ザザイラはフピにいる
ルーカは絶望していた。
希望のない状況に気づき、流した涙も頬の上で乾きってそのあとすらなくなってしまっている。
村では眠り病が流行っていた。
はじめは微熱から始まり、翌日には高熱に変わり、それが数日続いた頃には一日でも数時間しか目を覚まさなくなる。
ようやく熱が下がったとしても、目覚めることはなく死にいたるまで眠り続ける。
発病者は数年に数人出ることは今までもあった。しかし何人も、何十人も病魔に襲われ、バタバタと命を落としていくのは、村の老人達ですらはじめての経験だった。
村人は数ヶ月も、眠り病に恐れて暮らしていた。それはルーカも同じだった。
そして、恐れていたことが起きてしまった。
夫のリエアウォットが眠り病にかかってしまったのだ。
『大丈夫だよ……』
高熱にうなされながら、そう言ったきり目を覚ましていない。もう、一週間も眠り続けている。
二人は、眠り病が流行りはじめる少し前に一緒になったばかりだった。
眠り続けているリエアウォットのクチに、無理矢理食事を流し込んで、その命をつないでいた。
『はやくしておかないといかんだろ。何もなし、というわけにもいかんしな』
ルーカは義父が墓の場所を確保したと言われたとき、怒りを通りこして殺意すら沸いた。とっくの昔にあきらめていた義父を、短く汚い言葉で罵ったことでなんとか殺意を抑えることができた。
暗く、絶望が見え隠れする日々だった。まだまだ子供と言えたルーカを残し両親はこの世を去った。それから苦労を背負って生きてきたルーカに、リエアウォットはどこまでも優しく、そして厳しかった。
もし、リエアウォットがこのまま目を覚まさずに――などと考えただけで、恐怖で震え、その肩を抱え込むように押さえた。
そんな日々にわずかな光がさした。
村にやってきた行商の男が、フピにいるという、魔法薬師のザザイラならなんとかできるんではないか、と言ったのだ。
風の噂でしかないが、ザザイラが眠り病の薬を作れると耳にしたことがあると言った。
『それこそ噂でしかないけど、性格は……すこしクセのある男だそうだ。でも腕は確かだそうだよ』
クセがあろうと、悪い心の持ち主でも、風の噂でも、ルーカに関係なかった。リエアウォットを救える可能性があるのなら、賭けるしかない。
眠り病の薬を持ってくると言う行商の男を無視し、ルーカはすぐに旅の準備を整えると、村長のロバを勝手に拝借し、フピへと向か。
明日にでも、今日にでも、今すぐに薬はいるのだ。行商を男を待つ生活など、できるはずもない。
村からフピまで山をふたつ越えなくてはならない。
あの行商の男より二日は早く帰ってくる自信がある。近道を知っているのだ。ただその道は不整地だ。だからロバを拝借してきたのだ。
旅路は、順調だった。
急く気持ちがロバにもわかるかのようだった。
陽が落ちても、歩みを止めなかった。
それが、いけなかった。
瞬間、崖から落ちたのだ。
気がついたとき、陽はすっかり登っていた。
体中が、痛みを訴えているようだった。
頭を押さえると、手にべったり血がついた。
一番の痛みは足だった。
右足首が腫れ上がり、歩くことはおろか、立ち上がることすらできなかった。
どうやら骨折しているようだった。
崖の途中、少しだけ平らな部分に落ちたので、命だけは助かったようだった。
ロバは下まで落ちたしまったようで、覗きこんでみてもその姿は影すら見つからなかった。
上を見ても、崖と空しか見えない。
どうしたものかと頭を悩ませても、そもそも、この足では平らな地面ですら歩くことは出来ない。
食料その他はロバと共に崖の下に落ちた。
ロバには悪いことをしたと、ルーカは思った。
そして、四日ほどすぎた。
少し小雨が降ったので喉の渇きはなかった。お腹は空きすぎて、もう空いているのかどうかもわからないほどだった。
わずかな空間に寝転び、ただ目を閉じている。眠っているのか起きているのか、自分でもよくわからない。
足の痛みが唯一、生きているの教えてくれていた。
リエアウォットのこと想いながら、ゆっくりと自分に死が近づいて来ているのを感じた。
これこそ、本当の絶望だった。
カラカラカラ。
音がする。
カラカラ。
なんの音だろうか?
