『禁忌』読みました。
『禁忌』
著:フェルディナント・フォン・シーラッハ
訳: 酒寄進一
内容紹介
文字のひとつひとつに色を感じる共感覚を持ち、写真家として大成功をおさめたゼバスティアン。だがある日、若い女性の誘拐・殺人容疑で逮捕されてしまう。捜査官に強要されて殺害を自供したゼバスティアンを弁護するため、敏腕弁護士ビーグラーが法廷に立つことになった。緊迫感に満ち満ちた裁判で暴き出される驚愕の真相とは。
『禁忌』
まずこのタイトルの読み方である。
表紙には「TABU」とあるので、なんとか意味はわかる。
しかし問題は読み方だ。
「禁」までは読める。
問題は「忌」だ。
きん、なんと読むのだ。
表紙に漢字の読みを表記するのはダサい、というのはわかる。
だからって読みも記さずに『TABU』はないだろ。
なら、後ろの方にある出版社名や著作名、書名、版数なんかが書かれたページ(「奥付」って名称だよ)を見るしかない、そこにはルビがふられているはずだ。
めくるめくるめくる、ページをめくる。。。
ない。。。
ない!どこにもない!
どういうことなのだ?
これぐらい読めて当たり前と言いたいのか、東京創元社は?
もう少し親切にしてくれたっていいだろ?
わかんねぇよ、読めねぇよ。
こうなったら検索かけるしかない。
こういう時、コピペ機能やインターネットがあって便利だね、じゃねぇよ!
出てきました、「きんき」です。
いやぁ〜〜、なんだかんだ言って、
ひとつ勉強になりました。
じゃねぇよ!!
きんき、って言ったら近畿地方か魚の名前かKinKi Kidsの略称のことだろ!
学のない私で悪かったな!
読めねぇもんは、読めねぇよ!
もうちこっと親切にしてくれたって、いいだろ!!
……ふぅ、ふぅ、疲れたな。
なんでしたっけ?
あ、そうだ、『禁忌』の読書感想でしたね。
フェルディナント・フォン・シーラッハは元々、『犯罪』という作品で知った。
前知識は全くなかったものの、「なんか面白そうやな」だけで購入し、当たりでした。
この人、必要な場面だけを書いて作品を構築させる、という独特なやり方で、かなり新鮮で影響も受けた。
それは短い章で区切る、というものではなく、2、3行空けてシーンシーンを繋ぐ、そんな感じか。
『犯罪』も、その次に読んだ『罪悪』も、短編集であったので、短編だからこそ生きるやり方だろう、などと勝手に思っていたら、長編の『コリー二事件』でも同じやり方であったのでさすがにびつくりした。
『禁忌』は長編小説で、やはり同じやり方だ。
一人の人間の人生を、産まれたときから成人するまでを描く場合、一から十までまでやってしまうと膨大な量になってしまう。
そこで、エピソードだけをつないでつないで構築させる、この『グットフェローズ』のようなやり方は、シーラッハの文体にあっているのである。
まず禁忌の目次を見ると、
緑
赤
青
白
日本の読者のみなさんへ
訳者あとがき
となっていて、目次をめくると、
緑と赤と青の光が同等にまざりあうとき、それは白に見える。
ヘルムホルツの色彩論
とある。
この一文を読むだけで、最後まで読まないとなにが起こるかわからない、ということがわかる。
それは、モノの見方そのものが変わると言っているかのようだ。
なにが、どう、変わるのか。
あるひとつの陰惨な事件、それを多角的に見るとなにが見えるのか。
それは、
みなさん自分の目で確かめて欲しいところです。
なんてな。(和久刑事風
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