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他人の為に泣けるか。

コロナ禍になり、働く環境や生活が著しく変化して二年以上が経ちます。
そうした中でぼく自身、色々な考え方の変化や仕事や生活に対する取り組み方が変わってきました。

早くこのコロナ禍が日本のみならず、世界中で終息して、マスクをすることなく、コロナ禍以前のように食事も旅行も仕事も……ぼくらにとっては公演も自由に制限なくできるようになるように強く願っています。
もう少しでこれらの制限もなくなるだろう、と感じています。

この二ヶ月ほど、ぼくは仕事での新しい挑戦をしておりました。
すぐにお金になるかどうかはわかりません。
すぐに継続できるものかどうかわかりません。
しかし、ぼくは今回の挑戦は無駄ではなかったと感じておりますし、このチャレンジがぼくの中で一つの切っ掛けになったことは確かです。

そのチャレンジをしている中で……ぼくの心の中で大きな疑問が湧いてきました。
「果たして。ぼくは他人の為に泣けるか」
という疑問です。

▼仕事をする相手、友達

仕事に集中しているこの二ヶ月の間、頭で考えていたことがあります。
直接、仕事内容に関係あることではないのですが、食事をしている時、煙草を吸っている時、コーヒーを飲んでいる時、入浴時……ずっと考えていたことです。

それは今このコロナ禍になっても、友人で居てくれる人、仕事でお付き合いのある人というのは……『他人の為に泣ける』人なんだなぁということです。

世の中の多くの人はきっと『他人の為に泣ける』人だとぼくは感じています。
それは自分以外の誰かの為に涙を流せる人です。
家族、友人、恋人……映画やアニメ、小説の中の登場人物、スポーツ選手、子供、舞台芸術、音楽、絵画……などなど、自分以外の何かに関して涙を流せる人がほとんどだと思っています。

悲しいから涙を流すだけではなく、感動して涙を流す、嬉しいから涙を流す、ということもあると思います。

自分の為以外に涙を流せる人というのは、ぼくは友達でいたいし、仕事でもうまくお付き合いできているな、と感じています。

▼疎遠になる人々

しかし、中にはこのコロナ禍で疎遠になってしまう人もいたのも事実です。
ひょとすると、コロナ禍が明ければまた会う人も居るかもしれませんが……

そうした疎遠になった人々もきっと『他人の為に泣ける』人だと思っています。
ですが、涙を流す感性といいますか、基準というのがどこかぼくと違うんだなぁと感じているのです。

もちろん、疎遠になる、というのはこのコロナ禍の中で『会いづらくなる』ということや『会う頻度』が少なくなった、ということではありません。
何の連絡も取らなくなった、というのもありますし、記憶から消えた、という部分もあるかもしれません。

その多くはぼくの不手際や人徳のなさがほとんどだと思っています。
またはぼくに利用価値がなくなった、という事も言えるかもしれません。
それも、ぼく自身の技術や方法の足りなさもあるのだと思います。

しかし、ちょっと偉そうに書けば、『泣く基準』が違かったんだな、と思っています。

▼学生時代から

ぼくは自分でも恵まれた人生だな、と感じております。
その多くは今現在において、困っている事もたくさんありますが……家族や仲間、友人と共に今この時代に生きている、ということが最も大きな部分です。

と同時に、彼ら彼女たちが居たからこそ、ぼくは芝居を続けてこられたし、これからコロナ禍の先にお客様にお届けできるようにできることをしているつもりです。

だから、自分で不幸だな、と感じた事はあまりありません。
……髪の毛がなくなったとかモテないということはありますが……。

そう思う中でも……ぼくが自分の身の上話をして、『俺の方がもっと不幸だったぜ』とか『私の方がひどかった』とか言う人とは学生時代から馬が合わないと言いますか、一時期は仲良くなったとしても……やっぱり疎遠になることが多かったです。

また、他人の頑張りや苦労の話にしても『それは努力に入らない』とか『俺の方がもっと頑張ってきた』なんて言う人もいつの間にか信用しなくなったように思います。

もちろん、自分自身で思わないわけではありません。
「あいつよりぼくはがんばったのに」
とか
「ぼくのほうができるのに」
と……。

しかし、相手が話してきたことに対して、『ぼくの方が……』と面と向かって言った事はありません。
言われてきたことは数々ありますが……

たとえ言われてきても、その場で云々することはないのですが……今、考えてみるとやっぱり『合わないなぁ』と感じて疎遠になることがほとんどです。

▼果たして

この二ヶ月、そんなことを考えながら……冒頭の疑問が頭に浮かんできました。

果たして。
ぼくは他人の為に泣けるのだろうか。

と。
ぼくは他人の身の上話に共感する事ができるのだろうか。
ぼくは他人の努力に喜びを感じるのだろうか。
ぼくは他人の判断に感動することができるのだろうか。

ぼくはとっても卑しい人間ですから、他人の成功を妬みますし、僻みます。

しかし、映画や小説、アニメ、漫画、舞台作品、音楽などなどで涙を流す事もあります。
家族や友人、仲間、仕事でお世話になっている人の話に耳を傾けているつもりです。
その人と同じ怒りを持つことも、
同じ悲しみを持つことも、
同じ嬉しさを持つことも……
胸を熱くすることもあります。

それは、ぼくの中では本心ですし、本当に涙があふれてくることもあります。涙が流れなくても「へぇ、すごいですねぇ」なんて言って、自分の話題にする事はまずありません。
ぼく以外の人の経験を聴くことはとても大好きだからです。
もちろん、流れによってはぼくの話をすることはあります。

それでも。
人の話を聴いていたとしても。
ぼくは果たして、他人の為に泣けるのだろうか、と自問自答しています。

それは……ぼく自身が他の人に泣いてもらえたらものすごく嬉しいですし、ぼくはその人のことを無条件に信用するでしょう。
ぼくは。
他人に信用してもらえる人間なのか、本当に人の話を聴いているのか、ということをずっと考えています。

▼答えは出ませんが

答えはでません。
でませんが……それでもぼくは人の話を聴き、涙を流せる人になりたいなぁと感じています。

甘い!と言われるかもしれませんし、ビジネスにおいて……ひょっとすると邪魔な要素かもしれません。
しかし、やっぱりぼくの根幹にあるもののような気がしています。

まだまだ出来てないのですが……
ぼくは他人の為に泣ける人間になりたいのです。


舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!