。


私には実家同士がお向かいさんで、7歳から仲良くしている同級生の幼馴染がいる。
仮にAと呼ばせてもらおう。
先日Aと7年ぶりだろうか。
久しぶりに再会した時に始めの話を聞いた。

そして、その言葉を聞いても驚かなかったし、
正直、安堵を感じた自分がいた。

10代まで毎日一緒に過ごし、近くで見ていた私にとって、ADHDだったら仕方がないな。
と思う過去の出来事が山ほどあるからだ。


ADHD。


今は情報社会で認知も進み、知っている人の方が多いけれど、私やAが子供の頃は全く認知されていなかったように思う。
だから、本人もその家族も子供の頃にサポートを受けるということはなく、本人はもちろん、周りの人もADHDに対しての知識がある人なんていなかった。

きっと私と同じ時代を生きていた彼等は大人になってから生き辛さや、人生の壁にぶつかって、そのことに気付くことの方が圧倒的に多いのだろうと思う。

おそらくAもその一人だ。


そしてこれは、そのAと私が30年越しの気持ちを届けた完全なるノンフィクションの物語である。



Twitterで先日これを見た時、ちょっと笑ってしまった。
言い方は悪いけれど、この方の言う通り、私はAのそばで、この桁違いのヤバさをしっかり見てきたから。
でも、逃げてはいないです。笑

彼女の遅刻と忘れ物に、私は何度振り回されてきただろうか。

思春期の私は、
いつも遅刻したり、忘れられたり、迷惑ばかりかけられるのはとても理不尽だと思っていたし、

きっと、私のことを馬鹿にしているんだろう。
多分、私のことなんてどうでもいいんだろうな。
と当時は感じていたのだから。

だから、正直、そういった部分が嫌だった。

でもそれがADHDのせいだったのならば、過去の記憶も、気持ちも、全て仕方がなかったんだなぁと思える。
やはり安堵という表現が1番近いように感じる。


Aとは7歳からの友達だけど、友達や親友、というより、幼馴染と呼ぶ方がしっくりくる。
家が近く彼女の親や兄弟も知っているし、家族に近い感覚なのかもしれない。

そんなAとは家が近いこともあり、実は一度も同じクラスになったことはない。
だから、それぞれ別の友達と遊んでいたのでいつも2人で仲良しだったか?と聞かれるとそういうわけではない。

しかし、通っている塾も一緒で、同じ吹奏楽部で、同じトランペットで。
高校からは違う学校だったけど、バイト先も一緒で、彼女が教えてくれたヴィジュアル系バンドに一緒に沼に落ち、中でもラクリマクリスティというバンドは私もAも一番大好きなバンドだった。
10代後半は、毎日顔を合わせていたと思う。

そんな私たちが大好きだったラクリマクリスティのKOJIくんがガンで4月に亡くなり、東京でのお別れ会に行くために先日7年ぶりに再会したのだ。

私たちは広島出身で実家は今でもお向かいさんではあるのだけど、現在は私は仙台。彼女は関西に住んでいる。
お互いに同じ時期に広島から離れているので、地元を離れてお互い十数年。あっという間だ。

そんな彼女と7年ぶりに会うわけなのだが、待ち合わせから、さすがだと思った出来事がある。
以下を読んでいただきたい。

お別れ会当日、東京駅で待ち合わせをした。
先に言っておくが、Aはひどい方向音痴だ。
本人も自覚しているけれど空間認識能力が非常に低い。もしかしたらADHDの特徴なのかもしれない。

なので、私の方が20分早く着いたので、方向音痴な彼女のために、降り口を指定し、下りてくるであろう改札の真ん前で待っていた。

新幹線が到着した時刻。沢山人が下りてくるのにAの姿がない。

「○○口に出たよ。」とLINE。
それは私が伝えた出口と反対側だった。

チーン。

東京駅って地方人にとっては迷宮であり、ダンジョンです。
相手が方向音痴ならなおさら。

だから出口を指定して、すぐに会えるように待ち合わせした。
危険回避したつもりだが、いつもその斜め上をいく。笑

どうしようか考えている時に、私の目の前に花屋があった。
お別れ会に持っていく花をここで2人分買って行こうか?と聞いた。

すると、
「優ちゃんがいる花屋ってここ?」と、地図がスクショされてきた。

しかしながら、花屋だけがアップされた地図のスクショは、周りに何があるのか分からず。
これはどこの花屋だ?と私が考えているうちに…

「今から向かうね!」
と、私の返事を待たずに動く。さすが多動性、衝動性。

「着いたよ!」とLINE。


案の定、私のいる花屋には来なかった。(笑)

その後私は東京駅の構内にある花屋を調べ、もう一つの花屋に向かった。
しかし、そこは東京駅ダンジョン。

地下1階にあるのは分かるんだけど、構内案内に載っていなくて、地下のどこにあるのか分からない。

そんなとき、とてもイライラしている自分に気が付いた。

そして、ふと昔のことがフラッシュバックする。

そうだ、いつもこうやって私が彼女に合わせて、私が疲弊していくんだった。と。

無理して、頑張るのはやめよう。
そう思った。
だから、その場で彼女に電話して
「ごめん、場所分からなくて、そっちに行けそうにない。地下鉄の乗り場で待ち合わせよう」
と。