カラカラカラ。
ルーカは無視した。
それでも音は鳴ったり、やんだりを繰り返している。
それがいつまでも続くので、ルーカは目を開けた。
ハチがいた。
いや、ハチであろモノがいた。
それはハチを人ほどの大きさにしたバケモノだった。
村で一番立派な体躯をしている木樵のティルスより大きいだろう。
死神は、話で聞いていたのとずいぶん違った姿をしていた。
ハチのバケモノは頭を左右に素早く振り振りし、カラカラカラと鳴いた。
異形の者を前にしてもルーカは驚きもしなかった。驚く元気が、なかった。ただ静かに目を閉じただけだった。
どれだけ時間がたっただろうか。いつの間にかカラカラと聞こえなくなった、かと思うと再び音が聞こえてきたのだ。
しかも、今回は先ほどより激しく、止むことがなかった。
「なんなのよ」
あまりのしつこさに、ルーカは上半身を起こす。
「……」
一瞬、言葉をなくした。ハチが果物を抱えて立っていたのだ。
ハチはその果物を地面に置くと、細い羽を羽ばたかせて飛んでいった。
ルーカは這うようにして果物を手にすると、むしゃぶりつく。
果物はよく熟れて、甘かった。
ひとつ、ふたつと続けざまに胃に押し込み、全てを食べ尽くした。
少しして、ハチがまた、果物を抱えて飛んでくる姿が見えた。
ハチのバケモノは献身的だった。
果物の他に虫、魚や鳥なども持ってきてくれた。虫はいうまでもなくで、魚や鳥も火がないので口にしなかった。
残したことで理解したのだろう、そのうち果物しか運んでこなくなった。
雨が降ると崖を掘って雨が当たらないだけのくぼみも作ってくれた。
時折ハチは腰を下ろしカラカラ鳴いた。
一定の距離を置いて、ルーカに近づこうとしなかった。
それでも一度だけ、ルーカに近づいたことがあった。
ハチはルーカを見下ろすと、口をモグモゴさせ、粘りのある液体をルーカ頭にかけた。
不快な思いをしたものの、それが効いたのか、頭に負った傷が二日ほで治ってしまった。
大きな目や鋭い牙などは恐ろしかった。それもいつの間にか慣れてしまった。
ルーカはすっかり元気を取り戻した。そうなってくるとリエアウォットのことが気になった。
落ちてから、何日たったのか見当もつかない。
上手くいっていれば、行商の男が薬を届けてくれていて、リエアウォットが目を覚ましている、かもしれない。
体力は戻ったものの、足の痛みは相変わらずだ。
当然、人の気配がしたことはない。
そもそもこの近道は、村人でもめったに足を踏み入れないのだ。
ルーカはハチに、ハッチンガと名付けたりした。
名前をつけると、不思議と可愛いとすら思う。
話かけてみたりもしてみた。言葉は理解できないようで、カラカラすら返してこなかった。
それでも、ルーカは話かけ続けた。
自分は何者か、どんな人生を歩んできたのか、リエアウォットが自分にとってどれだけ大事な人なのか、まるで寂しさをまぎらわせるかのように、話を続けた。
「きっと、リエアウォットが薬ですっかりよくなって私を探しに来てくれると思うの……そうよ、絶対来てくれるはずだわ」
絶望の淵からなんとか這い出れたのだ、掴んだ希望を捨てるわけには行かない。
異形でも心やさしいハッチンガがいるかぎり、きっと願いは叶うのだ。
ルーカは心に希望を握りしめた。
しかし彼女は知らなかった。
可愛いハッチンガは生まれてくる子のための餌を、新鮮に保ち、太らせていることを。
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