日記2024年3月⑦

3月22日
妻の体調が悪くバタバタ。風が穏やかで天気はいい。今日は大学院の学位記伝達式である。アカデミックガウンというのを羽織るが、Lサイズを指定したら丈が長くて恥ずかしい。私は一年休学した居残り組なので学籍番号が若く、座席が前の方であった。ガウンが「身の丈に合っていない」し、どうも気後れしてしまう。会場には学部の同期がけっこういる。みなばかり立派に見える。専攻ごとに名前が呼ばれ、返事をして起立する。ひたすら名前が呼ばれる。私の声は小さかった。学府長の祝辞は「打ち込めることを見つけましょう」というストレートな内容で、個人の意欲が人生に直結するシンプルに自由主義的な世界観だった。今の医学薬学の業界では穏当なのかもしれないが、ある意味でラディカルで簡潔すぎる。研究業界の内部での意義や評価が「社会貢献」に直結すると信じつつ、この世の中で研究を行うことの社会的な制約を透明化している。だが実際には医学研究は社会の中のひとつの文化的サークルであって、そのことを我々はコロナ禍で痛感したのではなかったか。しかしこういうことは祝辞に適さないというか、こういうことを祝辞として意味づけるには技量が要るのだろう。「教養」を排した「理系」は複雑さを言祝ぐことができない。
式が終わって精神科の仲間と写真を撮った。学位記が陽を反射して白くとんでいた。ひとりはこのあとすぐ教官の先生と飲みに行くらしい。式典というものはその後の飲み会のためにあるのかもしれない。世界はそういう人を中心に設計されている。私は酒が飲めない。私は憂鬱である。胸中が晴れ晴れとすればその高い空を寒風が吹き抜ける。帰途、人より遅れている自分のキャリアのことをどうしても考えてしまう。それを取り戻すための苦労も然り。「取り戻す」? 「取り戻す」と思っているのが鬱の思う壺である。いずれ本腰を入れねばならない。「取り戻す」のではなくそこから新しいことを始めるつもりでいたほうがいい。そのための準備の一年にしたい。
家に帰ったら予想以上にへばっていた。横になって子供のレゴ作りに付き合うのが精一杯だった。気持ちはうじうじし、体はうずうずする。子供はレゴがうまくなった。説明書通りのピースがないときには同じ形の別の色のピースで代用し、ときには小さな2つを組み合わせて代用することもある。レゴにおいて規格が整い交換可能であることが創意工夫の条件である。そこには言語が創造的なものであることと同じ原理が働いている。柴崎友香『続きと始まり』の3人の視点人物はみな何らかの創造的な営みをしていて、そのことが彼女らの生活に我々読者を近づけさせてくれるような気がする。
夕方から数時間寝てしまったが、子供は退屈しながらも親が起きるのを待ってくれた。子供はえらいと思う。