そんな話を電話でしながら歩いていたら、聞いたことのある声がかすかに後ろからしたので振り返ると、少し離れたところにAがキョロキョロしながら立っていた。

新幹線が到着して、再会するまでの時間…
実に、40分。笑

新幹線の降り口で、会えていたら…と思うと時間のロスはハンパないが、こんな風に面白い話にすると最高に笑えるなと思う。

今の私は笑えるけど、昔の私にはそんな風に思えなかったとも思う。


久々に会ったAとは、7年ぶりとは思えないほど、会った途端に話は弾み、その日の夜は明け方まで寝ないでおしゃべりした。

そういえば、高校生の時もよくしていたな。
家が目の前だから、話しながら寝てしまってお互いの家から朝帰りとか、何度しただろう。

友達ってブランクがあっても合えばすぐにあの頃と同じように話せるものだ。


私は、彼女との再会を通して、自分の中で理解が深まった事がある。
それは、私のカウンセラーの師匠、根本師匠も言っている、問題の影に才能ありという言葉だ。

私は、相手を受け入れるのがおそらく得意なのだと思う。
相手の長所も短所も全てひっくるめて受け入れる力が私にはある。

幼馴染のAの、遅刻や忘れ物、想定外な行動も、受け入れてきたと思う。
Aだけではない、今まで出会ったいろんな人に対してもそうだと思う。

相手に寄り添おうと思ってきたし、相手に合わせてきたし、相手を否定的に見ないように努めてきた。

昔誰かに言われたことがある、「優ちゃんはよくそこまで許せるね」と。
恋愛か、仕事か、何のことに言われたのか思い出せないけれど。

相手を受容する力が私の才能なのだ。


でも、その受容力という才能を今まで自分に使ってきたのだろうか?



私はいつも八方美人だったと思う。


いい人でいたい。
いい人に見られたい。
だから頑張る。
これだけいい子なのだから、私を認めてよ。
私に優しくしてよ。
私を愛してよ。

誰かに認めてほしかった。
だから、自分を犠牲的にして他人に尽くしていたと思う。


相手はありのままに受け入れるのに、自分の欠点は自分を責める材料にしていたと思う。
他人に対しては優しく在ろうと努めているのに、肝心の自分に対しては優しさどころか、自分の状態をいつも無視していたと思う。

それは私の無価値観もあるのだと思うのだが。



自分の価値を信じられない。
自分自身を認めること、自分を許すことができないから、いつも私には何か足りないと思い頑張りすぎる。


せっかく相手を受容する才能があるのに、才能を他人にばかり酷使していたのが、昔の私だ。

だから、結婚生活も恋愛でも、職場でも、学校でも。
誰かのために頑張る。
犠牲的な努力は、いずれ限界を迎える。
それが爆発して、自分も周りも傷付けて自己嫌悪する。
いつも、そのループだったと思う。

問題なのは、
「自分のことを無視し続けてきたこと」だと思う。

だから、人に合わせてばかりで、自分が何者なのか?が、よく分からなかった。

私は、本当はどうしたいの?
本当はどう感じたの?
本当はどうして欲しかったの?

私は、何をしたら喜びなの?
何をされたら嬉しいの?
何をしたら、されたら怒るの?
何をしたら、されたら悲しいの?
どこが限界なの?
どこまでが無理してるの?

自分のことが分からない時、人は苦しいものなんだと思う。


そんな私が東京駅での待ち合わせでAに「そっちに行くの無理」って伝えたのは大きな自分の成長と変化だったと思う。

これ以上相手に合わせて、相手の為に何かすると、限界迎えて自分も相手も嫌な気分になることを、ちゃんと理解したから伝えた場面だったと思う。

頑張ることに白旗を上げられるようになったのだ。

そして、自分の我慢や頑張りに白旗を上げられるようになるのは気分がいい。
だって、それで不機嫌になったり怒ったり、それを相手に出して察してもらおうとしないで済むのだから。

東京駅で「もう無理」って言った時、Aが電話越しに言った
「今どこにいるの?」と。
方向音痴なのに言っても分かるわけないじゃんと思いながら、説明する私。結局その1分後、再会した。

それはそれは、小さな出来事ではあるのだけど。

私が頑張らなくてもなんとかなる。
方向音痴で頼りないと私が決めつけていたAは、あの東京駅ダンジョン私を探そうとしてくれてた。
そして、偶然ではあるけれどすぐ合流できた。
もっと人を信頼したり、頼ったり、甘えようと思った。

些細な出来事だけど、似たような場面はどこでだってある。
小さな積み重ねが、大きな変化になることは沢山あると思う。


頑張りすぎる自分。
無価値感の強い自分。
相手を受け入れ過ぎて自分を見失う自分。

そんな自分があまり好きでは無かった。

でも、相手をありのまま受け入れる力が強いこと、受け入れられるだけの心の器があること。相手によりそってあげられる優しい気持ちや、共感力。
これらは私の才能であり、魅力であり、価値である。

そんな自分自身に、彼女を通して改めて気付いたし、この価値を受け取ろうと思った。

そして、この価値や才能を、犠牲的ではなく、自分の喜びの為に使いたいと思った。
30年越しに宝を見つけたような気持ちだった。


では、長くなったので後半はまた次回!

後半はADHD故の彼女の生き辛さなどに触れていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。


後編はこちら

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