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語学習得と恋愛

文部科学省が対外発信力改善のため、「学校英語教育の底上げ」「教員採用・研修の改善」などを掲げたアクションプランを公表した。
乱暴にまとめると以下の通り。

TOEICやTOEFL等の英語資格・検定試験において日本の平均スコアは諸外国の中で最下位であり、インターネット上で最も使用される言語である英語によるコミュニケーション能力はこれまで以上に必要となっている。読む、書く、聞く、話すのバランス取れた育成が重要。
また、対外発信力のある人材を意識的に増やし、グローバルに活躍することを目指す層を効果的に育成する視点も必要。
タスクフォースを設置し、資料にあるようなアクションプランを実行、検討。

文部科学省
英語教育・日本人の対外発信力の改善に向けて(アクションプラン)より抜粋

結構なことである。議論を交わすためには相手の言語を習得したほうがよい。単語、文法以外に比重を置くようになった学校や指導内容に変わってきたのも良いことではある。でも現行の教師にできるのか?金融教育にしろ、「活きた」英語にしろ、教える側に教員免許必須である必要は今の時代に合っているのだろうか。

ピロートーク

閑話休題。
ピロートークという言葉がある。なかなかに生々しい言葉ではあるが、距離感の短縮には大いに役立つと思う。

夫婦・愛人どうしが寝室で交わす会話。睦言 (むつごと) 。

精選版 日本国語大辞典

20代後半の頃、アメリカ人女性と付き合っていたことがある。アニメや邦楽を入り口とし、日本の文化や言語を学んでいた人だった。彼女との会話は基本的に英語、たまに日本語を織り交ぜて意思疎通をしていた。
当時5歳くらいだった甥は彼女と会ったとき、当然英語は話せないが、NARUTO!の絵を一緒に書いたり、My name is 〇〇と言ったりしながらお互いに意思疎通を図っていたことを覚えている。

私自身は、中学生の頃にB'zの英語詞の意味を理解しようと辞書をひきまくったり、高校生の頃からはGuns N' RosesをはじめHR/HM(Hard Rock/Heavy Metal)を好むようになって英語を自主的に勉強し始めた。どちらかといえば、F Wordsやスラングだったけど。

文法や単語はある程度理解できるが、自分で話す機会というものは、山口県の田舎在住であった頃は英検の面接か、たまに来るネイティブの先生と少し会話を交わす程度だった。
外国語大学に進学し、当然英語中心に学んだが、心理学や経済学のほうがおもしろかった。英語を学ぶほどに、「英語ができるだけでは役に立たない」と感じていた。使う機会、つまり意思疎通する機会がなければ知識にすぎない、と。

彼女とつきあうようになってから、学校で習った文法は役には立った。だが、伝えたい言葉にもっと合う表現や単語を、と考えるとインターネット等で検索したり、ボディランゲージを含めた表現で意図を100%伝えようとした。

「伝えたい」「(相手の言うことを)理解したい」という気持ちから自然と言葉を習得したような気がする。
特に相手に対する気持ちを素直に吐き出す機会ともなるピロートークは、お互いを理解する時間でもあった。自然と英語も出てきた記憶がある。

必要に迫られること

私は現在、自分の会社とは別にある外資系企業でも働いている。9割が非日本人であり、日常会話も会議もメールも英語である。使わざるをえない状況である。日本独自の商慣習や日本の会計基準など専門的な話をする際はDeepLを利用することもあるが、いちいちやっていたら話が進まないので、思いついた言葉でなんとか会話する。発音にまで気がまわらないこともあるし、時制や三単現もめちゃくちゃなときがある。
だが目的はお互いの意思疎通、相互理解である。問題は〇〇で、対策はどうすべきか、期限はいつか、など重要なポイントの意識合わせが目的である。

彼らはよく Are we on the same page? と確認する。
同じページにいるか?=認識は合っているか? をしつこいくらい確認する。

英語ができる=仕事ができる?

英語はできたほうが選択肢は広がる。これは間違いない。
しかし、「英語ができる=仕事ができる」わけではない
しょせんは言語である。手段にすぎない。英語に限らず、母国語以外の言語ができることは特技ではあるが、能力ではない。
英語ができることを最上位能力と勘違いしている日本人がたまにいるが、その勘違いはせいぜい20代前半で気づいてほしい。
学生なんかは特に、他言語習得は無敵ツールと間違えて、他の能力を伸ばすことを怠ってしまいがちな気がする。

先述の企業には、日本語がとても上手な外国人もたくさんいる。彼らは勉強もしているが、口を揃えて言うのは「日本では日本語ができなければほぼ意思疎通ができなかった」から死活問題として日本語能力を獲得した、と。

よく言われる”「中学高校大学」(今は小学校も含む)で英語を学んでも話せない日本人が不思議がられる”という話は、単純に必要がない人が多いからだろう。英語で意思疎通する機会が少ないからにすぎない。
文法偏重だとか、読み書き重視だとか言われるが、そして一部はそれも間違ってはいないだろうが、英語を使って意思を伝え、相手の意図を読み取る必要がなければ定着はしない。

意思疎通の必要性がカギか

語学習得に恋愛が必須という話をしたいのではない。
意思疎通をすべき状況と相手がいれば、自ずと学ぶようになるのではないか、という私の考えは、言語をまじめに研究している方には甘っちょろいのかもしれない。

文部科学省の取り組み自体は立派であり応援したいが、方法論をこねくり回すより、とりあえず話す必要がある状況に身を置く、というほうが早いのではないか。

それをどうやるんだ、と言われてもわかりませんが。一介の田舎出身のおっさんの戯言です。


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