3月23日
レゴの薄くて小さいピースがぴったり貼り付いたときにそれを剥がすのが大変である。爪が荒れるし、勢いよく剥がれた場合にレゴの角が爪と肉のあいだに刺さって痛い。妻は昨日から仕事を休んでワンピースを読んでいる。そのほうが仕事のことを考えないでいられるそうだ。8年前の3月、私たちは結婚式を挙げ、そのまま一週間休みをとって京都へ行った。わずかに咲き始めた桜の木をいくつか見つけた。二人とも疲れ切っていたから、食事の有名な旅館でひたすら休み、その間、ずっとワンピースを読んだ。寝て起きてご飯を食べてワンピースを読み、寝て起きてご飯を食べてワンピースを読んだ。あいまに南禅寺にだけは行った。絶景かな。1巻から頂上決戦くらいまで読んだ。新婚旅行でずっとワンピース読んでたんですよね、といまだに後輩に笑われる。たしかに新婚旅行でずっとワンピースを読んでいたのだからしかたがない。旅館は黒を基調にした部屋に小さな中庭がついて日当たりがよく、中庭に面した大きなガラス窓から細い木が一本見えていた。布団は厚くて柔らかく、ずっとゴロゴロしていられた。買ったぶんを読み切ると駅の本屋に行って買い足す。買ってもすぐ読み終わった。どうやって持って帰ったのだろう。宅配にしたかもしれない。今朝、妻はチョッパーが仲間になるところを読んでいた。歳をとるといいと思うところが変わってくるね、前はヒルルクなんて何とも思わなかったのに、と言っていた。
四十九日の法要でもらった海苔でご飯を食べた。おいしかった。海苔は多少高くてもいいものを買うと味の違いがよくわかる。パンに対するバターみたいなものである。
妻の体調が悪いのに申し訳ないのだが、昼から出かけさせてもらった。三鷹のSCHOOLで柴崎友香さんと滝口悠生さんのトークイベントに行った。黄色のコートを着て中央線快速に乗ったらしばらく隣の席があいていた。膨張色だから席が狭く見えたのかもしれない。三鷹駅のスープストックで桜エビのクリームスープを食べた。
柴崎さんと滝口さんの対談は毎回小説という形式、誰が誰に語っているのかという疑問についての話になる。『続きと始まり』26頁の「優子は今もそう思うことがある。そして、それを誰にも言ったことはない。」という箇所について滝口さんが、誰にも言ったことがないことを小説は語ることができる、誰にも語られずに消えていった言葉を小説は書くことができる、と言っていた。すごいことだと思った。小説は誰かが誰かに向けて誰かについて語るもので、誰だかはわからないけれど必ずひとりに向けて語られていると柴崎さんは言っていた。その語りとの関係の仕方が柴崎さんと滝口さんで微妙に違っていて、柴崎さんは誰かについて引用のような、伝聞のような形で書き、滝口さんは聞き書きのように書くらしい。ここが理解の難しいところなのだが、たしかにお二人の小説には語りの階層といったらいいのか、書き手に届くまでに語り継がれた過程のようなものが違う印象がある。柴崎さんのほうが複数の人の語りを経た感じがし、そのぶんシェイプアップされた感触がある。柴崎さんは「圧縮と省略」と表現し、その極地が『百年と一日』であると言う。滝口さんの書く語りはより直接的で、語り手と書き手のあいだの一対一の贈与という印象がある。いずれにしても、何らかの語りを受け取っているという点では共通していて、登場人物の語られていなかった(構想時点ではまだ「何かがある」という程度だった)ことが、書き進めるに従ってその人物と「親しく」なって語られるようになるという感覚になったりする。保坂和志は登場人物はよいことをなそうとしている人として書くべきだと言っているけれど、それとも重なってくるような、語られることへの無条件的な信頼や親愛の情があると感じた。
質問タイムで質問をさせてもらった。先ほどの語りとの関係の差異に関連するが、私は二人の作品には記憶の喚起される形式に違いがあるような気がしているということをお伝えした上で、書き手としては書きながらどのように記憶が動いているか伺った。やはり二人の間には書き方の違いがあるだろうという滝口さんのお答えがあり、滝口さんの書いているときの記憶はとにかく入り乱れているということであった。体験をもとにする部分もあり、それでは埋まらないものがあり、そこに別の記憶が入り込むこともあれば全く記憶にないことが書かれたりもすると言っていた。柴崎さんは書いたことと事実のあいだで主従関係が逆転し、書いたことが主になってくることがあり、それはけっこうおもしろいことであると言っていた。また、生活の中のちょっと変わったおもしろい出来事を小説に書くのは難しいと言っていたのが印象に残った。いかにも何かに書けそうな変わった体験をしてもなかなか作品としては書けず、10年も経ってからようやく「そのことが書けない」ということが書けるようになる。やはりお二人にとって小説は何を書くかではなくて、どう語られるかという問いとともにあるのだと思う。
イベント後『水平線』と『続きと始まり』の書籍にサインを頂いた。私はとにかくお二人のファンであるというか、小説というものに出会えた恩人のように(勝手に)思っているので、とにかく嬉しかった。
中央線快速で東京駅に着いて折り返し高尾行きになる車内のモニターに、乗客が降車しきる前に「高尾」と表示されたため、降り際のご婦人が高尾に着いてしまったと勘違いして悲鳴を上げていた。
夜は子供とミスドでドーナツと汁そばを食べた。あいうえお表を使ってしりとりをした。言葉を文字に分解して、最後の文字から次の言葉を繋ぐ。予想外の意味の言葉が出てくると4歳児は笑う。子供にとってはスリリングなのだ。意味と形式がまだ緊張関係にある子供の様子を大事に思う。

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