ドイツ4年

私事ではありますが、今日という日を迎えてドイツに来て4年という年月が経過しました。

長いようで短いようで長いようで短いような、あっという間だった気がします。


振り返るとドイツに来てからありがたいことにたくさんの経験をさせていただきました。

ドイツに来てから間違いなく自分の人生は変わりました。

ドイツ挑戦を決めたけど、コロナが始まって延期になってしまいました。
ヨーロッパで第1波が落ち着いた頃に入国できるか確実ではなかったけど、一か八かで渡航をしました。

1シーズン目は、5部のチームと契約しましたが、コロナの影響で数試合でロックダウンになってしまい、ほとんどサッカーはできず、ひたすら語学勉強と自主練の日々でした。

2シーズン目は、6部でお金のある元プロばかりのチーム(今は4部)からオファーをいただき、そこで、全試合出場、優勝しました。
しかし決して楽なシーズンではありませんでした。

3シーズン目は、6部優勝したチームから(僕にとって)多額のオファーをいただき5部でプレーすることもできましたが、自分が中心選手として活躍したいという思いもあって5部の別のチームへ移籍。
怪我した時以外は全試合出場させてもらいましたが、悔しいことに思うような結果は出ませんでした。

4シーズン目は、オーストリア🇦🇹へトライアウトに行くもののうまくいかずにドイツへ帰国。
挫折を味わい結果的に縁あってオファーいただいた6部のチームと契約。
そして個人としては怪我で再び挫折するも、チームとしては優勝しました。
*オーストリア挑戦の詳細は過去の記事にびっしり書いてるので興味ある方は、ぜひ。

けどこの4年を振り返ると、サッカー以外での出来事の方が強烈だったかもしれません。

恩師の死。
愛する人生のパートナーとの出会い、そして結婚。
数々の旅行。
車の免許取得。など

恩師が亡くなった時はコロナ禍でもあり、日本に帰れなかったので、お別れさえ告げさせてもらえませんでした。

妻はどんな時も僕の支えとなってくれました。こんな世界一素敵な女性と出会えた僕は幸せ者です。

スペイン、ベルギー、オランダ、ポルトガル、(オーストリア)、日本。
国内ではベルリンやフランクフルトなどにもいきました。

車の免許はドイツ語が難しすぎたし、先生にもたくさん迷惑かけたけど、10ヶ月くらいかけてなんとか取得しました。

他にもちゃんと思い返せば色々あったと思うし、細かいことを書こうとするといくらでも書ける気がします。

そんなこんなで今、ドイツ5年目に突入しました。

ドイツに来る前に思い描いていた自分とは、全くかけ離れていて、想像もできなかったような今の自分が在ります。

プロサッカー選手としてドイツ一部で活躍しているはずの自分は、今やっと5部にあがり、ドイツに来た当初と同じカテゴリーにたどり着きました。

今シーズンはこれまでドイツで出会ってきた多くの日本人選手たちが、再び同じ地域の5部に集結したような形になり、ピッチ上で戦えることが楽しみで仕方がありません。 

しかし、僕にとってサッカーは全てではなくなりました。

オーストリアで挫折を味わい、Asalと結婚し、もう一度夢に向かい歩み出そうとした矢先、怪我をして医者からサッカーを辞めた方がいいと言われました。
痛みと共にプレーを続ける中で、この先「日本代表」を目指し続ける覚悟を決める勇気が僕にはありませんでした。

