見出し画像

朝の散歩のこと

昨年末に仕事を辞めて、最初にはじめたのが朝の散歩だった。とある動画で朝の散歩はセロトニンを増やすのにいいらしく、生活習慣の改善も兼ねて毎日1時間ほど近くの河川敷を歩いていた。もともと朝起きること自体があまり得意ではないので、散歩の時間は8時〜9時くらいの間。近くに保育園や小学校がありちょうど通学の時間帯で、子どもたちの声で目が覚める。もそもそと着替えながら子どもたちの声が薄まるころに家を出て、人の流れに逆らいながら河川敷を目指して歩き出す。途中までは音楽やラジオも聴かずにひたすら歩くことだけに集中する。当たり前だが、普段音楽に遮断されて聴こえていなかった生活の音が耳に入ってくる。それに耳を傾けて、何も考えない。ぼーっと歩く。思えば、ぼーっとする、ということ自体あまりしてこなかったように思う。気がつけばスマホを触っているし、動画やsnsばかり観て脳はずっと動いている。仕事も朝からパソコンを触っているから、休まる時がない。ぼーっとしてみるということは最初、けっこう難しかった。何かしら思考しようとするし昔の記憶を引っ張り出してこようとして今に集中できないのだ。ぼーっとするはある意味、今ここの状態に集中することなんだなと歩きながら気がついた。
河川敷にくると、平日なのに意外と人がいてランニングしたり私と同じように散歩しているひとたちを見かける。それなりに都会の方に住んでいるが近くに河川敷があってよかったと思う。毎日歩いていると同じ場所なのに木々の葉のつき方や、空気が変化していることに気がつく。朝の散歩は冬から春にかけてが一番心地よかったように思う。ツンと冷たい空気からほどけるようにやらわかくあたたかくなっていく。桜の蕾が花になり散るまでの変化、そこから緑が増えて日差しが強くなっていく様。あっという間に時が過ぎていくのを歩きながらみていた。自分は変化していないのに、確実に時間は過ぎていくのを季節の変化を通して感じていた。焦りはなく、ただただ毎朝歩くことだけに集中していた。無職でメンタルを壊していたが、転職活動をするなどそれなりに活動的だったのは朝の散歩のおかげのように思う。20代の前半はそれこそ昼夜逆転の生活をしていた時もあり、その時の方が明らかにメンタルの調子が悪かった。
現在、朝散歩は中止している。紫陽花が咲きはじめたころ、いよいよ暑さが本格的になり散歩するどころではなくなったからだ。この時期に散歩するには6時ごろくらいでないと暑くて熱中症になってしまう。8時代では日差しが強過ぎて河川敷まで辿り着けなかった。
仕事が決まったのでそろそろ会社員時代の時間軸に戻していかないといけない。今は朝6時代に起きることを目標として朝の散歩ができるようにがんばろうとしているところである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?