日記2023年9月②

台風が接近して、千葉県は大多喜や養老渓谷など市原市のあたりが洪水で大変になっている。市原市は数年前の台風でもひどいことになった。大丈夫だろうか。

子供が電車のDVDを観ながら、おなかをどんどんどんってしてかみさまがのってるんだよね、きのうどんどんどんってやってたよね、と言っていて、ふーんとかそうなのとか言って聞いていたのだがよく聞くと昨日の雷のことを言っているのかなと思う。食事中にばっと服をたくし上げてお腹を出し、はずかしいようと言って笑うことが最近多い。お腹がブームみたいである。

子供用に味噌汁ご飯を作った。ディズニーのカーズのお弁当箱に入れてみる。うちの子は食べることが好きではなく、しかしお菓子は大好きで、結果的に決まったものしか食べてくれない。味噌汁ご飯はその中でも食べてくれるほうである。サイゼに行っても頼むだけ頼んで比喩でなく一口しか食べないので、数日前はしっかりめに叱った。昨夜も叱った。叱る以外にないのだろうかと気持ちが曇る。私は精神科医なので、摂食障害の人とその家族の苦労を思ったりする。食べる、楽しく食事をとる、食べることを一緒に楽しむというのはあまりにも多くの人の生活の根源的なところを構成しているので、ここが成立しないことによる不安、生活の基礎が根こそぎ揺らぐような深い不安を想像するのは難しい。医学的には体重減少による健康リスクが一番の問題と考えるわけだが、健康リスクに関する情報提供で摂食障害から回復することはほぼない。本人と家族にとっては食べることそのもの、食べられないことそのものが生活、生きることそれ自体を脅かしている。それはリスクの問題ではなく、今を生き延びる、つらい中で生活をする足下を常に濡らす不安の川である。生きるためのバイタルな行為が自分のものにならない。成長もまた自分を変えてしまうおそろしい現象である。そして、体重というコントロール可能な数値を徹底的に制御し、自分のものにする。数値は、情報は、変化しない。だから自分のものになったような気がする。しかしそのときには逆説的に自分の生活というものが失われている。大変な不幸である。

食べることは文化なのだと実感する。社会的な行為なのである。離乳食は保育者が作り、与える。その時点から口に入るものには膨大な文化的な歴史、社会的な意義が詰まっている。多くの子供はあまりにも滑らかにそれを摂取し、生物学的な栄養を摂ることと自己を社会化していくことが解け合う。離乳食のときから全然食べてくれなかったうちの子供の場合、食べることはまず離乳の問題であり、乳離れ、つまり自立の第一歩として、社会化された自己の確立の最初の一歩としての側面が屹立する。ああ、これは子供に孤独を知らせることなんだ、と思う。あなたの体は、あなたの生活は、自分自身で作るしかないんだよ。だからこそ、文化という集団性が必要なのだ。みんなで一緒に、ときには同じように、食べて、楽しんで、生活を作っていこう。食べることには孤独の痛みと人とのつながりが常に共存し、分つことができない。

だから、私たちは子供を叱り、食べさせ、同時に一緒にそれを楽しむ必要がある。どうしても子供は食べるのが遅いから、親は先に食べ終わってイライラし、ときに離席しスマホを見たりするけれど、そうではなくなるべく子供を見守って食事の時間を安心できる、楽しいものにしたほうがいい。たぶんそうなのである。

見逃していたプリキュアをスマホで観ながら踏み台昇降をしている。私は体重を落とさないと健康が侵されてしまうからだ。今週は四日ほどできた。まだ体重減少まではいかないが筋肉量が増えているので期待できる。アニメなんかを一本観るとだいたい25分くらいで、運動していなかった人にもちょうどよく汗をかける時間だからこれからダイエットを始めるインドア派の人にもおすすめである。

大学院の研究は実は全然進めていない。本当はやろうと思っていた日に大雨が来て子供の幼稚園のお迎えを早くしなくてはならず、できなかった。まあそれがなくても大雨の中いきたくはなかったのだが。この週末でわざわざ行ってやるべきか。まあやるべきなんだけど。どうにかします。

とここまで書いて、復学の書類を提出し忘れていることに気がついた。昨日が締め切りだった。週明けに謝らなけばならない。

青い空が暮れかけて雲の端が桃色で縁取られるころ、約束があって外に立っていた。空を見ていた。顔を下げてスマホで時間を確認すると、視野の周辺が、電球にセロファンを被せたように一気にオレンジ色に切り替わった。見上げるともう空は赤く、雲は輪郭を黄色くしていた。ちょうど18時だった。

大学の部活の学生が寄付金集めに会いに来た。トンカツ屋に行った。全然医者の働き方について知らないみたいだったが、まあそんなもんだろうと思ったし、むしろこんな勉強してテストに通ることしか考えなくていい身分からあっという間に働き方を考えるようになるという劇的な変化がみんなに起こるわけで、医学部というのは大学というよりはやはり専門学校なのだなと思う。学生の本分は勉強なので医者の仕事なんて知らずにやってくれていいと思う。学生時代どんなバイトしてましたか、とか今となってはカケラも思い出さないようなことを訊かれて、いつもと違う脳の筋肉を使った。学生というのは本当に学生の世界で生きる。二時間話して腰が痛くなったからこの日は踏み台昇降をしなかった。

ロイホでモーニングをしたら朝から分厚い本を読んでヴァンホーテンののココアを飲み続けているじじいがいて、そんな生活がしたいと思った。

うつ病についての文章を書いているが、全然進まない。自分の書くものの位置どりが決まらないというか。ふらふらして定まらない。まあしかし一旦書くしかないのかなとも思う。

今週はあまり本を読まなかった。坂口恭平『躁鬱大学』を少し。室井光広『おどるでく』少し。『ジダン研究』という本が出るらしい。私は中学一年生からヨーロッパのサッカーを見始めて、アーセナルが好きになったのだが、同時に当時輝いていたのはレアルマドリーだった。特にジダンのプレーは異次元で、一人で広大なスペースを任せられ、当然3人4人に囲まれることも多い中、それを優雅な長い脚と屈強な上半身で引き剥がし、少し猫背でボールを前に届ける無敵のプレーに憧れた。一番好きな選手の一人である。私は少し猫背の姿勢でドリブルする選手が好きで、昔のアーセナルだとピレス、今だとマルティネッリの姿がとてもいい。

小説もなんとなく断片的なものを書いてみている。まだどういうものなのか自分でもよくわかっていない。あまり自信がない。内容というよりも言葉そのものをもっと考えたいような気がする。そういう興味で詩も作ろうとしているがこれも全くできない。たまにここでこういう言葉の使い方をするのが詩なのではないかとピンとくることがあるのだが、そのような気付きをあと50個くらい越えないといけない気がする。何を言っているかわからないでしょうがそういうことです。忍んで耐えてコツコツやる時期。

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