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1通のメールがタイムマシーンになった日

※写真と文章は関係ありません

「ある旅館のリニュアルで屋外と繋がり、自然を感じられる宿にしたいので是非珠緒さんに参加していただきたいのですが」

およそ四年ぶりの大学の先輩からのメールだった。偶然にもこの夏あたりからホテルの仕事をしたいなあと漠然と思っていたところだったので、タイミングの良さに軽く驚きながら、即答で「是非参加させて下さい」と返事をした。

あれれ……?どうやらこのメールの送信ボタンはタイムマシーンの発車ボタンだったようだ。
33年昔にワープしてしまった。

そこは1985年のゴールデンウイーク明けの大学の生協だった。私は初めてのバイトで買ったDCブランドの服をまとい、ペンを選んでいた。

軽く背中を叩かれたので振り向くと、目鼻立ちのはっきりしたショートボブの女子大生が立っていた。

彼女は少し高めの声で早口にこう言った。

「今度建築士会館で、女性の建築士の集まりがあるのですが、よかったら参加しませんか?」

それが2年上の先輩和美さんとの初めての会話だった。

1年生だった私は浪人して入ったせいか8人しかいない同級生の女子とはあまり馴染めず、なんとなく浮いていたので学内に親しい女性の先輩ができるのが嬉しかったので「女性建築士の集まり」についてはよく分からないまま、オッケーしていた。

お互いに軽く自己紹介した後、和美さんは私をお茶に誘ってくれた。
大学の駐車場に停めてあった赤いマーチで私たちは玉堤通りにある「ジョイガーデン」へと向かった。
ジョイガーデンは大学から車で1分のところにあるうちの学生御用達のファミリーレストランだ。

当時の大学生はかなりの割合で車通学だったし、たった1分のところにも車で遊びに行っていた。

ジョイガーデンでお茶をしながら、和美さんは自分のことを色々話してくれた。
最初1年間は別の大学で心理学を学んでいたこと。どうしても建築がやりたくて大学を受け直して今の大学に来たこと。4年になると研究室を選ぶのだが、広瀬研究室にもう決めていることなど。広瀬先生はうちの大学の看板教授だということ。勉強不足で何も知らなかった私には全てが新鮮な話だった。もし広瀬研究室に入りたいのなら、一年のうちから何かと顔を出して「先輩のお手伝い」をしておくと良いこと。研究室は夜型なので大学の講義が終わった後くらいにいくと先輩たちがいることなどを一気に話してくれた。

私は「へえ、そうなんですか」とか相槌を打っているのが精一杯だった。

「なんだか面白そうだなあ」

それからはバイトのない日は大学の研究室に通い入り浸るようになって行った。

和美さんが来ていない日でも誰かしら先輩がいて、手伝いをしたり話したりしていた。
タバコ臭く、男臭い研究室だったけれど、なんかその「空気」が好きだった。

先生はコーヒーに砂糖をスプーン2杯いれること、クリープもたくさんいれること。
出すタイミングなどもだんだんに覚えて行った。

4年生と院生のメインのゼミの打ち合わせは週1回で大体夜の8時くらいから始まる。
今から思えば「ブラックゼミ」だ。

その間は先輩たちに言われた仕事をしたり、自分の課題をしたりしながら、ゼミが終わるのを待って和美さんの赤いマーチで一緒に帰るのが習慣になった。

研究室も楽しかったけれど、この赤いマーチの中がさらに最高だった。恋のこと、設計の課題のこと、新しくできた建物や、おしゃれなバーのこと、読んでいる本のこと……。ノンストップ女子トーク炸裂状態!!

カーステレオにはユーミンと稲垣潤一と竹内まりあがエンドレスで流れていた。

心理学を学んでいたからか、和美さんの話は他の同級生や先輩と比べて少し変わっているというか大人びている気がした。当時の学生のほとんどが、建築雑誌からデザインを模倣して設計している人が多かったのに対して、和美さんはいつも「住む人の心の動きを考えて、プランを考える」という話をしてくれた。「デザインは形だけではない」ということが一番言いたかったのだと思う。
20歳そこそこで明確なビジョンがあったわけではないし、女子特有で話はあっちいったりこっちいったりしていたけれど、いつも赤いマーチ号の女子トークの中にはデザインに関する一本の芯があった。赤いマーチ号は私に取ってはもう一つの学校だった。和美さんの話に出てきた本を読んだり、出てきた場所へ行ったりと、課外学習もたくさんした。

本当の意味で私のデザイナーとしての根っこを作ってくれたのは「赤いマーチ号」だったのかもしれない。

カーステレオに「中央フリーウエイ」が流れ始めた頃、また現代に戻ってきた。

ここは、2018年晩秋の護国寺のデニーズ。
和美さんと私は前に和美さんが撮ってきた旅館の写真と前回彼女が提案してオーナーに気に入られたというプレゼンシートを前に座っていた。

護国寺のデニーズといえば、あの頃話足りなくて途中で寄ったことのあるお店だ。

最初のうちは、普通の仕事と同じように旅館の立地や関わっている人物などについての概略の説明があった。そこからだった。和美さんにスイッチが入ったのは。

「手始めに先方も様子見で、とりあえず、この3部屋だけ改装することになったの。不倫カップルのお忍びの宿にしたいんだって」

確かに聞いたこともないほど秘境の温泉なので不倫カップルに向いているだろう。
その部屋には部屋付きの風呂がないので、それを造ろうというのが今回の趣旨らしい。

40代前半の女性と50代後半の男。少し年の差のある不倫カップルを主人公にやや昼メロっぽい妄想タイムが始まった。女性が先に湯船に浸かる。
男はそれを部屋でお酒を飲みながら見ている。女性の白く艶やかな首筋を汗がつたう。男は情動が抑えきれなくなる……。

「露天風呂は少し部屋から離れた位置にあった方がいいわね」
「そうですね。男を焦らすんですね。お風呂に入っている女性が少し見えにくいくらいに木の枝が手前にある方がいいかも」
「おお、いいねえ。見えるようで見えない方がセクシーよね」

33年の時を経て内容がかなり濃密になって猛烈女子トークは復活した。

お互いの仕事上、プライベート上の様々な経験がプラスされて密度こそ増していたが、「人間の心の動きから建物を設計する」という和美さんの設計指針は全くぶれていなかった。

プロジェクトがすすむのが楽しみである。


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