大人になってしまった少女は、今でも空を飛べるだろうか

続き。
とはいえ、続きというほどではない。
それぞれが独立した話だ。
そもそも前回の記事から時間経ちすぎてしまったので、もはや続きとも呼べない。

そして前回の話が思ったより反応が大きくてちょっとびっくりしたのだが、やはり皆同じような悩みを抱えているのだと思った。

昔は男の子に間違われてたと書いたが、小学3〜4年生の頃にはそんなこともなくなった。
髪を伸ばすことも違和感を覚えなくなったし、可愛い格好もするようになった。
ただ、今度は逆に「女らしくする」ことが恥ずかしくなっていった。自分がどうしようもなく「女の子」であることが嫌だった。「可愛い」とか「女の子らしい」とか、言われることが苦痛だった。
自分は運動音痴の上に体が弱いので外で遊ぶとかそういったことに興味がなくて、絵を描くのと本を読むのが好きな人間だったのだけど、それを「女の子らしくて可愛い」とは思えなかったのでなんだか揶揄されてるようで嫌だったことを覚えてる。(というか今思うと本当に揶揄で言われてる部分もあったのかもしれない)わざと弟の服を着て学校に行ったりすることもあったけど、見た目が変わったところで興味のある分野が変わるわけでもないので、結局のところ何も変わらなかった。

この頃から所謂、陰キャと呼ばれる部類の人間なのだが自分にはその自覚がなかった。他の人が何をしていようと自分の好きなことをして、自分の好きなコミュニティを築いて、自分の好きなことだけに興味関心を注ぐタイプで、シンプルに不思議ちゃん扱いされていたのだが、そのことにも良いのか悪いのか全く気付いてなかった。田舎の学校だったので、それで孤立しなかったのも不幸中の幸いなのかもしれない。(主題とはズレるが、不思議ちゃんを悪口のオブラートにするのは、本来の意味が変わってくるので悪い意味で使うなら何か別の言葉を使ってほしい)

そこそこ厳しい家庭で育ってきて、子どもの頃は休日は友達と遊ぶより家族と出かけたり、親族と過ごすことが多かった。家族とは社会の最小単位と言われるけども、本当にそうだと思う。友達は少なかったけども、そもそも少ないという自覚もないほど、その社会しか存在しなかった。

前の記事でも少し触れたが、私の家族及び周りは「女は女であれ」が当たり前だった。私自身ずっと何もしなくてもそのうち結婚して子どもが産まれて専業主婦になると思っていた。

今思えば狭い世界の上での思考停止なんだと思うのだが、東北の片田舎でそこそこ何不自由なく暮らしている10代の女学生にそれ以上の世界は広すぎた。密かに夜中のインターネット上で繋がる、似たような趣味嗜好を持つ「住む世界が違う人たち」にはない物ねだりの憧れはあったけども。

「別に、あんたが女の子を好きでもいいんだよ。〇〇(弟)が男の子を好きでもいいんだし」

学生時代、父がいない時に母が何の気もなしにそう言った。
自分自身のジェンダー感と、恋愛対象はまた別物ではあるものの、母がそう言ったことによって私の長年のつっかえた物が少し取れた気がした。
当時の私は女性が恋愛対象だったわけではないが男女関係なく気が合う人間と一緒にいたし、同世代の同性の子間で良いとされているものにあまり魅力を感じなくなっていた。

人それぞれ何が好きでもいい、という感覚を自分の家族が持っていたことにも少しだけ安心したし、自分が認められたような気がした。

とはいえ、《一般的な感覚》を求められる社会は自分にとっては生きづらい。そんな時に出会ったのが高校の演劇部だった。女子校の演劇部だったので、男役も女の子がやらなくてはならなかったのでそれが自分にとってはとてもありがたかった。男の子になれることもあれば女の子でいることもできる。こんな嬉しいことはない。それまで関わったことのないような人ともたくさん関わった。母にその度にこんな人に会ったのだと話すと、「それは良い経験をしたね」と言われた。少しずつ、自分の「普通じゃない感覚」のまま生きても良いことを知っていった。

最初のきっかけは、そう言ったものだったけどそこから演劇の大学に進学して職業にしてしまった。これは自分でも正直予想外であった。


これは余談だが、コロナ禍になる前は友人が私の舞台を見に来てくれて、帰りにちょっと飲んで帰っていた。今は子ども達と一緒に家で配信公演を買って見てくれている。

一緒にやってた部活の同級生も先輩も後輩も、知ってる限りほぼ就職して結婚して子どもがいた。あの頃、何もしなくても勝手に私がそうなると思っていた存在にみんななっていた。その頃になって私は漸く、何もしなかったら何にもならないことに気付いた。
あの頃、同じように《生きづらい》と思っていた私も彼女達も、それぞれの生きやすい道を見つけていったのだった。
それでも日々の生きづらさはそれぞれ抱えているんだろう。仕事も育児も人間関係も、悩むことって環境が少し違っても大体同じだ。
私だって、毎日楽しいけど本当にしんどくて消えてしまいたくなる日もあるし、目を背け続けてる人生の課題だってある。そんな時は友人のこんな言葉を思い出すのだ。

ゆずは私たちのピーターパンだね。
ずっとそのままでいてね。

どんなに形が変わっても、違う形の人生を歩んでいても、気が付いたら私は私にとっての絶対的に居心地の良いネバーランドを創り上げていたのだった。そして、知らず知らずのうちに彼女たちにとってもそうであったのだ。

昔から全然変わってないねと言われるのも少し複雑だけど、良い意味で10年後も変わってない人間ではありたいと思う。

今年、私は30歳になる。
大台に乗ったとも言われる年齢だが、まだ彼女達が帰ってこれるネバーランドにいたいと思うのだ。

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