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ブレーキを踏める人間になりたい。

このコロナ禍で気付いた事のひとつに
ブレーキを踏める人間になりたいなぁ
というものがあります。

運転でももちろんそうですし、仕事でも、人間関係でも、SNSなどの発言などでも……ブレーキを踏む事ってとっても大事だなと最近感じています。

▼早く走るのはかっこいい

ぼくは車やバイクが大好きです。
漫画やドラマ、映画などで車やバイクがかっこよく曲がっていったり、レースなどでフォーミュラカーやレーシングバイクなどがライバルをちぎって早く走っていくのはとてもかっこ良いと感じます。

しかし、これら素晴らしい運転も時と場所、判断を間違えば大きな事故に繋がりますし、ドラマや映画・レースなどではそのドライバーやライダーは技術や勘を毎日鍛えているでしょうし、ぼくのような凡人には到底、達することのできない領域だと感じています。

こうしたカースタントやレースのドライバーたちが常にアクセルを踏み続けているかと言えばそうではありません。

如何に勢いを無くさないように、という思考はあったにしろ、『ブレーキ』を必ず使うはずですし、そのブレーキもフルブレーキングをする時もあれば、一瞬踏んで離す場合もあるでしょうし、バイクで言えば、前後輪別々の場合が多いでしょうから、道や場所、やることによっては使い分けていると思います。

ぼくら一般ドライバーやライダーでも事故が起きないようにカーブの手前で十分な減速をしますし、信号が赤の時や一時停止の場合は必ずブレーキを踏みます。

急いでいたり、隣に乗せている女の子(居ないけどね。居ないんだけれどもね。)にいい所見せようとブレーキを踏めないのは愚の骨頂であり、大事故につながりかねません。

▼仕事でも

実際の運転でもそうですが……仕事でもこれは言えると思っています。

例えば街中で、ブレーキを踏み、”ちんたら”遅く走っている車が居たとして……後続が自分だったらなんて思うでしょうか。
通学路であれば、前車の判断は素晴らしいと思うでしょうし、路地が多い、道幅5メートル程度の道であっても、「早くいけ」とは思いません。
逆に片側3車線の大きな道であれば、追い越しをしてしまうかもしれませんし、「流れに乗らないと危険だな」と感じるかもしれません。

また、通学路で60キロくらいの速度を出していたら「バカだな」と思いますし、大きな道でも制限速度以上の速さで走っていたり、すり抜けを見たりすると「アホだな」と思います。

ぼくはこうしたことは仕事上でも同じだと考えています。
時と場合と状況により、進み方は変わってくると思っています。

同じ仕事を新人さんがやる時と、10年の経験者がやる時と、30年の経験者がやる時では早さも内容も違ってきます。
これは仕方のないことですし、世の中の摂理だと感じています。
と同時に同じ経験年数の人がやったとしても、まったく同じ速度で同じ内容のモノが出来上がるとは限りません。
(その為に業務マニュアルがある、ということもありますが……ここでは触れません。)

新人さんが先輩の真似をしてスピード重視でやろうとしても……結果が伴わないかもしれません。それどころか、やり直しになる場合もあるかもしれません。
経験のある仕事でも先方に焦らされたり、せっつかれたりしたら…確認がおざなりになり品質が異様にさがるかもしれません。

こうしたことから、ぼくは仕事でも…『ブレーキを踏む』事は非常に大事だと考えています。

やったことがない仕事であれば、先に行こうとせず、面倒くさくても一つ一つ確認した方が良いですし、先方にせっつかれたりした場合でも、再度、打合せを持つなどして無理ない納期を設定することは、『続けていく為』には必要なことだとぼくは考えています。

▼SNSでも人間関係でも

今でもたまにそうですが……
嫌な事があると、SNSなどに陰気な事を書いてしまう時があります。
怒りというとか、鬱憤をはらす、というか……

最近もありました。
しかし、それを投稿する事はありませんでした。
自分でブレーキを踏んだつもりです。

もちろん、その鬱憤の元についてはぼくが正しいと思っています。
しかし、それはぼくだけの正義、正しさであって、それを表明したところで……自分がそういう過ちをしてないとも限りません。

SNSの投稿欄に書きましたが、投稿ボタンを押す事はありませんでした。

投稿ボタンを押す前に踏みました。心のブレーキを。

見た人が嫌な思いをするかもしれない、というものありましたが……
実は自分も同じようなことをしているのではないか、というブレーキが働いた結果だと感じています。

自分では楽しい、と思っている事が実は他の人にはそう映っていない場合もあるかもしれませんし、自分は正しいと思っている事が他の人の正しさと一致しているとは限りません。

もちろん、他の人のことばかり気にしていたら何にもできなくなるかもしれません。
しかしながら、実際の運転と同じように。
時、場所、状況を見て、心のブレーキを踏む事はできるのではないか、と最近感じています。
もちろん、フルブレーキの時もあれば、ポンピングブレーキもありますし、クラッチを切りながらのブレーキも、ブレーキをつま先でかけながら、アクセルを踵で踏んでみたり、前後輪のブレーキを場合によって…

ブレーキの踏み方は色々あると思いますし、SNSでも仕事でも人間関係でも……その踏み方、技術は経験でしか身についていかないのかもしれません。
しかしながら、常にブレーキを踏める余裕、状況判断、感と勘を養っていく事はいつでもできるように考えています。

とても良いエンジンがついて時速300Kmで走れる性能の車があったとしても優秀なブレーキが無ければ、止まる事もカーブを曲がる事もできないと思います。
仕事も優秀な技術や知識、知能があっても、休むことや止まる術がなければ、心も身体も壊れてしまいます。
人間関係でもSNSでも――ブレーキを踏まない事で壊れてしまう事があるようにも感じます。

走る能力と止まる能力は両方持つべきだと強く感じています。

ぼくはけしてブレーキを踏むことはやる気がない、勇気がないだとか、臆病だとは感じません。
たとえ怖がりだとしても。たとえ臆病だと言われても。
続けていくために…ブレーキを踏める人間になりたいのです。事故を起こさないために。

舞台演出家の武藤と申します。お気に召しましたら、サポートのほど、よろしくお願いいたします!