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高校の卒業式で遺書を読んだ話

3月1日でございます。もう2週間もすれば福岡は桜が咲き始めるようです。わたしは今日も足先を冷やしながらパソコンデスクに向かっていて、どうも春になりきれずにいます。

みなさんこんにちは。村谷由香里です。
noteをご覧いただきありがとうございます。

今日は高校の卒業式だった方が多いのでしょうか。ツイッターのタイムラインでもちらちら見かけたような気がします。
ご卒業おめでとうございます。3年間高校に通い続けたこと、本当に素晴らしいと思います。偉かった。お疲れ様でした。

高校の卒業式で、答辞を読みました。

センター試験を終え、推薦で山口大学に受かってからはふらふらしていたんですが、急に学年主任の先生から「村谷おまえ答辞を読んでくれんか」と言われて「エッ!?」ってなったのを覚えています。
生徒会長をはじめとする生徒会のみなさんが軒並み受験を終えていなくて、文芸部かつ放送部に所属し、さっさと地元の国立大に合格していたわたしに白羽の矢が立ったんですね。

とはいえ、高校時代のわたしはとにかく学校生活が苦痛でした。度重なるリストカット、オーバードーズ、自殺未遂のオンパレードで、クラスマッチでは貧血で倒れて保健室に運ばれ、体育祭では競技から逃げて放送席に居座り、文化祭ではクラスの出し物から逃げて文芸部の部室に入り浸っているような協調性ゼロの不健康学生だったわけです。

そんなわたしがきらきらした学生時代の思い出を綴った真っ当な答辞を書けるわけもなく、ほんのひと握りの楽しかった日常と、ずっと死にたかった思春期の苦悩をしたためる以外に方法がありませんでした。せめて美しいものをと思って持ちうるすべての文章力を発揮したんですが、書き終えて読み返したら答辞じゃなくて遺書ができていて絶句ですよ。絶対にボツだろと思ったんですが現国の先生から一発オッケーをもらって卒倒しそうになりました。

卒業式当日も「え、これマジで読むの……?」という現実感のなさが拭えず、結局1ミリも泣かずに朗々と読み終えてしまいました。卒業生が泣かない答辞。しかも内容は遺書。大丈夫か? と思っていたんですが、不思議とみんな泣いてくれていたのに驚きました。
お世話になった社会の先生に「文章だけで泣いたのは初めてだ」と言われたことにびっくりしましたが嬉しかったです。わたしのロクでもない高校生活も、文章にすればちゃんと輝くものになるんだと思って、そこではじめて泣きました。

仲間うちでは「これから死ぬやつの言葉」「読み終えたら飛び降りに行くんじゃないかと思った」と散々言われましたが、自分の文章がちゃんと卒業式を成立させていたのは素直に誇らしかった。今もパソコンに答辞の原稿が残っていますが、30歳のわたしには絶対に書けない文章で、正直少し羨ましいです。

18歳で死のう、卒業式が終わったら死のうとずっと思っていました。でも、そのあとに続く人生は今の今まで、とんでもなく愉快です。

卒業生のみなさん、改めておめでとうございます。これからもきっと、楽しい毎日が続くよ。

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