2024年3月⑤

3月15日
ホワイトデーを忘れていた。正しくは昨日思い出したのだが手遅れには違いない。今度何かを選ぶことにする。お昼はJpopのラテンジャズアレンジのかかっている中華屋で小籠包を食べた。今日も天気がいい。午後少し寝た。子供が「お父さんとお母さんがやさしくしたらメダルをあげます」と言っていて、4歳にして人を自分の好きに動かすためにはご褒美を用意すればいいと学んでいるのだと思うと笑ってしまう。幼稚園でそのようにされているのだと思う。罰と恐怖感で操作されるよりはいいに決まっているけれど、人に優しくすると報酬が得られるというのはあまりにも今の世の中だと思う。家の中では理不尽に泣いて怒って、親も限度がくれば怒って、そういう場所があってもいいかと思う。
東大を中心にしたグループが脳MRIを使ったすごい研究を発表していて、私も小さな画像研究をしていたので、なんともいえず、参りましたというか、途方もない気持ちになった。一流の研究者が多施設合同で大規模に最新のデバイスを使って費用をかけて成果を出す世界で、私のいるような小さな教室でやる研究にはどんな役割があるのだろうと度々思う。たしかに研究課題やアイデアはそこらじゅうに転がっているのだが、近年研究の正確さへの要求水準が跳ね上がっているように思われ、それとともに評価されるために要求される研究規模やデバイスが高度化している。制約の中でそのあたりの瑕疵を抱えながらも研究として成り立たせて論文を書くのが研究というゲームなのだと思うが、私はつい高水準のものでないとあんまり意味がないんじゃないの、などと思ってしまう。たぶん、成果の内容に興味があるだけで、研究という営みに悦びを感じていないのだと思う。私のような人が選択と集中などという愚かな施策を支持するのだ。私だって日本の科学研究を衰退させている側の人間である。しかし私は私の興味に従ってやっていくしかない。

3月16日
ディズニーランドに来た。かなり混んでいる。私がパレードの場所取りをして、妻が子供をダンボに連れて行く。ダンボも50分待ちだった。遅れて私の姉が合流した。最初のパレードが終わって、そのまままた場所取りをして次のパレード待ちである。妻と姉が子供を連れてメリーゴーランドとイッツアスモールワールドに行った。腰を痛めているのでお尻を下につけるとどんな姿勢でもつらく、立っていた。立ったまま『イギリス人の患者』を読んだ。
シンデレラが接客をしていて、順番にお話をして写真を撮っていた。うちの子はディズニープリンセスが大好きである。もじもじしている背中を押してシンデレラを囲む半円の最前列に行かせ、一緒に手を振っていたらシンデレラから声をかけてくれた。英語である。ミッキーがすきなの? とかプルートは? とかこしょこしょと小さな声で訊かれていたようだがもじもじしていた。最後に写真を撮った。ちょっと笑っていた。今はミニーちゃんのイベント期間中で、期間限定のポップコーン容器が売っていた。これがとてもかわいい。3200円也。
子供はホーンテッドマンションに興味があったらしいのだが、「こわい?」と聞いてきて、おばけが出てくるねえ、と答えると「でもかわいいおばけかなあ」と言うので一緒に乗ろうかと訊ねると、首を横に振る。やはりこわいらしい。以前はイッツアスモールワールドも怖がっていたくらいで、屋内で暗かったり音が大きかったりするのが苦手である。でも今回からイッツアスモールワールドが大丈夫になったらしく、3回乗った。いろんなディズニーのキャラクターや動物を指差して教えてくれた。
子供はこれから来るたびに新しいアトラクションを発見していくのだろうと思う。子供はまだパークの全容を知らない。私も世界の全容なんか知らない。というかディズニーランドも知らない。それがいつからかだいたい知っていますという顔をするようになっていて不思議である。知らないことばかりだと気づくのは幸いなことでもある。
閉園までいた。疲れて帰りは泣いて大変になるのだが、早く帰ろうとしてもまだいたいと泣いて怒るので、行くも地獄帰るも地獄なのである。家であいうえお表を見ながらひらがなを読んでいた。「しらない字はねえ、れとね、へ、お、あ」と普通に読んで教えてくれた。読めるけど自信がないらしい。2月の初めに自分の名前のひらがなを読めるようになって一ヶ月と少し、ほぼ全部読めるようになり、一度でも学ぶプロセスが始まったら本当に早いのだということにあらためて驚き、世界に字が溢れていることを日々発見して指を差し、読む、その目に映る世界の広さと奥行きを思う。

