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国民が政策の妥当性を見極める鍵「3つの最」フレームワークを提案します

 自民党総裁選、立憲民主党代表選が近づき、その後には衆議院の解散も取りざたされています。
 さらに、来年2025年には、参議院選挙や東京都議会議員選挙も予定されています。
 今回は、こうした様々な選択の機会にあたり、議論の一助になればとの思いで私が提案しているフレームワークをご紹介します。

「3つの最」考案のきっかけとその概要

 私は以前、非営利シンクタンクの編集企画スタッフとして、日本や世界の課題解決に向けた国内外の第一線の識者約200氏の議論を、社会に発信してきました。これに加え、課題に対する政治の取り組みの現状や解決への道筋を明らかにすることを目的とした、非公開のヒアリングの様子も数多く耳にしました。
 また、大学在学中に在籍した、政策提言を行う学生団体では、外資系コンサルティングファーム出身者などの卒業生の社会人から、学生が立案したプランへのフィードバックを受ける機会が数多くありました。

 それらを振り返ったとき、物事の本質に迫り、政策立案者が本当に答えを出すべき論点を明らかにする「鋭い質問」には、いくつかの「共通の軸」が存在することに気が付きました。
 それは、
①   “最悪の事態”をどう想定するか?
②   “最終的”にどんな状態を目指すのか?
③   “最低限”何が、どこまで必要なのか?
 まとめると、新型コロナ対策で話題になった“3つの密”ならぬ“3つの最”です。

 ①の“最悪”の想定とは、現状に何も手を打たず放置した場合の「将来見通し」を正直に説明しているか、また、その状況を生み出す原因や、その際に国民が失うことになる価値を明らかにしているか、を指します。

 ②の“最終的”なゴールとは、①の“最悪”の事態に至る危険を乗り越えた先の「出口」、つまり政策の目的や目標を示すものです。社会や人々をどんな状態にしたいのか、危機を脱した時に何を達成していれば政策が成功したとみなすのか、を意味します。

 ③の“最低限”の線引きは、②の“最終的”なゴールの実現に向けた実際の「手段」やその計画、また、それに投入する財源などの「政策資源」に関するものです。ここでは、特に次の三つを明らかにすることが重要と考えます。
 第一に、その手段を実施した結果、全ての国民や組織(事業者など)に政府が“最低限”必ず保障することや達成してもらうことは何か。また、一部の人や組織を対象とする手段であれば、”最低限”どのような人や組織が必ず対象となり、彼らに”最低限”何を保障するのか、の考え方をそれぞれ明らかにしているか。
 第二に、手段の実施の判断やその責任について、“最低限”どのような条件が整えば誰の責任で実施に踏み切るのか、を明らかにしているか。
 第三に、手段の実施に“最低限”必要な政策資源の規模や調達方法、特に、避けて通れない「痛み」や「負担」を、包み隠さずに国民に伝えているか、です。
 これらは、「出口」へ向かう手段を選択する軸となる「理念」の中核をなすものです。

 特に重要なのは、この3つができる限り、数値などの後から検証できる形で示され、かつ相互に整合していることであり、そうであれば政策が大きく迷走することはない、と考えます。
 また、この考え方は国の政策だけでなく、企業の事業構築・運営や個人の仕事にも全て共通するものと考えています。

なぜ「3つの最」を考えたのか

 なぜ、私はこうしたフレームワークを作成しようと考えたのか。

 日本や世界が様々な危機に直面する中、政府や政党が国民に約束する政策は、それらをどのように乗り越え、社会の中でどのような価値を守ろうとしているのか、その道筋を示すものでなければならない、と私は考えます。しかし、これまで多くの政治家や政党は、こうした論点を「総合的に」とか「多様な」といった誰も反対しない言葉でごまかし、また選挙で包括的な危機克服のプランが公約されることもなく、結果として政策が迷走し、さらに危機や政治不信が深まる、という状況が続いてきました。

 これに対し、政策を立案する上で重要となるのが「ビジョン」や「理念」、「哲学」、「グランドデザイン」ですが、では、実際の政策や公約に何が含まれていればそれらが十分に示されたと言えるのか、明確に語られることは多くありません。例えば、政治家が「ビジョンを示す」と宣言することはありますが、少なくとも選挙で示されるものの中身は、単なるメニューの羅列にすぎない、というのが従来の姿です。
 したがって、私は、それらの概念の意味するところの本質を国民が一言で言い表すことができ、視覚的にも認識できる「シンボル」が必要なのではないか、と考えました。

 多くの方々が、政府や政党が打ち出す政策の妥当性を“3つの最”という共通の土台で検証し、政治にその説明を迫っていく。また、自分が求める価値を“3つの最”のフレームに沿って表明し、それを基に、対話によって互いが合意できる点を見出す。そうした流れができれば、と思っています。

 もちろん、私自身もこのフレームワークも、特定の政治勢力や主義主張を支持あるいは批判することが目的ではなく、独立・中立の立ち位置から作成したものです。

今後の展望と課題

 なお、私が最終的に望ましいと考えるのは、このような、政策の妥当性を判断する思考軸のフレームワークを、日本の義務教育における主権者教育のカリキュラムに組み込むことです。
 一人一人の国民が、このような政策の妥当性を判断する思考の枠組みを身に着けることで、この国に本当の意味での「強い民主主義」が機能するのであり、政治への無関心層も含めた全ての国民が受講する「義務教育」は、長期的に見て、その最も有効な手段と考えるからです。

 そのためにも、議論の起点となる“最悪の事態”の将来見通しやその発生要因の見立てが妥当か、また、それらを探るために、その分野で本当に信頼できる専門家や情報源の見極め方、について、各分野に通底する基準や指針をどう組み立てるかは、今後の課題だと考えております。

 多くの方からご意見、アドバイスを賜り、政策の妥当性を評価できるツールとして、より完成度が高く、使い勝手の良いものになればと思っております。
 何卒よろしくお願いいたします。

2024年8月19日更新

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