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生態系サービスの受益者は誰か?

ここまでの連載で示したように、私自身は大型類人猿にその本来的価値を認めつつも、社会に対してはかれらの生態資源としての価値(重要な生態系サービスの供給源・担い手としての価値)をもって保全の必要性を訴えてゆくという立場をとります(あくまで暫定的にですが)。

そのためには、大型類人猿が担いうる生態系サービスは何であるか、それらを持続可能なやり方で享受するにはどうすればいいかを考える必要があります。その一環として、前回、前々回の記事では、かれらの肉を食用とすることについて検討し、現状ではかれらを食糧源とすることは持続可能でないため、少なくとも当面は大型類人猿を食べるべきではない、と論じました。大型類人猿が担いうる他の生態系サービスについても、同様の検討をしてゆくことで、彼らを保全する方策が少しずつ見えてくると考えています。

ただし、ここでもう一つ考えなくてはならないことがあります。それは、生態系サービスを享受するのは誰か、ということです。ここまで、私はそこをぼやかしてきました。漠然とした「私たち」という表現やおおざっぱに「人間」とひとくくりにして話を進めてきました。しかし、大型類人猿の供給する物に限らず、一般にある生物、生態系が提供する生態系サービスはすべての人間に均等に配分されるわけではありません。今回はその点を少し考えてみます。

ところで、野生の大型類人猿を守るには、当然かれらの生息域も保全する必要があります。そこで、今回以降、「大型類人猿を守る」という表現には、かれらとかれらの生息地の両方を含むという意味を込めて使いたいと思います。

"直接的"利益

まず、比較的イメージしやすい供給サービスから考えてみましょう。すなわち、大型類人猿そのもの(肉、生体)や、生息地に存在する木材や有用植物などです。これらから利益を得るのは、第一義的には最終的にそれらを消費する人です。
肉であればそれを食べる人、ペットであれば飼育して楽しみを得る人、木材ならばそこから作られた製品(紙や家具等)を使う人になります。その他にも食用にされたり薬草として利用されたり、あるいは工芸品を作るのに利用される有用植物がありますが、それらを食べる人、使う人が受益者です。

あたりまえですが、肉にせよ、木材にせよ、その他の有用植物にせよ、全人類が同じだけ消費しているわけではありません。大型類人猿の肉を食べる人の大部分は、平時であれば、かれらの生息地の周辺に暮らす人々や、そこにルーツのある人です。

木材の利用者はさまざまです。私が調査をしているガボンに多く生育しているオクメという木は、高級家具の建材としてヨーロッパを中心に多く利用されています。つまりヨーロッパに暮らす比較的裕福な人々が受益者です。

その他の有用植物の多くは、やはり地域の人々によって多くが利用されます。一方、薬草から製薬会社が新薬を開発して世界中に供給することもあります。この場合はその新薬で救われる人が受益者です。また、少し前にはNHKの番組で、私が調査をしているガボンに多く生育している Ceiba pentandra という木の実からとれる綿毛をコットンの代わりに利用した製品が日本でも注目を浴びているということを知りました。ならば日本でダウンジャケットを買う人の一部が受益者ということになります。

供給サービスと比べ、調節サービスは受益者の特定が難しいです。しかしそれでも、より多くの利益を得る人と、そうでない人が存在します。熱帯林のCO2吸収効果は、世界規模の気候変動を食い止めるのに貢献するので、ある意味全世界の人々が受益者といえそうです。しかし、気候変動の影響をより強く受ける人と、そうでもない人がいます。ポリネシアの島嶼に暮らす人々は、海面上昇によって自分たちの暮らす土地が消滅するという重大な危機に瀕しています。地域的な違いだけではありません。日本の夏の暑さは年々耐えがたくなってきていますが、冷房費に困らない裕福な人にとってより、経済的に恵まれていない人々のほうがより深刻な問題です。

つまり、大型類人猿を守るとことは、全人類のためにではなく、ある特定の人々の暮らしや利益を守るということなのです。私のような大型類人猿研究者が保護を訴えるのも、自分の飯の種を守りたいという側面があることは否定しようがありません。

間接的利益(経済効果)

ところで、生態系サービスの受益者=最終消費者(エンドユーザー)という考え方では捉えきれない「利益」があります。

エンドユーザーが得ているのは、生態系サービスすなわち「自然の恵み」そのものです。ですが、その「自然の恵み」をエンドユーザーに届ける過程に関わる人々にも多くの恩恵が生じています。一番わかりやすいのはそれらを売る人ですね。狩猟した肉を人に売ればお金が手に入ります。伐採会社は木材を売って儲けています。

それ以外にも、生態系サービスをエンドユーザーが享受することに関わって、多くの経済活動が派生的に生じます。たとえば伐採会社は雇用を生み出します。伐採基地で働く人を目当てに飲食店をやる人が出てきます。家具を作る職人さんも利益を得ます。

こうした利益は、生態系サービスそのものというより、人間の社会経済システムの中で生態系サービスの利用を契機として生じる利益といえます。いわゆる経済効果というやつですね。

私は、生態系サービスの直接の利益と、そこから派生する経済効果は別物として考えるべきではないかと思います。ですが、自然保護や自然資源の利益の配分をめぐって行われる議論の多くは、これら二つをごちゃまぜにしているように感じることが多いです。重要なのは、どのような自然の恵みを誰がそ享受しているか、ということのはずなのに、経済効果の話ばかりが一人歩きすることで、自然が経済化してゆくように感じます。

今回は少し話が散漫になってしまいました。次回は、逆に大型類人猿を守ることで生じる不利益について考えてみます。

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