ミニーちゃんのポップコーンバケット。とてもかわいい。満場一致で購入。

3月17日
子供が最近YouTubeでアウトドアレジャーを紹介する外国の動画をよく見ているようで、キャンプやバーベキューをしたいと言う。私たち親には全くそういう素養がないので、まずは機材や食材が全部用意されているバーベキュー場に行ってみることにした。すでに炭に火がついていた。男は火おこしができないとヘコむんでしょと妻に言われたが、たしかに私も自分にはできるという自信がなぜかあり、それでうまくいかなかったらヘコむだろうと思っていた。その心配もあらかじめ取り除かれていた。万難を排したバーベキューであったが、今日は風が強く、しょっぱなで焼いたソーセージを乗せた紙皿が吹っ飛んでダメになってしまった。ドリンクを出してくれるバイトの人が淡々とすごく丁寧な仕事をしていて、飲み物を注いだカップをこちらに渡すときに必ずかめはめ波みたいに両手を添えて底と上部を支えて差し出すので、自然にカップの胴体へ手が伸び、ベストな位置でつかむことができて毎回感激した。人間による人間の完璧なエスコートには人間工学やデザインによる誘導とは違う官能がある。
子供のお目当てはスモアを食べることであった。焼いたマシュマロをチョコレートと一緒にビスケットに挟んで食べる。たしかにうまかった。ビスケットの若干の塩味がよく、溶けてソースのようになったマシュマロがチョコの棘を消すような、とにかくバランスのいい味になる。北米のお菓子文化の中で一番優雅なものかもしれない。

3月18日
幼稚園の先生に一年間の感謝を保護者から伝える日なので時間までに行かねばならないのだが、先週クリニックを受診し忘れていたので、まず朝一で行った。今のクリニックは予約制ではないので早くから並ぶ。実はあと数回の通院で別のところへ移らねばならない。主治医が引退して後任が私の所属する大学医局から来るので、さすがに身内と医師患者関係になりたくないからである。主治医変更問題はしかたないとはいえ患者にとってはなかなか大変なことである。否応ない変化によって現れた新しい環境と自分から関係を築いていかなければならない。私はそういうのはあまり得意なほうではなく、結構なエネルギーが必要になる。かといって嫌いではなく、当方めっぽう気さく、人懐こいところがある。人情のある先生のところへ行きたい。
幼稚園が終業式で、保護者で集まって担任・副担任の先生へ挨拶と贈り物をした。担任は私と同じくらいの世代で、経験も豊富そうで子供のこともよく見てくれるとてもいい先生だった。年少さんの担任はそんな先生でも苦労するものであったようで、夏の音楽会の練習の頃、だから入園してすぐの春頃はピアノに合わせてみんなで歌うということができず、みんなでしーんとしてしまい、歌わせるのが大変だったらしい。そんなみんなが冬の音楽会では大きな声で歌って、成長を感じました。そう語る先生は涙ぐんで言葉に詰まった。こちらもじんわりと涙が滲む。子供が前を見て時間の流れを駆け抜けていく中で、大人の時間で一緒に振り返ることができてうれしい。
バスの中に「PILOT」と書かれた機長さんの帽子を被った2歳手前くらいの子がいて、「ぱちょかー!」「ダイくんがぱちょかーみつけたよ!」と嬉しそうにお母さんに言っていた。そのことを夕飯のときに話したら4歳児が「なにそれー」と笑うので、あなたも前は同じだったと伝えると、照れて恥ずかしそうにしていた。
家事を自分のタイミングでやることを最近心がけていて、つい生活上の余計なファクターを気にして「後にしたほうがいいかもしれない」などと思ってしまうから、そうではなくて、家事をやるタイミングだと感じたらぱっと手をつけてしまう。たとえ効率が悪くても自分のタイミングで動けたことを嬉しく思う。そういうことを試している。だから洗濯機を回し始めたあとに幼稚園バッグから洗濯物が出てくる。

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