応援は義務ではない話

「見に行けないけど応援してます」
「見に行けないけど頑張って」

という言葉について、この前議論が上がっていた。
勿論、それについて思うことは人それぞれなので自由だ。その上で私が気になる言葉がある。

「今回は見に行けなくてごめんなさい」

我々は勿論、応援してくれる人がいないと成り立たないわけなのだが、それに対して応援してくれる側が謝る必要性はないと思っている。
そうなってしまうと「義務」になってしまう。

舞台をやる側は「仕事」だけど、見る側は「娯楽」であり「趣味」である。
そこに義務感が発生するのは非常に危険だ。
楽しかったはずのことがストレスになることがある。

例えば、応援している役者さんが今度出演する劇団があまり好みでないというときに、それでもその人のお芝居を見るためにいくというのはあるけども、無理して好みじゃないものを見る必要もない。
そういう当たり前の選択肢を前に「応援してるんだから見に行かなきゃ」になってしまうと途端に義務になってしまう。

私自身、役者ではあるが私生活はただのオタクであるが故に推す側に回ることもある。
それはずっと私自身も経験してきたことだ。

ファンは取捨選択の権利があるので、その人の全てを受け入れる必要はない。

もちろん、私自身は全てを応援してもらうために努力しなくてはならないが、しかし応援する側は取捨選択だ。ごめんなさいは言わなくていい。

少しでも多くの人が人生を変えるくらい素敵な作品に出会えたらいいと思ってるし、あわよくばそれが私の関わっている作品であったら嬉しいし、少しでも演劇や舞台が好きになってほしい。

コロナ禍を経て、演劇界も少しずつ変わってきているし、もちろんお客様側の生活も変わってきてるだろう。
好きなことだって無理してするものじゃない。

そんな中で、選んでくれてありがとう。

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