そして、サッカーを辞めようと思いました。

しかし、サッカーをしている時が1番幸せで、サッカーをしている自分が1番好きな僕は、サッカーを辞める勇気さえも持つことはできませんでした。

結局自分は勇気のないだけの人間です。

しかし、僕はまだサッカーを続けられていることを誇りに思います。

夢は破れつつもこうしてサッカーを続けられているのは、亡くなった恩師のおかげです。

彼が僕に本当のサッカーの楽しさを教えてくれました。

サッカーをいつまでできるか、いつ辞めるのかはわからないけど、自分がサッカーを続けられる、続けたいと思う限りは、全力でプレーしていきたいと思います。

そして亡くなった恩師は、命を使って僕に使命を与えてくれました。

それは「日本を変える」ということです。

僕はそのために本気で日本代表を目指しました。
しかし、日本代表になるという夢は諦めました。

そんな僕が、今ドイツで何をしているかというと、日本を変える男になるために成長しています。

恩師はよく「日本を変えて」と言っていました。
サッカーを教える指導者なのに、小・中学生に対してこんなことを言えるのは、きっと彼だけだと思います。

彼が夢見ていたのは、「サッカーの日本代表としてピッチ上でプレーすることで日本を変えていってほしい」ということだったのかもしれません。

しかし考えてみれば、日本を変えるということに対して、日本代表になることは手段でしかありません。

少し形は変わるかもしれませんが、僕は彼の意志を成し遂げたいと強く思います。

ドイツ4年目の前半(2023年後半)は葛藤の日々でした。
今の自分で本当にまたサッカー選手として上を目指せるのか。
上を目指し続けるのが厳しいと感じながらサッカーを続けることは、本当に自分の人生において意味のあることなのか。
今サッカーを辞めることを決断して、新たな道に突き進むべきなのか。
日本代表という夢が無理だと薄々わかっていながらも、サッカーに些かな期待を弾ませながら、中途半端にプレーを続けていいのか。

悩みに悩んだ末、サッカーを辞めるという勇気は出てきませんでした。サッカーをしたいという心には勝てませんでした。

それでいいんだと思います。
自分の人生、意味なんてなくても、自分が納得できればいいのだと思います。


そして2024年を迎えて、ドイツ4年目後半は、サッカーだけではなく、いろんなことにチャレンジし始めました。

1on1 100人チャレンジをしたり、いろんなセミナーを受けてみたり、コーチングを勉強し友達にやりまくったり、実際に高い金を払ってコーチングを受けたり、Arcxsというオンラインコミュニティーに入会したり、自分でWorld Bridgeというオンラインコミュニティーを立ち上げたり、本をたくさん読んだり、サッカーの留学サポートをさせていただいたり、、

色々勉強して、自己投資して、行動して、学んでいくことで、少しずつ自分が見えてくるようになりました。
そして、少しずつ自分のやりたいことの方向性、自分の見たい将来の景色も見えてくるようになりました。

これからも学び成長し続けたいと思います。 

今から4年と1日前、ドイツに渡航する当日、準備をして空港に向かう前に胸騒ぎがしました。

自分が今日、日本を出る前に、恩師に行ってきますの挨拶をしてこなければ、後悔すると直感しました。

ちょうどその頃は、運良く入院していた恩師が少しばかり元気になり、短い間外出許可されていました。

時間が間に合うかギリギリだったけど、親に無理言って恩師の家に会いにいきました。

けど彼は家には、いませんでした。
もしかしたら、近くの増穂のグランドで小学生の試合を観ているかもしれないと聞き、そのまま駆けつけました。

そこに痩せこけた恩師の姿がありました。

「今からドイツに行ってきます」と挨拶することができました。

恩師が、ない力を振り絞って自分の手を精一杯握りしめて、こんな言葉をかけてくれました。

「がんばれ、がんばれ。頑張れるって最高だぞ。」

今でも鮮明にその情景が目に浮かばれます。

そして恩師の大嫌いな写真をお願いすると、受け入れてくれました。

彼にとって嫌いな写真をこうやって公開されるのは、本望ではないかもしれませんが、これは僕の特権ということで使わせていただきます。

こんなことを書いていると自然と涙が溢れ出てきます。



「日本を変えたい」

XやYouTubeといったオンライン上では、こういうことが言えても、現実では誰かに面と向かって言えないくらいちっぽけな自分がいます。

今はサッカーをすると同時に、YouTubeやXで発信をしながら、経営者を目指して起業に挑戦しています。

いろんなことをしていく中で、やることが多くなってイライラして、大切な妻にぶつけてしまうこともあります。

妻とカップルYouTubeもしていますが、裏では言い合いになることもしょっちゅうあります。

日本を変える男になるには、勇気も自信も余裕もまだまだまだまだ足りないところばかりです。

ですが、自分はとても幸せ者です。
こうして多くの人と出会い、支えられて、いろんなことに挑戦できる環境で生かせていただいています。

今度は自分が支えられるように、もっと愛せるように、大きくなっていきたいです。

まだまだ未熟な自分ですが、これからももっともっと成長していきます。

頑張れるって最幸です。

ドイツ5年目も最幸の1年にします。


少し長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました😊

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