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2020/5/21 読書記録

三浦しをん『ビロウな話で恐縮です日記』を10年ぶりに再読する。インターネットで公開されていた日記をまとめた本。読み返しながら、初めて読んだ時の記憶が蘇ってきた。ときどき「こんな夢を見た」という題名で夢の日記が挟まれるのだけれど、読むのがしんどくて飛ばしてしまっていたんだった。久しぶりに読み返しても、夢の日記を読むのが苦痛だ。どうすれば面白く読めるのか。これを「作者の夢の話」と思わず「フィクション」と捉えたらどうか。試しに気持ちを切り替えて読むと、苦痛が緩和された。この違いは、前提知識の有無にあるように思う。「こんな夢を見た」には、自分が事前に知っている情報が何もないから、作者がどういう人物設定でその夢に存在しているかをはじめにインプットする必要がある。つまり、前提知識が何もない状態。この負担が他の日記にはない。私は三浦しをんがどういう生活を送り、どういう考えの持ち主なのか、エッセイで見える範囲である程度知っているから、それを手掛かりにスピードを持って読み進められる。これは大きな違いだ。また、「フィクション」として読むと苦痛が和らぐのは、そもそも「フィクション」は、前提知識が何もない上で読む必要があることがすでにわかっているから、違和感を感じない。「フィクション」と「夢」の境目、違いについてはもう少し考える必要がありそう。

今手元に夢の話を取り扱った他の本がないから一概には言えないけれど、面白いと思うものはあるはずだ。例えば夏目漱石『夢十夜』。名作と名高いこの本は、いつか読んで、考えてみたい。


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