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喫茶Tにまつわる回想

記憶の中にあるいちばん古い喫茶店について思い出してみる。

駅前にある大きなスーパー、その横の細い路地のちょうど真ん中辺りに、喫茶Tへと続く階段がある。看板はぼんやり光る緑色。路地と階段の間、ちょうど何の邪魔にもならない絶妙なポジションを陣取っていた。

入り口のドアにはレースのカーテン。ドアの窓をふんわりと覆うように内側から取り付けてある。
カラカラと軽い音のベルと共に店内に入ると、銀のトレーを持ったウエイトレスさんが出迎えてくれる。黒いワンピースに白いレースのエプロン。正統派の出で立ちに背筋が伸びる。

赤いソファに座ってぐるりと店内を見渡せば、おじさん2人が顔を突き合わせてなにやら密談中。頭上の大きなシャンデリアから発せられる黄色い光が、つるっとした木目模様のテーブルに反射する。
クリームのたっぷりのったウインナーコーヒー、行儀よく並べられたサンドイッチ、どれも魅力的だけどプリン・ア・ラ・モードの引力には勝てず、今日もまた同じ注文をしてしまう。

銀のお皿に乗ってやってきたわたしのプリン・ア・ラ・モード。ぴゅんっと飛び出た飾り切りのりんごの鋭さと華やかさに目を奪われる。
シロップ漬けの真っ赤なさくらんぼ、美しい網目の皮のメロン、優しさを携えたバナナ、エトセトラ、エトセトラ。果物をひとつずつ順番に食べていって、プリンは柄の長いスプーンですくう。なんてことはない、ただのプリン。この"普通"な味に拍子抜けするのに、なぜかいつも最後の楽しみとしてとっておいてしまう引力を秘めている。

路地に入った時から加速する一方だった胸の高まりがようやく落ち着いて、やっと前を見ると母がブラックコーヒー静かに飲んでいる。
数多の魅力を全て振り切って、一杯のコーヒーを選べる強さが大人なのかと、密かな悔しさにカラメル味の唇を噛んだ。

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