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鍛えれば鍛えるほど

人の体には、未知の力が秘められている。鍛えれば鍛えるほど、それは無限の力を発揮する。

これはぼくが好きな特撮番組の一つ「光戦隊マスクマン」のオープニングナレーションだ。

今年も年末に近づいている今日・・・これ、本当だなぁ~と改めて感じている。

▼5月くらいに

ぼくはこのナレーションをnoteで引用するのは2回目だ。
5月くらいに「人の力は無限」という記事の中で行っている。今現在も人の力は無限だ、と考えているし、人の体には未知の力が秘められているとも考えている。

だからといって、今回もべつにオカルト的な話をしようとは思っていない。個人的にはオカルト的な超能力、超生命体、宇宙、SFと言った話は大好きなのだが・・・

今回この記事で書きたいのは、先ほどのナレーションの一部、

鍛えれば鍛えるほど、

の部分だ。

▼実際に

このコロナ禍で去年とは大幅に生活環境も変わったし、仕事や家族・仲間、友人、恋人、同僚、先輩、後輩、お客様、近所の人、すれ違う人などなど・・・人との接し方、考え方も大幅に変わってきた。

これはぼくだけではないはずだ。
この文章を読んで頂いている方もそうだと思うし、世の中の多くの人はそうだと感じている。

そうした中で、家で出来る事、仕事場でしかできないこと、旅行、外食・・・自分がとる行動も色々と変化してきていると思っている。
制限がかかっていた時期もあるし、制限が解除された後でも「感染拡大」に気を付けるという意識が働くようになってきている。

ぼくがこうした変化の中で手に入れたものはいくつかある。

例えばTwitter。
毎日―――本当にくだらないことから、演劇・お芝居に対する考え方、日常の事などなど―――をつぶやいていて、フォロー/フォロワーの皆さんのつぶやきも拝見し、時には意見を交換したり・・・
これを続けていく事で、実際に自分の意見が良くも悪くも評価されてきたように思うし、より多くの方がフォロワーになってくださったりしている。

例えばnote。
ぼくが書いている記事。
毎回書いている時間が縮まってきている。
同じ長さでも2時間程度かかっていたものが、今は半分以下、30分前後で書けるようになってきた。

例えば筋トレ。
こんなぼくでも筋トレをしている。
言っても、1日20分程度だけれども。
最初はまったくできなかった腹筋や腕立て伏せができるようになってきた。

▼鍛えれば鍛えるほど

この「鍛えれば鍛えるほど」というのは続けていくことで、実際に成果があがることなんだな、とこの歳にして改めて感じた。

ぼくはこのnoteでも何回か書いていると思うが、とても飽きっぽい。そして「三日坊主」の事も今までたくさんあった。

しかし、続けること、鍛えれば鍛えるほど、それなりに結果・成果が出てくるのは自明の理であったわけだ。
できれば若い時の自分に教えてやりたいが、そうはいかない。
ただ、思い返すと、舞台に出演してた時に「鍛えていた」事を思い出した。

もちろん飽きっぽいぼくだから「鍛えていた」と言っても、他の皆さんからみれば「たいしたことはない」。

ただ。出来ない事をできるようにするくらいにはやっていたつもりだ。

例えば、簡単な殺陣シーンがあったとしても・・・ぼくは非常に不得意で、せっかく殺陣師の方が考えてくれた”手”を変えさせてしまうくらい不得手なのだ。

例えば、簡単なダンスシーンがあったとしても・・・やっぱり一人ズレるくらいダンスがへたっぴなのだ。

例えば、言いづらいセリフがあって・・・何回も噛んでしまうくらい苦手な文字があったりするのだ。

こんなぼくでも悔しいことは悔しいのだ。できない自分に。
目的は「モテたい」からかもしれないが・・・その悔しさから何度も練習し、できるようになると、ものすごくうれしかったのを思い出した。

過去を思い出すと・・・「公演の為」だったり「必要に迫られて」だったり「モテたい為」ということがあると頑張れる、鍛える事ができるのだと感じた。

▼目的はやっぱり大切

そう考えると、やっぱり目的は大切なんだなあと思う。
しかし、今のこのコロナ禍の自分を考えると・・・こうした明確な短期間での目標が持ちづらい現状にあると思っている。

Twitterをやらなくても死なないし、noteを書かなくてもなんてことはないし、健康に気を付けていれば別に筋トレする必要はない。

だけれども。
やっぱりそこには「やると何かいいかも」というぼんやりしたものでも・・・はっきりしなくても「目的」はあるように感じている。

そうでなければ人は・・・ぼくは動かない気がしている。

コロナ禍前のぼくは、切羽詰まった、必要に迫られたことに関しては鍛える事ができたように思うが・・・成功したか失敗したかは別にして・・・ぼんやりとした、長い期間かかるような目標に関してはどうも「三日坊主」が多かったのではないかと今更ながらにしてわかったような気がする。

ぼんやりでもなんでもいい。目的はやっぱり必要なんだ、と改めて感じた。

▼未知の力

冒頭にも書いたが、光戦隊マスクマンのオープニングナレーション。

人の体には、未知の力が秘められている。鍛えれば鍛えるほど、それは無限の力を発揮する。

この未知の力という部分も改めて考えると・・・人間はもっているなぁと感じている。

今、新型コロナウィルスの脅威は世界中を脅かしている。
そうした中でも欧米に比べて、日本の感染者数は非常に低い水準だと理解している。

もともと日本人が持っていた「清潔」に対する考え方・行動が功を奏しているのもあると思うし、その上で「鍛えれば鍛えるほど」を実践しているのではないかとぼくは考えている。

つまり、ソーシャルディスタンスを意識すること、うがい手洗いをこまめに続けることが、「新型コロナウィルスをなくす」という共通の目的の下、自分たちを鍛え続けているのではないかと感じている。

無論、感染者数の多い地域の人が努力をしてない、鍛えていないとは考えていないし、その地域の人も「新型コロナウィルスをなくす」という目的はもっているはずだ。

ただ、地域に暮らす人々ももともとの特性、考え方に基づいた行動や鍛え方は、その国、その地域で違うのではないかと思っている。
行動そのもの―――マスク、手洗い、うがい、距離をとる―――は同じでも、習慣や風習によってそこに住む人々が行う事が付加されたり、日本とは違うやり方をとらなければいけないのではないかと思っている。

そうした中でも、やっぱり人間には未知の力が秘められていて、鍛えれば鍛えるほど、この「未知のウイルス」にうちかてる「無限の力」を発揮できると信じている。

今日もできることを。鍛えていこう。


舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!