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大好きなライブに娘を連れて行き後悔した事から価値観を再発見した

昨日、僕の好きなオイスカルメイツというバンドを見に錦糸町までライブに行きました。
オイスカルメイツはかれこれ20年間くらいずっと追いかけていて、1年に1回は必ずライブに行っています。

本来は友人と行ってお酒を飲みながらはしゃぐ予定でしたが、娘が蟻の出る家で一人で留守番はしたくないという消去法で一緒に行く事になりました。

娘は本当に興味がなかったらしく、終始無表情。その場で座り込み、演奏中は、遂に木陰で虫を探していたり割り算のひっ算の練習を土に書いたりしていました。かわいいですよね。

僕は娘が気になってしょうがない状態&娘を長時間電車で行くのは申し訳ないので車で行っていたのでお酒も飲めず、大好きなミュージシャンでしたが全然音楽に乗れませんでした。

ライブの外側から見ていましたが、前列で音楽を見ている人は楽しそうに身体を揺らしながらお酒を飲み良い感じに楽しんでいます。陽気なおじさん達が目を合わせながら笑顔で踊っている姿は本当に羨ましいと思いました。

僕は昔からライブで楽しめていない状態になると必ず、「楽しめていない自分」を俯瞰してしまう事を思い出しました。中途半端に楽しめていない自分が悔しくなるのです。

頑張ってその場で手をあげたり拍手をしたりと、それなりに楽しもうとしましたが、中途半端な僕は遂に関係のない隣に立っている人の事を気になりだしたりしてしまいます。「隣の人も今いち盛り上がっていないけど、中途半端な僕のノリをどう思っているんだろう?」と考え出し、今いち盛り上がれませんでした。

その日は「娘と一緒にライブ行けた貴重な経験だし」「1分だけ娘をおんぶして一緒に音楽のれたし」と無理やり正当化し感情に蓋をして自分に言い聞かせました。

次の日、仕事に車で行く際にそのミュージシャンの曲を聞きながら出勤をしました。楽しそうなダンスミュージックを聞いていると、楽しめなくて悔しい気持ちが湧き出てきました。
「悔しいー!」と車の中で叫んでしましいました。

僕は好きな事に対して【楽しむ】事にとても執着心があると同時に、自分にとって一番大事にしたい価値観である事が分かりました。
今まで一番大切な価値観は【ありのまま】にいたいと思っていましたが、【楽しむ】ために【ありのまま】でいたいだけなんだと腹落ちする事が出来ました。

ふと一年前に読んだ自己理解プログラムで有名な八木仁平さんの本を手に取ると、価値観のパートで価値観ピラミッドで頂点に書いていたのはやはり【楽しむ】でした。
一年間、価値観を何度も確かめて、【ユーモア】だったり、【ありのまま】だったり【自由】だったり行ったり来たりしましたが、どうやら1年間で一周して【楽しむ】に落ち着いたようです。

僕は仕事でも楽しみたいんだな、だからこそフリーランスコーチとして独立を目指しているんだと理解する事が出来ました。

大好きなバンドを楽しめなかった事でやっと腹落ちした一番大事な価値観。大好きな娘とオイスカルメイツに感謝です。


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